欠けた騎士との開拓録 ~竜騎士ですが竜が女の子でした~

海原くらら

第1部 欠けた竜騎士ロンの愛竜

第1章 人が欠ける紫の雨

第1話 竜騎士ですが竜が女の子でした

 寝ていた俺のまぶたを、温かいなにかがなでていく。


「キュオン、キュオン」


 俺の飛竜、キュウが、小さな鳴き声で俺を呼んでいる。

 竜のキュウは俺の名前を「ロン」と発音はできないけど、代わりに「キュオン」って鳴いて呼ぶ。

 まぶたをなでているのは、キュウの舌だろう。俺を起こしたいみたいだ。


 いつもは俺が先に起きるけど、今朝は珍しくキュウのほうが先に起きたらしい。

 俺の胸にのしかかる感触からして、毛布の中に首を突っ込んできたのかな?

 目を閉じたまま手探りでキュウを探すと、すぐにその身体に指が触れた。

 いつもの鱗の肌とはちょっと感触が違うけど、キュウのどの部分だろう?


「キュウゥ」


 毛布の中にあるすべすべした肌をなでると、キュウが気持ちよさそうな声をあげる。

 俺の顔をなめまわす舌のスピードが少し早くなった。


「起きるよ。起きるから、目をなめるのをやめてくれ」


 俺が言うと、キュウの舌の感触が目の上から鼻の上に移動した。なめるのを止める気はないみたいだ。

 目を開けると、すぐ前に俺を見つめるキュウの大きな瞳があった。

 竜の特徴である深緑の瞳に、黒く縦長の瞳孔。

 見慣れない人は驚くだろうけど、竜騎士である俺にとってはいつもの相棒の目だ。

 あたりはまだ暗い。夜明け前かな?


「おはよう、キュウ。今日は早起きだな」

「キュッ」


 キュウが一声あげて、俺の鼻から舌を放し首を上げる。

 その顔が少し離れたところで、俺は自分の思い違いに気づいた。


 キュウじゃない?


 そこにいたのは、若草色のショートヘアの、女の子。

 竜の女の子ということでなく、人間の女の子だった。

 その子は俺の使っていた毛布をかぶったまま、まっすぐにこちらを見ている。

 あどけない顔つきで、だいたい十歳くらいの子か?


 その瞳は竜と同じだけど、肌は鱗じゃなくて普通の人間の肌。

 髪の色はキュウの鱗と同じ若草色。でも、口も鼻も眉毛も普通の人間のもの。

 

 その女の子は、動けなくなってる俺の目をじっと見つめていた。

 誰、この子?

 俺のキュウはどこいったの?


