第3話 前夜 後編

 それから魔獣は姿を見せず、補給隊とマールは無事に合流。

 その後もとくに問題なく、補給隊は俺たちの拠点までたどり着くことができた。

 ちなみに途中で仕留めたヒポグリフは、一頭だけ補給隊の馬車に積むことができ、もう一頭はマールの使い魔たちが運んでいた。


 最後に開拓地の上空を一周し見回してみたが、魔獣の影はない。護衛任務は完了だ。

 俺は余った時間でキュウを自由に飛ばせるつもりだったが、キュウはすぐに飛竜の発着場代わりにしている馬小屋前の草原へと向かっていった。


「そんなに肉が食いたいか?」

「キュッ!」


 キュウが元気よく鳴いた。どうやら飛行欲よりも食欲優先らしい。


「補給物資の受け取りもあるんだ。ヒポグリフの解体や加工に回せる人手は少ない。食えるまでは時間がかかるぞ」

「キュウウゥゥ……」


 そんながっかりした声を出さなくてもいいだろ。こっちまで悲しくなる。


 眼下の開拓地では、すでに物資の積み下ろしが始まっていた。

 補給隊の隊員と開拓地の兵士たちが、協力して荷物を倉庫へ運んでいっている。

 あっちの作業は兵士たちにお任せだ。


 馬小屋前に着陸すると、俺はすぐにキュウから降りた。

 まずはいつもの汚れ落としから。


 小屋にある水桶を足元に置いて、初級魔法で両手の間から水を出し、注いでいく。

 桶が水でいっぱいになったら、同じく初級魔法で小さな火の玉を生み出し、水の中に投げ入れる。

 二個目の火の玉を入れたところで、水が人肌程度に温かくなってきた。

 俺の使える魔法は初級も初級で、水は飲み水くらい、火は小さな種火程度しか出せない。

 だが、キュウの身体を洗ってやるにはこれでも十分だ。


 右手は、ぬるま湯につけた布。左手に、毛の長いブラシ。

 それを使って、キュウの頭、首、肩、前足と、身体の前側から順番にキュウの身体を洗っていく。

 とくに、ヒポグリフとの戦いで返り血が付いた前足や指の爪は念入りに。


 視界の端で、キュウのしっぽの先端が犬のようにぴこぴこと揺れているのが見える。


「キュッ♪ キュッ♪」

「よーしよし。気持ちいいかー」


 嬉しそうなキュウの鳴き声を聞きながら、リズミカルにキュウを洗うのが俺たちの飛行後のお約束だ。


 ひととおりキュウの身体を洗い終え、余ったお湯で自分の汗を落としていると、一頭の黒いクマがこちらに歩いてきた。

 その上にまたがった一人の少年が、俺に向かって大きく両手を振っている。


「アニキ、お帰り!」


 声に合わせて、狼を思わせる跳ね毛の多い栗色の長髪が揺れる。

 毛皮の胸当てと腰巻、靴を身に着けており、他は素肌。

 無邪気な笑顔は、まだまだ子供の雰囲気を残している。

 まさに野生児といった格好だが、あれでも立派な開拓騎士団の正騎士。

 獣騎士のマールだ。


「ヒポグリフ、二頭とも持ってきたよ!」


 マールはクマの背から降りると、満面の笑みで補給隊のほうを指さす。


「お疲れさん。何もなくてよかったよ」

「アニキはいつも心配しすぎなんだって。オイラには、こいつらがいるんだから」


 そう言ってマールが周りの動物たちに目を向ける。


 マールの使い魔は四体。

 またがっていた、胸に白い三日月模様のある黒毛のクマ、ガウ。

 その後ろに隠れるように歩く、黄金色の毛が輝くキツネ、クァオ。

 マールの肩の上に乗った、大きなしっぽを振る茶色いリス、クォン。

 そして、開拓地の上空をゆっくり旋回している大フクロウ、クー。


 この四体を使うことで、マールは開拓地周辺の偵察、資源の調査や調達、魔獣との戦闘など、さまざまな任務をこなしている。言わば「何でも屋」だ。

 この開拓騎士団では最年少だが、彼を軽く見る者はいない。

 飛竜のキュウと一緒に行動する俺にとって、マールと使い魔たちの息の合った連携は参考になる部分も多い。


