第八回 富強を逞しくして西域に市を開き、兵戈を擅にして薊北に詩を賦す
※
翌朝、朝賀が終わると
「先に西域の鎮将より異国の者たちが中国との交易を望んでいるとの上奏があった。諸卿は交易の可否をどのように判断するか?」
それを受け、
「今や西域の諸国は年ごとの朝貢を欠かさず、さらに中国との交易を求めているとのこと、これは
煬帝はそれを聞いて内心に喜んだものの、敢えて裴矩に問いかけます。
「卿の言う五つの利はよろしかろう。しかし、異国が交易を望むと偽って謀を企てておるやも知れぬ。それにはどう対処するつもりか?」
「天朝の富強をもってすれば、異国が謀を企てていたところで憂えるに足りません。ご心配とあらば謀臣を遣わして事にあたらせ、未然に防がせましょう」
「この任は重大なものである。しかし、それほど自信があるならば卿を措いて適任の者はおるまい」
そう言うと、煬帝は裴矩の本官に加えて
しかし、その時、
▼兵部尚書は要するに大司馬、軍部のトップです。段文振は若い頃に北周の宇文護に抜擢された人で宿老の一人です。
「陛下、しばらくお待ち下さい。西域との交易にあたっては三つの不可がございます。まず、異国より手に入れられる物は珠玉や
段文振に口を極めて非難された裴矩も黙ってはおりません。
「兵部尚書の言葉は理にあたっておりません。綾錦を珠玉に換える利は百倍にあたりましょう。さらに、珠玉を無用の物と言うのであれば、中国の金銀もまた着れず食べられず無用の物となりましょう。しかし、金銀を無用の物と考える者はおりません。また、異国の人の心は測りがたいものの、その智謀は中国の人に遠く及びません。まして、古来より帝王は誠心をもって人を
いずれの言い分が煬帝の心に叶うかは言うまでもなく、裴矩の言葉を聴いた煬帝も
▼勃然は怒った様子です。
「交易の利はすでに明らかであるに、段文振はかえってこれを害であると言う。どういうつもりであるのか」
「陛下は先帝が開かれた泰平の後を継がれ、いまだ戦陣に臨んで辺境の現実をご存じない。もしも裴矩の言葉に従われれば、必ずや国家の禍となりましょうぞ」
痛いところを突かれた煬帝は怒って叫ぶよりありません。
「段文振、お前は朕がこれまで戦陣に臨んでいないなどと妄言を抜かすか。西域との交易を行うことがどうして国家の禍となり得よう。
段文振はなおも進み出て諫めようとしますが、煬帝は言い捨てると玉座を起って退いてしまいました。
「聖上は老臣の言葉を聴かれず、十年のうちには必ずや天下は乱れよう」
段文振はそう呟くよりございませんでした。
※
思惑通り西域との交易を煬帝に認められた裴矩は急ぎ私邸に帰ると、まずは煬帝の意向を告げ知らせた
張掖では鎮将たちを召し出して異国との交易を開くとの
ほどなく周辺諸国まで煬帝の勅旨が伝わり、それぞれに宝物を
それより、張掖に向かう異国の使者が往来に絶えず、市には中国の錦綾と異国の宝物が山と積まれ、裴矩と鎮将たちはその取引から莫大な財を積み重ねます。
その一方、段文振が懸念した如く、使者の往来に伴う費えはすぐさま百万を超え、近隣の百姓は見る間に疲弊していきます。
郡縣の官吏たちは先行きを憂え、張掖を訪れて裴矩に訴えましたものの裴矩は煬帝の勅旨をたてに聞き入れず、百姓はただ夫役の労苦に苦しみ、郡縣の官吏は手を
百姓の嘆きをよそに、裴矩は諸国の商人を買収してその山川風俗を訊ね、四十四ヶ国を絵図に写して『
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裴矩より届けられた異宝と『西域図記』を前に、煬帝は大いに喜んで
「朕が異国との交易を許さねば、このように座して諸国の山川を知ることができたであろうか。愚かな段文振めは国を誤らせようとし、あまつさえ朕は戦陣を知らず、辺境の事に
「古より、天子は
煬帝はいよいよその気になり、翌日には諸々の大臣を殿上に呼び上げて命じます。
「古の聖王はみな天下を巡狩し、民の苦しむところを問うたと聞く。南朝の君主は常に深宮に座して百姓の声を聴かず、柔弱なることこの上なかった。朕はその
「今や天下は泰平、辺境も無事でございますれば、陛下は京師に座してただ百姓に徳を施されるべきでございます。巡守は天子の盛事ではございますが、行く先々の民を労して財を費やすもの、ご再考願わしゅう存じます」
大臣たちは口を揃えて諫めましたが、それで引き下がる煬帝ではございません。
「臣たる者は君を
そこまで言われてなおも諫める者はなく、煬帝の命を受けて退くよりありません。
この頃、楊素は酒色に耽って朝政から心を離しており、強いて煬帝を諫める度胸もない朝臣たちは日に夜を継いで巡幸の準備を進めるのみでございました。
※
古より忠臣は少なく
▼隋では
また、
▼民部はつまり戸部で戸籍などを扱う部署、隋では
これは六、七百人も乗れる巨大な車で、四方には珠玉を飾った錦の
八月の中旬には
従う軍士は五十万人、馬匹は十万を超え、皇帝の所在を示す竜旗が日を覆って貴人に差しかける
煬帝は観風行殿の内より沿道の風景を愛で、群臣との酒宴で詩を賦しつつ早くも数日が過ぎ、一行は
▼金河は
※
そこで煬帝が観風行殿の帳を出た折、にわかに大風が吹いて塵を揚げ砂を飛ばし、面を打たれた煬帝は驚いて帳の内に入り、宮女に囲まれてまた酒宴を始めます。
