第21話 俺とキュウのお昼寝

 行きにくらべれば、速度を落とした馬車。

 それでも、進むのは未整地の草原、しかも夜だ。気は抜けない。

 見えるのは満天の星空と、紺色の草原。どこまでも続いているように見えて、距離感がなくなっていく。

 星明りでぼんやりした前の馬車の影と、ときどき聞こえる飛竜の音が頼りだ。


 どれだけ走ったのか。時間感覚も消えかけたころに、前方からかすかに歓声が聞こえてきた。

 前方の暗闇の中に小さく見える、かがり火の赤色と、それに照らされた建物の影。

 ようやく帰ってこれたらしい。


 開拓地へ到着した俺たちは、すぐにケガ人を馬車から下ろし、事前に準備してもらっていた衛生兵たちに引き渡す。

 兵士たちはお互いの肩を叩きあって笑い、無事を喜んでいる。中には感動で目に涙を浮かべている者もいた。

 遠征隊の救出、どうにか完了だ。


 その後は仮眠を取って、朝から治療状況の確認に警備体制の見直し、消費物資の再計算やらに取り掛かる。この作業に丸一日以上かかったが、次の日の昼前にはどうにかひと段落して、俺はその日の午後だけ休めることになった。


 久々の休みということで、俺とキュウは開拓地の兵舎上にある見張り台、その屋上にいた。

 ここは陽当たり最高、眺めも最高。

 マールと使い魔たちのおススメ、開拓地でも有数のお昼寝スポットだ。

 

 ゆるやかな角度のついた屋根に寝そべっていると、暖かな風が俺たちの身体をなでていく。

 ちょうど今は太陽に薄雲がかかっていて、それほどまぶしくない。


 俺は屋根の真ん中で、あお向けに寝そべっていた。

 キュウは俺の肩を枕にして、すっかり寝入っている。若草色の髪の毛が、俺の顔のすぐ下でそよ風に揺れた。

 俺は、うたた寝をしてはキュウの寝息や身じろぎに起こされ、またすぐ二度寝を繰り返す、という至福の時間を味わっていた。

 普段は少し低いキュウの体温が、今は太陽に負けないくらい温かく感じられる。


 五度寝か六度寝かをしたころ、太陽が薄雲の間を抜けて輝き、その光が俺の目をくすぐった。

 そろそろ眠気が抜けてきたけど、キュウはまだぐっすりなので俺も身体を起こさずにいた。まぶしくないよう、キュウの目元に手をかざして影をつくってやる。

 その寝顔は安らかで、前みたいに悪夢にうなされてはいない。


 飛竜から人に変化してから、キュウはよく不安そうな顔をしていた。俺がかまうと笑顔を見せてはくれるけど、しばらく時間を置くと思い出したように顔が曇っていく。

 そんなキュウが落ち着いたのは、遠征隊救出から戻ってきたときだ。


  ◇


 一昨日の夜中、遠征隊を連れて帰還すると夜番の兵士たちが出迎えてくれたが、その中には寝ずに待っていたキュウもいた。

 飛びかかられるかと思って身構えていたが、キュウはゆっくり歩いてくると、俺の手をそっと引っ張った。


「ん、どうした?」


 俺は引かれるままに背をかがめた。キュウと目の高さが同じになったところで、俺の横に回ったキュウにほっぺたを小さくひとなめされる。

 そのあとキュウは俺の正面に来て、俺の目をじっと見つめてくる。

 今までにない行動のキュウに、俺はなにも言えずキュウの目を見つめ返した。


「どうしたんです、ロンさん」


 横から、兜を手に持った新人竜騎士ノエルが近づいてくる。

 キュウの話し相手になってたらしいけど、なんだろう。口元が妙にニヤニヤしている。


「キュウちゃんからの、おかえりのキスですよ?」

「あー、えーっと?」

「黙ってないで、もっと喜びましょうよー」


 こいつ、さては面白がってるだけだな?


