第7話 俺より大変なやつがいた
ジオールが会議室を出ていき、俺は懐から伝書魔法紙を取り出した。
四隅に血の色の小さな石が埋め込まれた、長方形の伝書魔法紙。使用者の血を魔術的な技法で石に変え、特別な紙に埋め込んだものだ。これは二枚一組で、送信側の一枚を俺が持ち、受信側のもう一枚は開拓騎士団本部の竜騎士部門に保管されている。
送信側の紙に文字を書き込んでから使用者の血を魔法紙にたらすことで、紙に組み込まれた伝書魔法が発動し、書かれた文字が受信側に転写されるというものだ。
魔法紙は指二本分程度の大きさしかない。それに加えて、送った先では文字がにじんで表示される。細かい文字では読めなくなってしまうので、受信側でも読めるよう、ある程度の大きさの文字で書き込む必要がある。
つまり、最低限の文字数で事態が伝わるような文章を書かなければいけない。
俺は少し考えてから、以下の文章を送ることにした。
「ドクスイショウ ヘイシ ゼンイン ウデ アシ ウゴカズ シキュウ エングン モトム」
毒水晶という言葉はドワーフの言い回しらしいが、一応入れておく。
もっと良い文面があったかもしれないけど、時間の余裕もない。最低限、兵士が動けず援軍が必要ということが伝わればいいだろう。
俺は腰の短剣を抜いて左手の人差し指を軽く切りつけ、にじむ血を伝書魔法紙の上側中央に塗りつけた。
文字と一緒に血の跡も受信側へ転写されるので、この血の位置にも意味が持たされている。
紙の左側は軽傷、中央は後遺症の残る重症、右側は死亡または致命傷。どの位置にも血が無ければ無傷。
また、上側は竜、下側は騎士の状態を示している。
両方とも無傷なら血を塗る場所が無く魔法を発動できないが、この伝書魔法を使うのは竜と騎士どちらかが動けなくなったときの非常時だ。どっちも無事なら竜に乗って自力で連絡しに来いという話になる。
今回は、俺は無事だがキュウが飛べなくなったことを伝えるため、上側中央にだけ血を塗った。
伝書魔法紙の四隅の石が光り、ゆっくりと黒色へ変化していく。魔法は問題なく発動しているようだ。
「キュ」
紙をしまおうとしたところで、左手をキュウにつかまれた。
キュウはそのまま、俺の人差し指を自分の口に持っていく。
「おっ!?」
思わず声を上げてしまったが、キュウは両手で俺の腕をしっかり握って押さえると、指先の傷口をなめ始めた。
竜の姿だった時のキュウも、俺が怪我をした場所をよくなめていた。
そう、こんなふうに、血をなめとり、傷口の上を舌で軽くなで、その周りをゆっくりと円を描くようになぞる。
ときどき、こっちが痛がっていないか、上目遣いでこっち見る。
キュウが竜の姿の時は気にしなかったけど、少女の姿でされると、すごく居心地が悪い。
指先を女の子になめさせる男とか、王都にいたら普通に通報ものではないだろうか。
「キュッ!」
やがてキュウは俺の指から口を放すと、これで大丈夫だと言わんばかりに笑顔を見せた。
人差し指からの血は止まっているが、それ以上にキュウのよだれで濡れている。
「ありがとう、キュウ」
キュウの頭をなでてから、俺はかがんでキュウと目線を合わせ、言い聞かせるように付け加える。
「でも、人前ではやらないでね?」
◇
会議室から外に出ると、太陽はだいぶ上のほうにまで来ていた。
兵士たちに聞いてみたが、午後番のマールはまだ部屋から出てきていないらしい。
交代の時間も近いし今の状況を伝えたいので、マールの部屋へ直接来てみた。
「マール。俺だ、ロンだ。起きてるか?」
「キュー、キュー」
ノックしてみると、二呼吸ほどしてから扉が開かれたのだが。
「うおあっ!」
「キュッ!」
俺とキュウは悲鳴を上げてしまった。
そこにいたのは、上半身が裸マント、下半身がブーメランパンツに毛皮ブーツの、豊かな白髪に白髭を持つ筋肉ムキムキの老紳士だった。
「ホッホゥ」
老紳士がそう言って、いや鳴いて? から、挨拶するように右手を上げた。
「キュ? ……キュッ?」
ちょっと遅れて、キュウもつられたように右手を上げる。
この挨拶、昨日も見たぞ。
「もしかして、クーか?」
「ホウ」
老紳士は小さくうなずくと、右手を下ろした。
マールの使い魔、大フクロウのクー。改めてよく見てみると、面影というか、共通点はある。
ブーメランパンツやマントは、クーと同じ茶色と黒のまだら模様。これはクーの地毛だろうか。
ブーツに見えた足元は羽毛で、これまた彼の地毛のようだ。つま先は、猛禽類の鋭い爪がむき出しになっている。
マントと思っていた部分は、翼だったみたいだ。
そして、鳥って筋肉すごいのね。俺も鍛えてるけど、あの筋肉量には勝てる気がしないわ。
しかしこれは、クーも毒水晶の光を受けて、キュウと同じく人間の姿に変化したということだろうか?
