第八回 富強を逞しくして西域に市を開き、兵戈を擅にして薊北に詩を賦す

富強ふきょうたくましくして西域に市を開き

兵戈へいかほしいままにして薊北けいほくに詩を





翌朝、朝賀が終わると煬帝ようだいは真っ先に百官にはかります。


「先に西域の鎮将より異国の者たちが中国との交易を望んでいるとの上奏があった。諸卿は交易の可否をどのように判断するか?」


それを受け、吏部侍郎りぶじろう裴矩はいくが進み出て申し上げました。


「今や西域の諸国は年ごとの朝貢を欠かさず、さらに中国との交易を求めているとのこと、これは天朝てんちょうの威を畏れ徳を慕うものと申せます。臣の思うに、交易を行う利が五つございます。中国の綾錦あやにしきをもって異国の珠玉異宝に換えるのが利の一。一たび交易を始めれば彼我ともに利を得られ、その心はさらに親しみましょう。心が親しめば辺境に戦のおそれなく、これが利の二。近隣の諸国が従えば、山を越え海を渡った遠国にも天朝の徳が伝わり、軍勢を動かさずとも遠国を従えられましょう。これが利の三。遠国との交わりが深まれば必ずやその山川地理の図を手に入れられ、それさえあれば秦の始皇帝、漢の武帝のような領土の拡張も容易く行えましょう。これが利の四。今や天朝の富強は古今に比類なく、さらに西域の諸国を一家となせば勲功は三皇さんこう五帝ごていを凌ぎ、後世の仰ぎ見るところとなりましょう。これが利の五。この五つの利より推し、速やかに交易の許されることを願うものであります」


煬帝はそれを聞いて内心に喜んだものの、敢えて裴矩に問いかけます。


「卿の言う五つの利はよろしかろう。しかし、異国が交易を望むと偽って謀を企てておるやも知れぬ。それにはどう対処するつもりか?」


「天朝の富強をもってすれば、異国が謀を企てていたところで憂えるに足りません。ご心配とあらば謀臣を遣わして事にあたらせ、未然に防がせましょう」


「この任は重大なものである。しかし、それほど自信があるならば卿を措いて適任の者はおるまい」


そう言うと、煬帝は裴矩の本官に加えて張掖ちょうえきに駐在して西域との交易を司ることを命じます。


しかし、その時、兵部尚書へいぶしょうしょ段文振だんぶんしんが進み出て異論を述べました。

▼兵部尚書は要するに大司馬、軍部のトップです。段文振は若い頃に北周の宇文護に抜擢された人で宿老の一人です。


「陛下、しばらくお待ち下さい。西域との交易にあたっては三つの不可がございます。まず、異国より手に入れられる物は珠玉や犀角さいかく象牙ぞうげの類に過ぎず、着て寒さを防げず、食べて飢えを満たせません。中国の綾錦とそれらを換えることは、有用の物を無用の物と換えることに他なりません。これが不可の一です。次に、張掖は国境の要害、交易するとなれば異国の者たちが多く入り込みましょう。彼らは狼虎の心を持っており、反復は測りがたいものです。一朝に事あれば災いは小さくございません。これが不可の二です。最後に、異国と交易するのであれば、彼らが客、天朝が主となり、往来の安全を確保して飲食を供さざるを得ず、郡縣の百姓は寧日がなくなりましょう。これが不可の三です。交易にはこれら三つの不可があるにも関わらず裴矩はかえって五つの利などと申し、これは君を惑わして国を誤る行いです。その罪は軽くはございません」