「いやその、いつもはもっとたくさんなめてくれるから」

「えっ」


 俺が切り返すと、ノエルは一瞬動きを止めてから、確かめるようにキュウのほうを見た。


「そうなんですか?」

「キュッ」


 キュウがノエルに向かって一声あげ、自分の胸を軽く一回叩く。


「ああ、そうなんですか。なるほど」

「どうしたんだ?」

「いえ、ご自由にどうぞ」

「キュ!」


 にっこり笑ったキュウは、俺の肩を両手でがっちりつかんで、顔を近づけた。

 俺が目を閉じると、キュウの舌が俺のほっぺたから鼻を通って額の上まで一直線に走る。

 まるで竜騎士が急上昇しながら切り上げたような、力強い一閃。


 そのまま、キュウは俺の顔全体を勢いよくなめ始めた。犬が主人の顔をなめるように。

 ああ、これは飛竜のころの甘えるモードに入ったキュウと同じだ。

 こうなったらしばらくは止まらないぞ。


「うわあ。私の知ってるおかえりのキスとちがーう」


 少し遠くから、ノエルがぼそっとつぶやいていた。

 キュウに何を吹き込んだんだ、あの子は。


  ◇


 そんな感じで飛竜のころの調子を取り戻したキュウは、今も俺のそばにいてくれている。


「スゥ……、フゥ……」


 キュウはいい夢でも見てるのか、目を閉じたまま小さく笑っていた。

 後でマールに聞いたところ、キュウが落ち着いたのはノエルと話してかららしい。

 そのへんは感謝するべきだろうけど、なんだろうこの納得できない感覚。


 そんなことを思い出しながらキュウの寝顔を眺めていると、少し涼しめの風が吹いた。


「ッキュン!」


 キュウがくしゃみをして薄目を開ける。


「おはよう」

「ウゥ」

「まだ眠いか?」


 キュウの手が俺の胸を小さく一回叩いた。

 これはノエルから聞いている。こっちからの質問に対して、叩く回数で返事をするという合図。はいなら一回、いいえなら二回、わからないなら三回。

 この合図のおかげで、キュウの言いたいことがもっと知れるようになった。これには素直に感謝だ。


「横になっててもいいけど、そろそろ目は覚まさないとな。夜に眠れなくなっちゃうぞ」

「ウー」


 キュウは身体をずらし、俺の胸の上に頭を乗せて目を閉じる。二度寝したいのサインだ。


「しょうがないな、キュウは」


 俺は片手をキュウの頭にのばし、軽くなでた。

 細く柔らかい若草色の髪が、からまることなく指の間を抜けていく。

 その感触を楽しみながら、俺はまた目を閉じた。


 今のキュウのなで心地もとてもいいものだが、飛竜だったときの鱗のすべすべ具合も素晴らしかった。

 飛竜の姿がもう懐かしくなってるが、キュウがその姿に戻るまではあと何年かかるかわからない。


 遠征隊救出のとき、俺は飛竜でなく馬車に乗っていることが不安だった。

 林から草原に抜けてエンテの飛竜を見たとき、一瞬でもキュウが来たと思ってしまった。

 戦いにおいて、自分がそれだけ飛竜のキュウに頼っていたということだ。


 あの時に襲ってきたネズミ人間といい、この開拓地にはまだ魔獣が多い。

 俺一人では、今のキュウを守るどころか自分の身を守ることすら危うい。

 このままでは、いつかキュウを危険にさらすことになる。


 なら、どうする?


 何もかも捨ててここからキュウを連れて逃げ出すというのは無理だ。

 二人だけでこの大草原を抜けようとしても、数日と持たずに魔獣のエサだろう。

 心情的にも、マールをはじめ今まで一緒にやってきた連中を裏切りたくない。


 この開拓地で、魔獣から年単位で身を守り続けるためには。

 今のような、兵士だけが駐在し外部からの補給頼りの状態では頼りない。

 まとまった数の人間が定住し、この場で生産活動が可能で、住民と兵士が連携して長期防衛できる拠点。つまりは、本格的な開拓村の設立が必要だ。


 ダイラの言っていた、開拓民の受け入れを真剣に考えたほうがいい。

 正騎士のみんなが動けるようになったら、話してみよう。


 考えがまとまったところで目を開けると、すぐ前にいるキュウと目が合った。

 舌を出していたキュウが、そのまま俺の鼻をなめる。


「起きるか?」

「キュ!」


 俺の胸を一回叩き、キュウが俺の上から離れた。俺も身体を起こし、キュウが屋根から落ちないように小さな肩へ腕を回す。


 眼下に広がる草原はあまりにも広大で、気を抜くと俺たちを飲み込んでしまいそうにも感じる。

 だが、それは錯覚だ。

 俺もキュウも、ここで生き続ける。支え合って、肩を並べて。

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