「そうだな。みんなで助け合ったおかげだ。ちゃんとねぎらってやれよ?」

「もちろん。今日の肉もみんなで分けるよ」


 任務の途中で手に入れた資源は、基本的に騎士団全体のものになる。

 ただし魔獣の肉のような食事に使えるものは、狩りに参加した者が好きな場所を、つまりは一番うまい部分を食うことができる。

 今回のヒポグリフ肉の食いたい部分選択権は俺とマールが持っているが、マールはいつも相棒たちと山分けだ。


「ありがとなー」


 上機嫌のマールは、使い魔たちを抱き寄せて身体をなでさすっている。使い魔たちも目を細めて嬉しそうだ。

 マールたちを眺めていると、キュウの長い首が俺にすり寄ってきたので頭を軽く抱きしめてやる。

 俺の胴体くらいあるキュウの頭は、ほどよい暖かさとなめらかな鱗の手触りで抱き心地満点だ。


「お前もがんばったな。キュウが狩った獲物だ、たくさん食べてくれよ」

「キュゥ~」

「うわっぷ」


 甘えるモードに入ったキュウに、俺はしばらく顔をなめ回され続けることになった。


 陽が傾く頃には補給作業も終わり、開拓地の空に料理の火の煙が上がる。今日はここの部隊と補給隊との合同で夕食だ。

 メインディッシュはもちろん、ヒポグリフのステーキ。

 その味は鶏肉に似ていて歯ごたえがあり、塩をふって焼くだけでも十分にうまい。

 大きく切り分けられた肉を前にして、補給隊の面々が歓声を上げる。


 実は、この開拓地でヒポグリフの肉はそこまで珍しいものではない。

 このあたりでは数の多い魔獣で、ここに来た頃には三日に二度は食ってたものだ。

 駆除の進んだ今でも、五日に一度くらいは食卓に乗る。

 しかし補給隊の兵士から話を聞いたところ、他の開拓地ではあまり見ないらしく、ここで食うのが初めての者も多いとのこと。


 そんな珍しい肉を前にして補給隊はにこにこ。

 補給物資の酒樽も開けて、雰囲気は軽い宴会だ。


「だあっはっはっはっ! さあもっと食え食え! 肉はたっぷりあるぞ!」


 兵士たちの輪の真ん中で、木製のジョッキを高々と掲げた男からひときわ大きな声が上がる。

 そこにいるのは、背は低いが肩や腕の分厚い筋肉が威圧感を出す男。

 編み込まれたこげ茶色の髪に、大きなワシ鼻と豊かなヒゲが目を引く、典型的な石と山の民ドワーフ。

 開拓騎士団の正騎士の一人、「岩騎士」ジオールだ。

 彼の音頭に周りの者も手を叩き、宴が盛り上がる。


 俺とマールは、宴会場の端でキュウや使い魔たちと一緒にゆっくり肉を食っていた。

 飛竜やクマの大きな身体は、ああいう場所の真ん中にいると目立ちすぎる。

 キュウは騒がしかったり注目されるのは苦手で、のんびり食べるのが好きなのだ。


「おっちゃん、あいかわらずだな」


 俺の隣で肉をほおばるマールが、ジオールのほうを見てつぶやいた。

 彼の横では、四体の使い魔が並んで同じ肉に食いついている。

 リスであるクォンも切り分けられた肉をおいしそうに食べていた。

 俺は前までリスは草食だと思っていたが、クォンは雑食で肉も好きらしい。


「今日も、おっちゃんが夜番じゃなかったっけ? 酒飲んじゃダメだってのに」

「あの一杯くらいなら酔わないさ。よく本人が言ってるだろ、気つけみたいなもんだって」


 ドワーフが酒好きというのは有名だが、ジオールのは筋金入り。

 酒を樽ひとつ飲み干したあと、笑いながら次の酒をジョッキに注ぐような酒豪だ。


「それに、俺たち正騎士が誰も酒を飲まないんじゃ兵士たちも飲みにくい。ああいう盛り上げ役も必要だ」

「そういうもんなのかなぁ」


 まだ酒を飲める歳ではないマールが首をかしげる。

 俺はキュウに乗る可能性を考えてこの場では酒を控えていた。

 俺たちが飲んでいるのは兵舎のそばにある岩場の湧き水だ。よく冷えており、普通にうまい。


 酒が入った状態で飛竜に乗るのは厳禁だ。

