第5話 開拓地の異変
<<ロン視点 夜明け前の馬小屋>>
馬小屋の外に出ると、夜明け前の冷たい空気が俺の顔をなでる。
深呼吸すると、冷たい空気が胸の奥にまでしみわたって頭がすっきりしてきた。
これが夢であるならそろそろ目覚めてもいいものだけど、その気配はない。
俺はかがり火の光を避け、見回りの気配を読み、影から影を伝って道中を走り抜けた。
夜明け前の暗闇の中とはいえ、誰にも目撃されずに自分の部屋に到着できたのは本当に幸運だった。
馬小屋から俺の部屋まで、どれぐらい時間がかかっただろう。
実際には馬小屋を二、三周するくらいの距離を移動しただけだ。たいした時間のかかる長さじゃない。
だが、毛布にくるんだ裸の少女を抱えて夜明け前の開拓地を走るとなると、体感時間は段違いだ。
断言する。
俺の二十四年間の人生の中で、これほど緊張したことはないし、これからもないだろう。
子供のころに村であった火事を見ても、これほどの冷や汗は出なかった。
竜騎士になる試験を受けた時も、ここまで心臓は鳴らなかった。
毒沼のほとりで魔獣に追われた時でも、今ほど「見つかれば死ぬ」とは思わなかった。
死ぬといっても、社会的にとか法的にとか、そういう意味だけど。
俺は部屋に入って扉にしっかり鍵をかけてから、キュウ入り毛布をそっとベッドの上に降ろした。
「大丈夫だったかキュウ。苦しくなかったか?」
「キュ!」
キュウが毛布から頭を出し、俺のほほを軽くなめる。
今のは「だいじょうぶ、ありがとう」のなめかただが、俺は気を引き締めた。
ベッドの上の裸の少女に顔をなめられるという場面、誰かに見られるわけにはいかない。
危機的状況はまだ終わっていないのだ。
俺はすぐに予備の服を取りだし、キュウに着させようとするのだが。
「キュ……」
キュウはなかなか服を着れないでいた。
袖に腕をうまく通すことができず、ズボンを履くために両足を上げようとしてベッドにひっくり返る。
考えてみれば当然だが、キュウは人間の服を着たことがない。
そのうえ、着るのはサイズがまったく合っていない俺の服だ。
俺も手伝って、腕や足の余った部分を何度も折り返し、手や足先を外に出させる。
飛竜の時につけていた首輪を手放したくなかったようなので、ベルト代わりとして腰につけさせた。
足には俺のサンダルの革ひもを調節して履かせる。
どうにか服を着せ終えた頃には、外は明るくなり始めていた。
「キュウ♪」
立ち上がったキュウは、着せられた服を見て満面の笑みを浮かべている。
その顔は表情豊かで、竜だった頃以上にキュウの感情を伝えてくれる。
ところどころ竜のときの仕草を見せることもあって、眺めているだけでも飽きない。
これが夢なら、覚めるまでずっとこのままのんびり過ごしていたいんだけど。
夢でないなら、そろそろ夜番のジオールと交代の時間だ。
うん。さすがに、現状が夢である可能性は捨てよう。現実逃避し続けてもこれ以上は事態が悪化するだけだ。
「キュウ、ちゃんと歩けるか? 痛かったりしないか?」
声をかけると、キュウは小走りに近づいてきて俺の左腕に抱きついた。
飛竜の姿だと四足歩行だったが、今は人間と同じように問題なく二足歩行できている。
もしうまく歩けないならおんぶしていこうかとも思ったが、この様子なら連れ歩いても大丈夫そうだ。
「ジオールたちのところへ行こう。一緒に来てくれるか?」
「キュッ!」
まずジオールにキュウのことを話してみて、今後どうするかを考えよう。
竜が人になったなんて話は聞いたことはないが、もしかしたら騎士団の誰かが何か知っているかもしれない。
俺はキュウの手を引いて部屋の扉を抜け、廊下を歩いて兵舎の外に出た。
兵舎前の広場は、今までにない妙な雰囲気だった。
夜番であろう兵士たちが集まっているが、その大半が地面に座り込んでいる。
みんな、表情が暗い。危険による緊張というより、どうすればいいかわからないという困惑、という感じだろうか。
なにかあったのは確かだろうけど、周囲を見る限りではとくにおかしいものは見当たらない。
広場の中央では、岩騎士ジオールが座り込んだ兵士たち一人一人に何か聞き込みをしているようだった。
「おはよう、ジオール」
「おう、ロン。無事か?」
「ちょっと相談したいことがあったけどケガはしてない。なんか変な雰囲気だけど、魔獣の襲撃でもあったか?」
「いや、襲撃はなかった。だが、なんというか、妙なことが起こってな」
そう言ってジオールが目を伏せた。
いつも真っすぐな物言いをするジオールが言いよどむのは珍しい。
「まだ朝日が昇る前のことだ。北西のほうが光ったと思ったら、紫色の光の粒が雨のように降ってきおった。それはすぐに止まったんだが、それから兵士たちの身体の具合がどこかおかしくなったのだ。たとえば、こいつは足だの」