キュウに比べると、フクロウの部分が多く残っているようだけど。
「ホウホ」
どうぞ、と言っているのか、クーは一歩下がって翼マントを部屋の奥に向けた。
その指し示す先、毛皮が敷かれた床の上で、四つの人影がひと固まりになって座っている。
それは、後ろと左右の三方向から女性に抱き着かれた、マールだった。
後ろは、黒髪で頭の上にクマのような丸い耳が頭上についた、大柄の女性。
左は、キツネのような細長い黄金色の尻尾をふりふりしている、今のキュウよりもさらに小さい金髪幼女。
右は、リスのような大きい尻尾をつけた、マールと同年代くらいに見える茶髪の女の子。
マールは、三人に抱き着かれるままになっており、うつろな目で斜め上を見上げている。
三人の女性をよく見ると、クーと同じく動物の部分が多く残っていた。
顔つきや身体つきは人のものだが、耳や目はそれぞれ元の動物のものに近い。
ひじから先、ひざから下、それに腰回りから股下までの部分は、動物のように毛皮で包まれており、それ以外のところは人のような素肌が見えている。
しっぽの形は動物そのままで、動物のころの身体の比率に合わせた大きさになっているようだ。
俺は、女性に囲まれたマールの表情を見て確信した。
あのマールは、今朝の俺だ。
起き抜けに、人になったキュウを見て、なにがなんだかわからなくなった時の俺だ。
マールの場合、使い魔の四体がすべて人型に変化したんだろう。
相手がキュウ一人だった俺に比べて、一度に四人が変化したマールが受けた衝撃は、単純に考えて四倍。
そして、あのうつろな表情からして、半裸の女性たちに囲まれた今のありさまを他人に見られたらまずいというところにまで考えが及んでいない。
幸い、マールは俺に気づいていないようだ。
俺は、無言でそっと部屋から出て、静かに扉を閉じた。
これが、今の俺にできる、せめてもの優しさだ。
「ホウ? ホウッ?」
すぐさま、クーの手で扉が開かれた。
そっとしておいてあげようよ!
「いや、今はまずいと思うんだよ俺は」
「ホウホウ、ホウッ」
「まず全員に服を着せてやるんだ。それが済むまで、部屋に誰も入れないほうがいいと思うよ?」
「ホウッ!」
俺の説得に効果はなく、クーはしきりに俺を部屋に入れようとする。
「アニキ!?」
あ、マールと目が合っちゃった。
「大丈夫、落ち着くんだ。俺は見なかったことにしてやるから」
「アニキ、待ってくれよ! 助けてくれよ!」
おおう、ここで俺を呼びとめるのか。
今朝の、俺がキュウを部屋に連れ込んだ状況なら、俺は絶対に他人を部屋に入れないぞ。
「キュ、キュ」
だが、どうやらキュウも部屋に入ったほうがいいと思ってるらしい。俺の背中に回って、両手で押してくる。
「お願いだよ。オイラ、もう、どうしていいかわかんないんだ!」
「ホウ、ホウホ」
「わかった。わかったから、入るから、みんな落ち着いて、ね?」
キュウとクーに押され、俺はマールの部屋に入れられた。
すぐにクーが扉を閉め、ふさぐように寄りかかる。
逃げ道のなくなった俺は、改めてマールたちを見た。
困り果てた顔のマールは、両腕と背中をがっちりと使い魔たちに抱きしめられ動けないようだ。
「こいつらだけどさ、その、信じてもらえないかも、しれないけど……」
マールが口を開くが、その言葉はどんどん小さくなっていく。
彼に抱き着いていた三人は、顔だけこちらに向け、無言で俺を見つめてくる。
「お前の使い魔だろう? クマのガウに、キツネのクァオに、リスのクォン。手前の二人は、しっぽが大きいからわかりやすい」
「そ、そう! そうなんだけど、正直、オイラなんでこんなことになったのか、わからないんだ。本当に信じてくれる?」
「信じる。こっちも似たようなことになってるんだ」
俺はキュウを前に出すと、その頭に手を乗せた。
キュウは、人間の姿になった使い魔の三人をじっと見つめているようだ。
「キュウも、人間の姿に変わってた」
「え、その女の子って、その子がアニキの竜なの!?」
どうやらマールには、キュウの姿が目に入っていなかったらしい。まあ、俺も今朝の自分の混乱っぷりを思い出すと、あまり人のことは言えないけど。
マールに抱き着いていた三人も、その手を放してキュウのほうに身体を向ける。
「とにかく、その、なんだ」
俺はそっと視線をそらした。
彼女たち三人と、ついでにマールは、下半身は毛皮っぽいもので隠されているが、上半身は裸のままである。
「ひとまず、上になにか着せてやれ。お前の服の余りとかあるだろ」
「服って、オイラは予備の胸当てくらいしか持ってないよ」
「なんでそれしか持ってないんだよ……」
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