段文振に口を極めて非難された裴矩も黙ってはおりません。


「兵部尚書の言葉は理にあたっておりません。綾錦を珠玉に換える利は百倍にあたりましょう。さらに、珠玉を無用の物と言うのであれば、中国の金銀もまた着れず食べられず無用の物となりましょう。しかし、金銀を無用の物と考える者はおりません。また、異国の人の心は測りがたいものの、その智謀は中国の人に遠く及びません。まして、古来より帝王は誠心をもって人をなつかせるものであり、疑って拒んだなどという話は聞いたこともございません。交易のための往来に伴う飲食のついえなど知れたもの、彼らが往来して両国の和が深まれば永らく戦の憂えは拭われましょう。もし一たび彼らを拒んで辺境に事あれば、百万の軍勢を遣わさねばならず、その費えがどれほどになるのか見当もつきません。兵部尚書の言は、異国の恭順と天朝の利を願わず、陛下を惰弱だじゃくの君と見なして英雄たるを願わぬものと言わざるを得ません」


いずれの言い分が煬帝の心に叶うかは言うまでもなく、裴矩の言葉を聴いた煬帝も勃然ぼつぜんとして段文振を詰ります。

▼勃然は怒った様子です。


「交易の利はすでに明らかであるに、段文振はかえってこれを害であると言う。どういうつもりであるのか」


「陛下は先帝が開かれた泰平の後を継がれ、いまだ戦陣に臨んで辺境の現実をご存じない。もしも裴矩の言葉に従われれば、必ずや国家の禍となりましょうぞ」


痛いところを突かれた煬帝は怒って叫ぶよりありません。


「段文振、お前は朕がこれまで戦陣に臨んでいないなどと妄言を抜かすか。西域との交易を行うことがどうして国家の禍となり得よう。みだりに君をそしった罪は軽くはない。しかし、先帝からの老臣であるゆえにしばらくこれを赦す。もし再び諫める者があれば、必ずや斬刑に処する」


段文振はなおも進み出て諫めようとしますが、煬帝は言い捨てると玉座を起って退いてしまいました。


「聖上は老臣の言葉を聴かれず、十年のうちには必ずや天下は乱れよう」


段文振はそう呟くよりございませんでした。





思惑通り西域との交易を煬帝に認められた裴矩は急ぎ私邸に帰ると、まずは煬帝の意向を告げ知らせた王忠おうちゅうに礼物を贈り、吉日を選んで張掖へと旅立ちました。


張掖では鎮将たちを召し出して異国との交易を開くとの勅旨ちょくしべ、鎮将たちは命を奉じて管轄する地域の者たちに文書にて告げ知らせます。


ほどなく周辺諸国まで煬帝の勅旨が伝わり、それぞれに宝物をたずさえて張掖に至り、ここに隋朝と諸国の交易が始まったのでございます。


それより、張掖に向かう異国の使者が往来に絶えず、市には中国の錦綾と異国の宝物が山と積まれ、裴矩と鎮将たちはその取引から莫大な財を積み重ねます。


その一方、段文振が懸念した如く、使者の往来に伴う費えはすぐさま百万を超え、近隣の百姓は見る間に疲弊していきます。


郡縣の官吏たちは先行きを憂え、張掖を訪れて裴矩に訴えましたものの裴矩は煬帝の勅旨をたてに聞き入れず、百姓はただ夫役の労苦に苦しみ、郡縣の官吏は手をこまぬくよりございません。


百姓の嘆きをよそに、裴矩は諸国の商人を買収してその山川風俗を訊ね、四十四ヶ国を絵図に写して『西域図記せいいきずき』と題し、異国の名馬、犀角象牙に様々な奇貨異宝とともに京師に送ったのでございました。





裴矩より届けられた異宝と『西域図記』を前に、煬帝は大いに喜んで蕭皇后しょうこうごうに申します。


「朕が異国との交易を許さねば、このように座して諸国の山川を知ることができたであろうか。愚かな段文振めは国を誤らせようとし、あまつさえ朕は戦陣を知らず、辺境の事にうといなどとわらいおった。朕はこれより薊北けいほくに自ら向かい、境内の山川を観て異国の風俗を察し、天下に英雄たるを知らしめようと思うが、皇后はどう考えるか?」


「古より、天子は巡狩じゅんしゅの礼がございます。暗君はただ宮中に引き籠って安楽のみを求め、この礼は絶えて久しくなっております。陛下が巡狩されたならば、みな古の賢王に劣らぬと讃えましょう」