ジオールが顔を向けた兵士は、浮かない顔で自分のブーツを脱いだ。
その足の甲が、ぼんやりと紫色に光っている。
「これは、大丈夫なのか?」
「痛みはありません。ですが、足の力が抜けていくようで、うまく立てないんです。立ったとしても、まともに歩けません」
兵士は自分の足を見つめながら悔しそうに言った。
「今、夜番の者に話を聞いていたが、全員が身体のどこかをやられておる。個人差があるが、足をやられたやつの半数は歩くこともままならん。腕をやられたのは、槍もまともに握れないのが何人もおる」
「ジオールは大丈夫なのか?」
「わしは、わき腹に一発食らった」
ジオールは首を横に振ると、鎧の腹の部分を外して服のすそをまくり上げた。
その筋肉質の右わき腹の一部が、紫色に光っている。
その光は兵士の足のそれより強く、皮膚の一部が変色しているようにも見える。
「だが、わしは腕も足も動くのだ。痛みはないし、力が抜けるわけでもない。ちょいと気分が悪いくらいだの」
「血が出たりはしていないようだけど、本当に大丈夫なのか?」
「うむ。問題ない。お前さんは、紫の光を受けてないのか?」
「わからないけど、見えるところにその光はなかった」
意識はしていなかったが、自分の鎧を着こんでいるときには紫色の光なんて見なかったと思う。
俺が身をかがめてジオールの光る部分を観察していると、キュウが俺の背中をぺしぺしと叩いてきた。
キュウのほうを向くと、彼女は真剣そうな表情で俺を見ている。
そんなキュウを見たジオールが俺の肩をつついた。
「ところで、さっきから気になってたのだがの。おぬしが連れてきたその子は誰だ? ここにそんな子供はいなかったと思うがの」
「この子はキュウだ。起きたら、この姿になってた」
「は?」
ジオールが一段高い声を上げ、周囲の兵士がざわつく。
俺はキュウの手を握り、自分の横に立たせた。
「キュウって、お前さんの飛竜のことか?」
「そうだ。目を見てくれ。瞳が人とは違うだろ?」
「むうう」
ジオールはキュウを見たまま動かなくなってしまった。
しかし今の話が本当だとすると、キュウも皆と同じように紫の光というのを受けたのだろうか。
そのせいで姿が人間に変わったのか?
だけどさっき服を着せていたときには、キュウの身体に紫の光はなかったと思うけど。
……いや、俺はキュウのすべてをじっくり見つめていたわけではない。必要に応じてちゃんと目をそらしたりしていた。
見落としがあってもおかしくない。おかしくないぞ。
ジオールはキュウと俺を見比べて首をかしげていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「なぜこんなことになったかはともかく、今のところ命にかかわるようなものではなさそうだの。ロンよ。ひとまず夜番の者は兵舎へ戻したいが、足をやられたやつを運ばねばならん。手伝ってくれ」
「ああ。自力で動ける者は自分で、動けない者は俺たちで背負って行くか」
「キュッ」
俺とジオールが動けない兵士を背負おうとする横で、キュウが兵士の両足をつかんで頭の上まで持ちあげた。
キュウは見た目より力が強いみたいで、足をつかまれた兵士は逆立ち状態になって悲鳴をあげている。
「ちょっと待ってキュウ、その持ち方はダメ!」
慌ててキュウを止めると、俺は逆さに吊るされた兵士の両脇に手を入れて持ち上げた。キュウが兵士の足を握った手の高さを下げて、結果的に兵士の角度は地面と水平になる。
キュウはその手を放そうとしなかったので、俺はそのまま二人がかりで兵士を運ぶことにした。
ジオールは動けない兵士を背負って運び、動ける兵士同士でもお互い支えあって歩き始めた。
沈んだ空気ではあるものの、パニックを起こすような者はなく、兵士たちは静かに兵舎へと入っていく。
大半の移動が終わり周囲に兵士がいなくなったのを見計らって、俺はジオールに小声で話しかけた。
「夜勤明けで悪いが、被害状況がまとまるまで付き合ってくれないか」
「む、わかっておる」
「朝番や午後番の兵士たち、あとは昨日ここに来てくれた補給隊にも、同じ症状が出ていないか調べたい。これでもし全員に何かしらの被害があるなら、防衛方法を根本から見直さないといけない」
「そうだの」
ジオールはうなずいたあと、「これは深刻だの」とつぶやいていた。
紫の光、キュウの変化、兵士たちの変調。
一番の不安点は、どれも原因が全くもって不明ということだ。
この人生で最高の窮地は、さっきの裸になったキュウを自分の部屋に連れ込むところだと思っていた。だけど、案外もうすぐ記録更新することになるかもしれない。
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