第十四回 煬帝は史を読みて城を修め、慶児は君を拯いて夢に魘さる

煬帝ようだいは史を読みて城を修め

慶児けいじは君をすくいて夢にうなさる





煬帝ようだいは十六夫人の造った草花を楽しんでよりまた日々を洛陽らくよう西苑せいえんで送るようになり、十六夫人は心を尽くしてもてなします。


樹々につけた造花がいろせれば新しく取り換えて常に春色を保ち、煬帝はその景色を喜んで遊楽に耽溺たんできしていったのでございます。


美女であれば夫人、宮女を問わず日夜ただ淫楽のみを事とし、手には盃中はいちゅう美酒びしゅ、耳には絲竹しちく音曲おんぎょく、夫人たちは手を変え品を改めて煬帝の心身を愉しませ、煬帝の魂はもはや現実の政治などにはございません。


夫人のなかでも造花を考えついた秦夫人しんふじんのいる清修院せいしゅういん逗留とうりゅうすることが多くなり、ある時、煬帝は秦夫人の手を引いて龍鱗渠りゅうりんきょの傍らを散策しておりました。


その時、上流より桃の花弁が水面みなもを流れ下って参ります。


この清修院は周囲を龍鱗渠に囲まれて小舟でしか到りつけず、その水路も屈曲して岸には桃の木が植えられ、武陵ぶりょう桃花源とうかげんの景色を模しておりました。


煬帝は工夫の利く秦夫人の趣向であろうと思って申します。


「よい眺めである。桃花源の仙境に身を置いているようだ」


そう言ううちにも桃の花弁は目の前を流れ、水面をよく見れば胡麻飯ごまはんのついたお椀まで浮いております。

陶淵明とうえんめい桃花源記とうかげんき』に胡麻飯の逸話はなく、『太平廣記たいへいこうき』巻六十一に収める同種の逸話では胡麻飯のついたお椀が流れてきたことで上流に人里(仙境)があると気づいており、こちらを採用したようです。


「さて、誰がこのようなことを致しましたのやら」


秦夫人がいぶかしに言うと、煬帝が笑います。


「夫人でなくて誰がこのような工夫をするものか」


「いえ、わたくしは何もしてございません。怪しいことでございます」


そう言うと、秦夫人は宮女を呼んで竿で水面の桃花を掬わせてみれば、それらは造花ではなく真の花、それを見た煬帝が驚くと秦夫人が申します。


「冬の最中に桃の花とは異なこと、このほりは仙境に通じたのやも知れませぬ」


「この龍鱗渠はちんが新たに掘らせたもの、その源は西京さいきょう長安ちょうあん太掖池たいえきちに通じておる。どうして仙境と通じることがあろうか」

▼西苑は東都とうと洛陽らくよう顕仁宮けんじんきゅうの西にあり、長安の太掖池に通じているはずはありません。


「それでは、妾とともに舟に乗ってこの花がどこから来たのか、たずねてみましょう」


秦夫人がそう言うと、煬帝は一隻の小舟を呼んでともに座し、一人の宦官かんがんさおさして渠をさかのぼって参ります。





舟が渠を遡る間も桃の花は途切れることなく流れ下り、小舟は小さな石橋をくぐって鬱蒼うっそうと茂る大きな柳の樹々の下に到りました。


先を見れば一人の女子が水辺にあって桃の花を水面に散らしており、煬帝が小舟を寄せてみれば他ならぬ妥娘だじょうでございました。


「誰の仕業かと思えば、この小娘であったか」


煬帝が膝を打って笑うと、妥娘が申します。


「桃の花がなければ、陛下が妾のもとに来られることもございませんでしたでしょう?」


「この小娘も悪知恵を憶えたものだ」


煬帝はそう言うと妥娘にも舟に乗るよう命じました。


「今は冬の最中というのに、この桃の花はどうやって手に入れたのでしょう?」


秦夫人が問うと、妥娘が申します。


「春先に樹々の下に散っておりましたものを集めて箱に入れ、ろうで封じていたのです。一時の戯れでございましたが今になっても色鮮やかなままなのです」


「お前は書も読まないのにどうして桃花源の故事を知っているのか。そうでなくては胡麻飯のついた椀を流す工夫はできるまい」


煬帝が問うと妥娘が怒って申します。


「陛下は妾が文字を知らないと侮っておられるのですか?」


秦夫人はまだ訝し気です。


「桃花源のことは昔からの言い伝えですが、出所が怪しいと聞き及んでおります。もともとはどのような書物に書かれているのでしょう?」


「『漢書かんじょ』や『晋書しんじょ』には桃花源の逸話はなかった。『秦史しんし』はまだ読んでおらぬので、そこにあるのやも知れぬ」

▼『晋書』は唐代に編纂へんさんされた現行本ではなく、それに先行して編纂された「十八家じゅうはちか晋史しんし」とお考え下さい。『秦史』は『隋書ずいしょ經籍志けいせきしには該当しそうな書名はありませんでした。