煬帝はいよいよその気になり、翌日には諸々の大臣を殿上に呼び上げて命じます。


「古の聖王はみな天下を巡狩し、民の苦しむところを問うたと聞く。南朝の君主は常に深宮に座して百姓の声を聴かず、柔弱なることこの上なかった。朕はそのひそみならうわけにいかぬ。天下泰平となったこの時にあたり、朕がみずから辺境に臨み、百姓を慰撫いぶしたく思う。諸卿はすみやかにその手はずを整えよ」


「今や天下は泰平、辺境も無事でございますれば、陛下は京師に座してただ百姓に徳を施されるべきでございます。巡守は天子の盛事ではございますが、行く先々の民を労して財を費やすもの、ご再考願わしゅう存じます」


大臣たちは口を揃えて諫めましたが、それで引き下がる煬帝ではございません。


「臣たる者は君を堯舜ぎょうしゅんの如くしてはじめて忠臣と言える。諸卿はそのことを忘れ、かえって費えを惜しんで朕が堯舜の盛事をなさんとするのを阻むか。それで臣たるの道理が立とうか。再び巡狩を諫める者があれば重罪とする」


そこまで言われてなおも諫める者はなく、煬帝の命を受けて退くよりありません。


この頃、楊素は酒色に耽って朝政から心を離しており、強いて煬帝を諫める度胸もない朝臣たちは日に夜を継いで巡幸の準備を進めるのみでございました。





古より忠臣は少なく佞臣ねいしんは多いもの、煬帝にびを献じてへつらいをたてまつる者に欠けることはございません。


内史ないし舎人しゃじん封徳彜ふうとくいの上奏によって京師から薊北まで三千余里の道沿いに住む百姓は御道ぎょどうの整備に駆り立てられました。

▼隋では中書令ちゅうしょれいを内史令と呼び、その下で文書行政にあたる属官が内史舎人、要するに中書ちゅうしょ舎人しゃじんのことです。


また、民部みんぶ侍郎じろう宇文愷うぶんがいの上奏により観風かんふう行殿こうでんなるものが造られます。

▼民部はつまり戸部で戸籍などを扱う部署、隋では度支たくしと民部に分かれており、侍郎は尚書に次ぐ次官です。


これは六、七百人も乗れる巨大な車で、四方には珠玉を飾った錦のとばりを垂らして宮中にいるかのよう、煬帝はこの観風行殿に乗って御道を薊北まで向かおうとしたのでございます。


八月の中旬には行幸ぎょうこうの用意が整い、煬帝は京師を発ちました。


従う軍士は五十万人、馬匹は十万を超え、皇帝の所在を示す竜旗が日を覆って貴人に差しかける鳳蓋ほうがいが空を遮り、その行列は千里に渡ってつづきます。


煬帝は観風行殿の内より沿道の風景を愛で、群臣との酒宴で詩を賦しつつ早くも数日が過ぎ、一行は金河きんかに到着いたしました。

▼金河は雍州ようしゅう楡林郡ゆりんぐん金河縣きんかけん、隋代は榆關ゆかんが置かれており、要衝でした。





そこで煬帝が観風行殿の帳を出た折、にわかに大風が吹いて塵を揚げ砂を飛ばし、面を打たれた煬帝は驚いて帳の内に入り、宮女に囲まれてまた酒宴を始めます。


四方を帳に囲まれた観風行殿の中であれば砂礫されきも及ぶはずがない、そう思うところに先ほどより強い風が吹きつけ、すだれを裂いて砂礫を巻き上げた風が行殿の内に入り込み、宮女たちの髪はいずれも黄砂まみれになってしまいました。


煬帝が怒って群臣に風を防ぐよう命じますと、内史ないし侍郎じろう虞世基ぐせいきが進み出ます。


「宇文愷はすでに動く御殿を造り上げたのですから、動く城が出来ない道理はございません。動く城であればただ風を防ぐのみならず、天朝の威光をみなに知らしめることもできましょう」