四方を帳に囲まれた観風行殿の中であれば
煬帝が怒って群臣に風を防ぐよう命じますと、
「宇文愷はすでに動く御殿を造り上げたのですから、動く城が出来ない道理はございません。動く城であればただ風を防ぐのみならず、天朝の威光をみなに知らしめることもできましょう」
煬帝はその進言に膝を打つと宇文愷に動く城、
勅命を受けた宇文愷は日に夜を継いで人夫を働かせ、数日のうちに木組みの表に綾錦を張り巡らせた周囲一千歩、高さ十丈の巨大な行城を造りあげてしまいます。
行城の四面には門を開いてその上には城楼まで備わり、内側には
煬帝の喜びは一方ならず、宇文愷たちに黄金や綾錦を賜うとすぐさま金河を発ち、日を経て
▼薊州はおそらく幽州のイメージと思われますが楡林の北では位置が合いません。『隋書』突厥伝によると煬帝は大業三年(607)に啓民可汗と楡林の行宮で出会っています。ちなみに小野妹子と出会うのもこの年のことです。
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これより先、西域の北に
▼突利可汗の名は
かつて隋文帝の開皇年間、突利可汗は隋に朝貢して婚姻を求め、文帝はこれを許して
▼突利可汗には隋より安義公主と義成公主の二人が嫁いでおり、義安公主は足して二で割った感じ。
▼雍虞閭は突利可汗のコメントに出た都藍可汗です。沙鉢略可汗の子なので要するに突利可汗の兄。
文帝は突利可汗を受け入れて
▼啓民可汗は正式には意利珍豆啓民可汗と言います。
煬帝が薊州に行幸したと聞き、啓民可汗は文帝の恩を思って義安公主とともに
煬帝は啓民可汗の厚意を喜んで酒宴を張り、数千疋の綾錦を縫い合わせた千人帳を造らせ、啓民可汗の従者数千人にもその内での宴席を許しました。
さらに、啓民可汗が煬帝に朝貢したと知り、
他にも
「朕が天子となって中国の富は盛ん、遠国はみな従っておる。古の三皇五帝であってもこれを過ぎまい」
そう言うと、煬帝は筆を手に一首の詩を賦しました。
呼韓邪は首を垂れて至り
屠耆がそれに続いて来たる
漢兵が単于台に登った故事も
今や言うにも及ぶまい
▼呼韓邪も屠耆も匈奴の単于です。屠耆は呼韓邪に敗れて自殺し、呼韓邪は王昭君を妻に迎えたことで知られます。
百官はその詩を見て万歳を唱え、煬帝はこの詩を諸国の者たちにも伝えさせ、あわせて酒宴を用意してやり、さらに幾百万もの金銀綾錦を下賜したのでございました。
※
多くの国の者たちが賞賜を受けて帰国の途についた後、啓民可汗は煬帝を自らの
▼穹盧はゲルまたはパオとも言われる、遊牧民の住居です。
啓民可汗が喜んで煬帝を迎える支度を整える一方、
「突厥は虎狼に等しく、その心は測りがたいもの、天下の至尊たる陛下が軽々しくその穹盧に臨まれるべきではありません。万一の変があれば災いを防げますまい」
「聖天子には百神の加護がある。二卿の懸念には及ばぬ」
煬帝は一笑に付すと、翌日、啓民可汗の帳を訪れました。
啓民可汗と義安公主は中国風の錦衣を着込んで頭に花帽を戴き、数千の従者とともに金鼓を鳴らして煬帝を迎えに出ると、穹盧に導きます。
穹盧の奥には龍の姿を描いた宝座が据えられており、煬帝をそこに座らせます。
座の前には碧玉で長壽という文字を埋め込んだ香木の机、その上には玉の皿に金の椀が数知れず、山海の珍羞が供えられておりました。
啓民可汗と公主は煬帝に盃を献じ、酒が行き渡ったところで
胡姫たちはみな動きやすい胡服を着て中国のそれとは異なりますが、いずれも
※
賀若弼が目くばせすると、高熲が進み出て申し上げました。
「楽しみは極めてはならず、欲は
煬帝が答えずにいると、賀若弼も重ねて諫めます。
「日はすでに暮れつつあります。国の外にあって夜宴はせぬもの。すみやかにお戻りになられませ」
さすがの煬帝も宴を切り上げざるを得ず、随行する侍臣に命じて穹盧を発し、啓民可汗と公主は煬帝を行宮まで送って深恩を謝すると帰っていきました。
この宴で胡姫に心を奪われた煬帝はしばらくこの地に留まって諸国の美女を集めるよう命じ、賀若弼と高熲を筆頭とする群臣がそれを切に諫め、ようやく薊州の地を発ったのでございました。
煬帝は
一行は山に遭えば麓を迂回し、嶺があればそれを越え、ようやく楡林の地に入りましたが、その先には
両側は切り立った高山に挟まれて道はわずかに一丈、行殿や行城はおろか、車馬でさえ進めそうもありません。
煬帝さえ騎乗してその道を進み、従う数百の宮女たちはついて行けず、軍士に混じって進んだものの日が暮れかかっても谷を抜けられず、ついに谷中で夜を明かすこととなってしまいました。
時候は冬にかかり、日が暮れると寒風が吹きすさんでも身を隠すところなく、凍死する者まで出はじめます。
創業の艱難を経験している賀若弼と高熲はその有様に嘆息するばかり。
「この頃、朝廷の綱紀が緩んでいる理由はこの驕りに他ならぬ」
二人して先行きを案じているところ、それを聞いた者は煬帝に告げ知らせ、聞いた煬帝は心中に怒っても口には出さず、その数日後にはようやく京師との境にまで到ったのでございました。
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