好奇心旺盛な秦夫人は喜んで申します。


「その書はいずこにありましょうや。陛下とご一緒に本当に載っているか、見てみたく存じます」


「『秦史』は観文殿かんぶんでんにあろう。それならば見に行くとするか」


煬帝はそう言うと、大船を呼んで秦夫人とともに乗り移り、観文殿に向かったのでございました。





観文殿は大量の蔵書を収めて四方の壁面すべてに棚が置かれ、棚には書巻が満ちて前漢の書庫であった石渠閣せききょかくのよう、蔵書の量では西園せいえん酉陽山ゆうようさんにも劣りません。

▼通常、国家の書庫は「石室せきしつ」または「金匱きんき」と呼ばれますが「西園」の例はなさそう。テキトーなの?酉陽山は長沙の西の沅陵げんりょうにあり、秦の始皇帝の焚書を避けて千巻の書が隠されたと伝えられます。


煬帝が宦官に命じると、『秦史』を載せた龍の模様入りのつくえが運ばれ、二人はそれぞれ一冊を手にしましたが、どこにも桃花源の記事はありません。


煬帝が別の一冊を手にすると図らずも始皇帝の本紀、物憂ものうく冒頭を読んでみれば天下巡行と泰山たいざん封禅ほうぜんの儀式について書かれておりました。


読むうちに煬帝は始皇帝やうらやましくなり、ひたすらに読み進めば記事は天下より人夫を挑発して万里の長城を築くところに至ります。


「英雄のなすことは自ずから壮大になるものよ」


煬帝が案を打ってそう言うと、秦夫人が何ごとかと問いかけました。


「秦の始皇帝は匈奴きょうどを防ぐべく万里の長城を築き、後代はその恩恵にあずかった。真の英雄でなくてはどうしてこの大功を建てられようか。秦の時代より今まで七、八百年が過ぎても夷狄いてきが中国に入れないのはこの長城の力である」

▼煬帝の母の獨孤氏どっこしは匈奴出身です。


「七、八百年も過ぎたのであれば、もはや崩れたところもございましょうね」


「真にその通りだ。もしそうであるならば惜しむべきこと、朕が修理して始皇帝の勲功を補わねばならぬ」


そう言うと、煬帝は桃花源のことを忘れて慌ただしくてぐるまに乗り、顕仁宮に帰っていったのでございました。





煬帝は便殿べんでんに百官を招集して申します。


「秦の始皇帝の長城は西北一帯の要害であるが、今や破損しているところも多い。これを捨て置くわけにはいかぬ。卿らはどうして上奏して修理を申し出ぬのか」


丞相じょうしょう宇文達うぶんたつが申します。


「長城は破損してすでに久しく、歴代にこれを修復せんと望む明主めいしゅがおりませんでした。しかも、修復には多くのついえを要し、軽々に議論できるものではございません。今や聖慮せいりょが万里の外に察されたごとく、修復して一新すれば万世の幸いと存じます」


「朕がこの長城を修復せねば、次にこのような大事を行う者は出まい」


煬帝は満足げにそう言うと、尚書しょうしょ左僕射さぼくや蘇威そい司農卿しのうけい宇文弼うぶんひつに命じて天下の人夫百二十万人を徴発し、二カ月で修復を終えるよう命じます。


蘇威は先年、高熲こうけい賀若弼がじゃくひつの誅殺を諫めて官爵を削られておりましたが、虞世基ぐせいき宇文愷うぶんがいの推薦で再び宰相の一人として復帰しておりました。


その蘇威が煬帝の命を受けて申します。


「秦の始皇帝が長城を築いた際には限りなき金銀米穀を費やして天下の万民を苦しめ、怨みの気は天に昇ってこくする声は野に満ち、ついに四方に盗賊が起こって長城の完成前に父子ともに滅んで国を奪われてございます。このため、代々の明主はこれをいましめとしたのです。何ゆえに陛下は阿諛へつらいの言葉を聴いて故なく大工事を行おうとされるのですか。ましてや、大隋の天下を守るのは要害ではなく徳でございます。もしこの大工事を行われれば、大隋は秦と同じわだちを踏みましょう。ご再考願わしく損じます」


「先に朕が美女を選ばせたときにお前は国が衰えると言ったが、朕は今や西苑の十六院と江都こうとの四十九宮に数万の美女を入れ、それでも国家はますます繁栄して衰える様子もない。長城を修復して万世の利を建てようというのに今またお前は妄言を吐いて止めようとするのか」


「臣の諫言かんげんを聴かれず、かえって長城の修復をお命じになるのであれば、臣は一身が滅びても詔に従いかねます」


「朝廷には数多の官人がおる。どうしてお前の他に長城の修復を命じられる者がおらぬわけがあろうか」


煬帝は激怒して蘇威を追い出し、改めて宇文弼を脩城しゅうじょう都護とごに任じて責任者とし、宇文愷をその副としたのでございました。


煬帝の命を受けた宇文弼と宇文愷は即日に天下に命を発して人夫と銭糧せんりょうを徴発し、西は楡林ゆりんから東は紫河しかまで万里の間にある長城の破損を繕い、崩壊したところは新たに築かせます。