「キュ?」


 竜の瞳を持った女の子が俺の上で可愛らしく鳴いた。

 ああ、その鳴き声はキュウそのものなんだよ。

 小首をかしげたその仕草もキュウそっくりだ。

 どうしたの? のポーズ。

 どうしたのって聞きたいのは俺のほうなんだけど。


「ちょっと、待って、くれないか」


 考えがまとまらず、俺は途切れ途切れにそれだけ言うのが精いっぱいだった。

 女の子は目を細めて俺の胸の上にあごを乗せると、じっとこっちを見つめてくる。

 その動き方もまたキュウと同じものなんだけれど、見知らぬ子にされると違和感がすごい。


 飛竜は人の言葉をしゃべれないが、代わりに身振り手振りやしっぽの振り方、鳴き声の調子で言いたいことを伝えようとする。

 それに俺は子供のころからキュウとずっと一緒に育ってきた。だから俺はキュウの仕草で言いたいことがだいたい読み取れるつもりだ。


 たとえば、お互い寝起きである今みたいな状況の場合。

 俺にすぐ起きてほしいなら、キュウはまた顔をなめ始める。

 二度寝したいなら、俺の身体に頭を預けて目を閉じる。

 今みたいに俺を見つめたままじっとしているのは「起きるまで待ってるよ」のサインだ。


 俺の手の指を女の子の前に持っていくと、その子は軽く匂いをかいだあとに、身を乗り出して指先を口に含んだ。

 その口の中で、俺の人差し指が優しくなめ回される。

 この、俺の味を確かめるようなゆっくりした舌の動かし方も、間違いなくいつものキュウ。


 とすれば、これは。


「夢か」


 たぶん、そういうことだ。

 夢はけっこう見るほうだし、今みたいに「これは夢だな」と思える夢もわりと見る。俺が飛竜になって、キュウと一緒に空を飛ぶ夢なんかも何度も見ているのだ。

 今回みたいにキュウが人になる夢というのは初めてかもしれないけど。


「さあ、キュウ。起きるから指を放してくれ」


 きっとキュウだと思う女の子に声をかけると、その子はしゃぶっていた俺の指を開放してくれた。

 俺が上半身を起こすと、女の子は毛布と一緒に俺のすぐ横へ移動し、座ったまま背筋を伸ばして両手を自分の前の床につけた。

 いわゆる、犬のお座りの姿勢だ。

 俺がそばにいるとき、キュウはだいたいこの姿勢で座っている。竜騎士となった俺がいつでもその背に乗って飛べるように。


「キュ? キュウッ?」


 床についた自分の両手を見て女の子が目を丸くし、首をこっちに向けた。

 一呼吸置いて、もう一度自分の腕を見回し、手のひらと手の甲を交互に見てから、またこっちを見る。


 キュウは本気で驚いたときにこっちを二度見する。この子がやった二度見のリズムも竜のときとぴったりおんなじだ。

 うん。もうこの子はキュウに違いない。それでいいや。


「キュウウウゥ……」


 キュウは自分の腕が人間のものになっているのに納得がいかないみたいで、その細い手でぺちぺちと床を叩いている。


「ほら、大丈夫だよ。どんな姿でも、お前はキュウで、俺の相棒だ。そうだろ?」


 俺がそう言うと、不安そうに眉を下げていたキュウが手を止めてこっちを向く。

 その拍子に、キュウがかぶっていた毛布が床に落ちた。

 首に引っかかっていた飛竜用の黒く大きい首輪がずり落ちて、彼女のふくらみかけた胸の危ういところで止まる。

 その時、俺もキュウと同じくらい、いやきっとそれ以上に驚いた。


 裸ですかい!


 俺はとっさに床の毛布をつかみ、キュウの身体にかぶせる。

 そりゃ、飛竜は別に服を着ないし、着せないよ?

 竜騎士の騎竜になにかつけるとしたら、首輪と、騎乗用の鞍くらいだし。

 でも今のキュウの姿は人間の女の子です。

 それはいけません。とてもいけません。


 キュウはしばらく俺の目を見つめていたが、毛布をつかんで首の周りにまきつけ、座り込んで毛布の匂いをかぎはじめた。

 この様子なら勝手に歩き回ったりはしなさそうだ。


 俺は周囲に目を走らせた。

 ここは馬小屋の一番はじっこにある飛竜用のスペース。俺とキュウの今の寝床だ。

 幸いというかなんというか、俺たちの他に人影はなかった。


 身体の大きい飛竜を怖がる者も多く、夜の俺たちの寝床に誰かが入ってくることは滅多にない。

 今の俺たちの姿を他人に見られる可能性は少ないだろう。たぶん。


 だが、このままでは非常にまずい。

 鈍ってた頭の思考速度が急激に早まっていく。


 夢だったとしてもこの状況はよろしくないし、夢じゃなかったとしたら致命的だ。

 第三者から見たら、今の俺は馬小屋に裸の少女を連れ込んだ犯罪的ド変態だろう。

 服だ。せめてキュウに服を着せないと俺が社会的に死ぬ。殺される。


 ここは馬小屋だ。馬具や干し草なんかはあっても、女の子のキュウに着せられそうな服は置かれていない。

 確か、俺の部屋の中に予備の服があったはず。

 だが俺の部屋は距離的には近いとはいえ、この馬小屋から出て隣の兵舎に入らなければいけない。誰にも見つからないで。


 外の暗さからして、まだ夜番の兵士以外は寝てるだろう。行くなら今だ。

 昨日に確認した、夜番の巡回ルートはどうだったっけか?


 俺はキュウを毛布ごと抱き上げると、昨日のことを思い出しながら息を殺して歩き出した。

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