煬帝はその進言に膝を打つと宇文愷に動く城、行城こうじょうを造るよう命じました。


勅命を受けた宇文愷は日に夜を継いで人夫を働かせ、数日のうちに木組みの表に綾錦を張り巡らせた周囲一千歩、高さ十丈の巨大な行城を造りあげてしまいます。


行城の四面には門を開いてその上には城楼まで備わり、内側には旌旗せいき戈戟かげきを並べ、幔幕まんまくを張り巡らせてどのような強い風も内に及ばず、まるで宮城が動き出したかのよう。


煬帝の喜びは一方ならず、宇文愷たちに黄金や綾錦を賜うとすぐさま金河を発ち、日を経て楡林ゆりんを北に抜けて薊州けいしゅうに到着し、張掖の裴矩は西域の鎮将たちとともにこの地で煬帝を出迎えたのでございます。

▼薊州はおそらく幽州のイメージと思われますが楡林の北では位置が合いません。『隋書』突厥伝によると煬帝は大業三年(607)に啓民可汗と楡林の行宮で出会っています。ちなみに小野妹子と出会うのもこの年のことです。





これより先、西域の北に突厥とっけつの国があり、その主を突利とつり可汗かがんと申しました。

▼突利可汗の名は染干せんかん沙鉢略可汗イシュバラカガンの子で大可汗である都藍可汗を無視して隋に入朝して安義公主を娶っています。


かつて隋文帝の開皇年間、突利可汗は隋に朝貢して婚姻を求め、文帝はこれを許して義安ぎあん公主こうしゅを嫁がせましたが、その後、突利可汗は雍虞閭ようぐりょという者と戦って利を失い、中国に亡命いたします。

▼突利可汗には隋より安義公主と義成公主の二人が嫁いでおり、義安公主は足して二で割った感じ。

▼雍虞閭は突利可汗のコメントに出た都藍可汗です。沙鉢略可汗の子なので要するに突利可汗の兄。


文帝は突利可汗を受け入れて啓民けいみん可汗かがんの名を授け、朔方さくほうの地に大城を築いてそこに住まわせ、啓民可汗は雍虞閭の死後にその地を奪ってこの時には勢い盛んになっておりました。

▼啓民可汗は正式には意利珍豆啓民可汗と言います。


煬帝が薊州に行幸したと聞き、啓民可汗は文帝の恩を思って義安公主とともに行宮あんぐうを訪れ、貂鼠てんそ銀鼠ぎんそ白翎雀はくれいじゃく旱金花かんきんか青嚢花せいのうか花羊角かようかく沙雞さけいに加え、おびただしい名馬、宝刀、珠玉を献上いたします。


煬帝は啓民可汗の厚意を喜んで酒宴を張り、数千疋の綾錦を縫い合わせた千人帳を造らせ、啓民可汗の従者数千人にもその内での宴席を許しました。


さらに、啓民可汗が煬帝に朝貢したと知り、室韋しつい靺鞨まっかつ休邑きゅうゆう女真じょしん亀茲きじ伊吾いご高昌こうしょう蘇門答刺すまとら撤馬児罕さまるかんど波斯はしなど二十余の国が一時に来朝して朝貢したのです。