▼紫河は隋代の冀州きしゅう定襄郡ていじょうぐん大利縣だいりけんにあります。


長城修復による国の費えと民の苦しみは甚だしいもの、天下の百姓の死者が幾ばくかも知らず民の嘆きも顧みず、宇文弼と宇文愷は日夜督促して二月の間に修復を終えたのでございました。


二人が長城修復の完了を上奏すれば、煬帝は喜んで官職を昇らせて士卒に恩賞を下し、巡幸じゅんこうして長城を視察すると申しましたが、蕭皇后しょうこうごうはそれを止めて申します。


「今は炎熱の気候、巡幸には不向きでございます。秋涼しゅうりょうを待って出発されるのがよろしいでしょう」


煬帝は皇后の諫めを聴いて巡幸を延期したのでございました。





ある日、煬帝が蕭皇后とともに小香車しょうこうしゃで西苑の景明院けいめいいんに出向きますと、院主の梁夫人りょうふじんが出迎えて酒宴となりました。


この景明院は三間の大殿が北海ほっかいに臨み、四面は開けて涼風が吹き込みますので、炎熱の時候にあっても暑気を覚えることがございません。


三人はその快さに覚えず痛飲し、揃って碧紗へきしゃとばりのうちで休みましたが、しばらくすると煬帝ひとり目を覚まして外を見れば月の光がのきの縁より差し込んでおります。


身を起こして殿より出れば宮女たちが梁夫人を起こそうとしますが、煬帝は手を振ってそれを止め、王義おうぎだけを連れて庭に出ました。


月明りの中を散策しておりますと、たちまち一陣の涼風が梧桐ごとうの間を吹きわたり、颼颼しゅうしゅうと秋風の音を響かせたのでございます。


ここは秋声院しゅうせいいんと呼ばれて周りはすべて梧桐の木、つねに秋風の音がしており、院主の李夫人りふじんは小名を慶児けいじと呼ばれて性格は温厚、もともと煬帝の寵愛が深い人です。


煬帝が興に乗じて院中に入れば、宮女たちはすべて奥向きにあって南軒みなみののきの下では慶児が独りで眠っておりました。


煬帝が戯れに起こさず添い寝してみれば、肌には冷や汗を流して呼吸は荒く、何かを恐れているかのよう、夢中にうなされていると煬帝は悟り、王義に呼び起こすよう命じます。


王義が駆けよって七、八度も声をかけるとようやく目を覚まし、しばらく心を静めて落ち着いたところに煬帝が声をかけました。


「夢の中でどのような急事があってそんなに慌てているのか」


「妾は陛下の夢を見ていささかうなされておりました。どのような夢であったかは申せませぬ」


「聖天子には百神の守護がある。どうして不吉などを恐れようか。早く話すがよい」


「先ほど夢の中にて陛下が妾の手を執られてともに十六院を遊び回り、第十院の殿上に酒盃を干されると空中より一条の白龍が下りて首を巡り、また虚空こくうに飛び去ったのでございます。その後、陛下は院の四面を囲むすももの花を愛でつつ飲んでおられましたが、忽然こつぜんとして一陣の風が起こると花々は猛火に変じ、殿屋でんおくにも火が及んで妾は驚き慌てて人を呼ぼうにも誰もおらず、途方に暮れるところを陛下に起こして頂いたのでございます。この夢がどのような吉凶きっきょうを意味するかは分かりません」


煬帝は不祥ふしょうの夢と知ってしばらく呻吟しんぎんしておりましたが、ようやく申しました。


「龍は君のしょう、白龍が我が身を巡ったのは四海のみなが来朝するものであろう。李花すもものはなは富貴のしるし、夢に死ぬのは生きるきざし、火は威烈いれつせいであって朕がその中にあるのは天下の威をほしいままにするのであろう。この夢は大吉である」


それを聞いた慶児が愁眉しゅうびを開いて喜ぶ一方、吉凶を悟った王義は進み出て申します。


「夢の吉凶は測りがたいものでございます。陛下におかれましては徳を修め、禍を転じて福となされますよう」


「お前の言葉には理がある」


それより、煬帝と王義が話しているところ、蕭皇后と梁夫人が宮女に碧紗へきしゃ灯篭とうろうを持たせて秋声院を訪れ、慶児は慌てて出迎えると院中に招じ入れました。


それよりはみなで笑い戯れて時を過ごし、煬帝が先ほどの慶児の夢を語って聞かせれば、蕭皇后は喜んで申します。


「そのような吉夢を見られたのであれば、慶賀しなければなりませんね」


ついに皇后は酒宴の支度を命じ、それよりみなで飲み直したことでございました。

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隋煬帝外史──隋煬帝艷史── 河東竹緒 @takeo_kawahigashi

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