 判断力の低下もあるが、そもそも飛行中は酔いが回りやすい。

 急降下や急上昇の最中に、意識が途切れて竜の背中から振り落とされるなんて事故はごめんだ。


「よう、ロンにマール。やっとるか!」


 右手にジョッキ、左手に串焼き肉を持ったジオールがこちらへ歩いてくる。


「食ってるよ。酒は飲んではないけどね」

「こんな時くらい飲んでもいいと思うがの」

「今はいつ飛ぶことになるかわからないからなぁ」


 ここには兵士が常駐しているとはいえ、まだまだ安全とは言えない。今でもたまに魔獣の群れが拠点の近くを通ったりするのだ。


 この新大陸にまともな船が上陸できるようになって十数年。

 上陸地点から広がるように都市が築かれ、その周囲は穀倉地帯として大きく発展しつつある。


 しかし、大陸の奥地はまだまだ手つかずの自然の大地が広がっている。そこには野生動物はもちろん、魔獣と呼ばれる人や作物を積極的に襲う猛獣がそこらじゅうに潜んでいる。今まで人類が生きてきた旧大陸にはいない種類の魔獣も多い。

 そんな場所にも人間が住めるようにするため、旧大陸の各地から戦える人間を集めて結成されたのが俺たち開拓騎士団だ。所属する騎士や兵士たちは複数部隊に分かれて新大陸の各地に拠点を作り、そこで周辺の魔獣駆除を行っている。


 ここもそんな拠点のひとつ。いわば新大陸開拓の最前線だ。


 ジオールは俺たちの前で腰を下ろし、俺の隣のキュウを見上げる。


「竜騎士ってのも難儀なもんだのう。ここのところ、お前さんも飛竜も働きっぱなしじゃないか」

「今は人手不足だからな。仕方ないよ」

「わしに竜騎士は無理だの。酒が飲めないなんて、考えたくもないわい」


 そう言って、ジオールはジョッキに口をつけた。


「まあ、遠征隊の連中が戻ってくるまでの辛抱だの」

「そうだなあ」

「遠征隊かぁ。今ごろは何やってるんだろうね」


 俺たち三人は顔を見合わせると、軽くため息をついた。


 ここの開拓騎士団は現在、二部隊に別れて行動している。

 ひとつはこの拠点の防衛隊で、もうひとつは遠出して周囲を調査する遠征隊だ。


 俺たち防衛隊は、正騎士がこの場にいる「岩」「獣」「竜」の三人と、兵士が百五十人。

 遠征隊は、正騎士が「剣」「盾」「聖」「弓」「術」「陰」の六人に、戦闘の得意な腕利き兵士五十人。


 開拓騎士団の主戦力である正騎士九人のうち、三分の二が外に出ている状態だ。

 残った俺たち三人が、休日無しの三交代勤務状態でここの防衛隊を回している。


 基本は、早朝から昼過ぎまでが俺、昼から夜までがマール、夜目の利くジオールが夜から翌朝までの担当だ。

 もちろん、今日のような補給部隊が来る日や、魔獣の襲撃があったときなどは全員で対応する。

 今のところ大きな問題は出ていないが、正直に言って余裕はない。


「早いところ、戻ってきてほしいもんだがの。おぬしも酒が飲めねばつまらんだろう」

「まあ、出かけてる皆が戻ってきて落ち着いた頃にゆっくり飲むよ」

「そんときゃ付き合わせてもらうぞ」

「おっちゃんは飲みたいだけだろ?」

「おう! 酒あってこその人生よ!」

「オイラにゃよくわかんないや」


 マールの皮肉もジオールには通用しない。笑顔のジオールに向かってマールが舌を出した。


「予定だと遠征隊は長くても後五日ぐらいで帰還だったはずだ。それまで何もなければいいんだけどな」

「うむ。もう少しの辛抱だの」

「オイラ、皆が帰ってきたらたくさん昼寝したいよ」


 他愛もない雑談をしながら肉をつまんでいると、やがて日が落ち切って夜の闇が周囲に広がった。

 俺は夜の警備をジオールに任せ、眠そうに目を細めるキュウと共に馬小屋の奥にある俺たちの寝床へと向かっていった。

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