他にも于闐うてん吐火羅とから蘇匿そとくなどもつづき、珠玉異宝、奇獣珍禽は数えられないほど、煬帝は左右に侍る群臣を顧みて誇ったのでございました。


「朕が天子となって中国の富は盛ん、遠国はみな従っておる。古の三皇五帝であってもこれを過ぎまい」


そう言うと、煬帝は筆を手に一首の詩を賦しました。


呼韓邪は首を垂れて至り

屠耆がそれに続いて来たる

漢兵が単于台に登った故事も

今や言うにも及ぶまい

▼呼韓邪も屠耆も匈奴の単于です。屠耆は呼韓邪に敗れて自殺し、呼韓邪は王昭君を妻に迎えたことで知られます。


百官はその詩を見て万歳を唱え、煬帝はこの詩を諸国の者たちにも伝えさせ、あわせて酒宴を用意してやり、さらに幾百万もの金銀綾錦を下賜したのでございました。





多くの国の者たちが賞賜を受けて帰国の途についた後、啓民可汗は煬帝を自らの穹盧きゅうろに迎えて長壽を祝う盃を上げたいと願い、煬帝は異議なくそれを許しました。

▼穹盧はゲルまたはパオとも言われる、遊牧民の住居です。


啓民可汗が喜んで煬帝を迎える支度を整える一方、尚書しょうしょ左僕射さぼくや高熲こうけいと大将軍の賀若弼がじゃくひつが煬帝を諫めます。


「突厥は虎狼に等しく、その心は測りがたいもの、天下の至尊たる陛下が軽々しくその穹盧に臨まれるべきではありません。万一の変があれば災いを防げますまい」


「聖天子には百神の加護がある。二卿の懸念には及ばぬ」


煬帝は一笑に付すと、翌日、啓民可汗の帳を訪れました。


啓民可汗と義安公主は中国風の錦衣を着込んで頭に花帽を戴き、数千の従者とともに金鼓を鳴らして煬帝を迎えに出ると、穹盧に導きます。


穹盧の奥には龍の姿を描いた宝座が据えられており、煬帝をそこに座らせます。


座の前には碧玉で長壽という文字を埋め込んだ香木の机、その上には玉の皿に金の椀が数知れず、山海の珍羞が供えられておりました。


啓民可汗と公主は煬帝に盃を献じ、酒が行き渡ったところで胡姫こきの歌舞が始まります。


胡姫たちはみな動きやすい胡服を着て中国のそれとは異なりますが、いずれも白皙玉肌しろくたまのようなはだ、中国にも稀な美女が揃い、胡姫の美しさに心を奪われた煬帝にもはや天子の威儀はなく、笑い戯れて正体もない有様です。





賀若弼が目くばせすると、高熲が進み出て申し上げました。


「楽しみは極めてはならず、欲はほしいままにしてはならぬもの、宴はこれまでとして行宮にお戻り下さい」


煬帝が答えずにいると、賀若弼も重ねて諫めます。


「日はすでに暮れつつあります。国の外にあって夜宴はせぬもの。すみやかにお戻りになられませ」


さすがの煬帝も宴を切り上げざるを得ず、随行する侍臣に命じて穹盧を発し、啓民可汗と公主は煬帝を行宮まで送って深恩を謝すると帰っていきました。


この宴で胡姫に心を奪われた煬帝はしばらくこの地に留まって諸国の美女を集めるよう命じ、賀若弼と高熲を筆頭とする群臣がそれを切に諫め、ようやく薊州の地を発ったのでございました。


煬帝は薊門けいもんを抜けると大道を避けて脇道を通るよう命じ、群臣がいかに諫めても聞き入れません。


一行は山に遭えば麓を迂回し、嶺があればそれを越え、ようやく楡林の地に入りましたが、その先には大斗抜谷だいとばつこくと呼ばれる深い谷があるのみでした。


両側は切り立った高山に挟まれて道はわずかに一丈、行殿や行城はおろか、車馬でさえ進めそうもありません。


煬帝さえ騎乗してその道を進み、従う数百の宮女たちはついて行けず、軍士に混じって進んだものの日が暮れかかっても谷を抜けられず、ついに谷中で夜を明かすこととなってしまいました。


時候は冬にかかり、日が暮れると寒風が吹きすさんでも身を隠すところなく、凍死する者まで出はじめます。


創業の艱難を経験している賀若弼と高熲はその有様に嘆息するばかり。


「この頃、朝廷の綱紀が緩んでいる理由はこの驕りに他ならぬ」


二人して先行きを案じているところ、それを聞いた者は煬帝に告げ知らせ、聞いた煬帝は心中に怒っても口には出さず、その数日後にはようやく京師との境にまで到ったのでございました。

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