第七回 美女を選びて越公は強諫し、矮民を受けて王義は自宮す。

美女を選びて越公えつこう強諫きょうかん

矮民わいみんを受けて王義おうぎ自宮じきゅう





それより数日が過ぎ、すでに宣華せんか夫人のむくろは葬られましたが、煬帝ようだいはひたすらに悲しんで朝な夕なに泣き暮らしておりました。


「死者を生き返らせることはできません。いかに悲しまれても無益なことでございます。悲しみに暮れて玉体ぎょくたいを損なわれませぬよう、伏してお願い申し上げます」

▼玉体は皇帝の身体を意味します。


蕭皇后しょうこうごうの諫めを聞いた煬帝が申します。


「朕とてそのようなことは分かっておる。ただ、宣華のような美女は世にも稀、それを喪った悲しみは耐えがたいのだ」


「陛下の後宮には三千の官女、八百の美姫がおります。その中より選び抜けば、一人、二人は御心に叶う者もおりましょう。かの宣華とて後宮より選びだされたのでございます。悲しみに暮れるより、まずは試して御覧になってはいかが?」


皇后の言葉ももっともであると思った煬帝は後宮に勅使を遣わしてその旨を伝え、大殿上に蕭皇后と並んで宴席をしつらえ、自らその選別にあたることといたしました。


時に後宮数千の宮女に煬帝の寵幸を望まぬ者はおりません。それぞれに心を尽くして化粧を施し着飾って、一組ずつ殿上に参上いたします。


並んでそれを眺める煬帝と蕭皇后の前はさながら華やかな花の陣、青々とした柳の列、誰一人として美しくない者はおりませんが、また、宣華に及ぶ絶美の者もございませんでした。





後宮には宣華夫人に及ぶ者がないと思い知り、煬帝はますます煩悶はんもんいたします。


「どれもこれもありきたりな美女、宣華のごとき傾国の美女と言うには足りぬ。これではますます悲しみが募るばかりではないか」


「そう悲しまれますな。陛下はすでに天下の主、後宮にいなければ天下の婦人より選ばれればよいのです。天下には億万の女子がおります。その中に宣華に十倍する者がおらぬとは限らぬではありませぬか」


蕭皇后の言葉に煬帝は深く頷き、許廷輔きょていほら十人の宦官に命じました。


「お前たちはそれぞれ天下を巡り、地方の遠近なく十五歳から二十歳までの美女を選び抜いて京師けいしに送り届けよ。宣華に優る美女を選んだ者には重く恩賞を与える。ただし、選べなかった者はその罪を問う。勤めて怠ってはならぬぞ」


許廷輔たちは煬帝の勅命を受け、慌ただしく宮城を出るとまずは京城に高札を掲げ、それぞれ城内四方に分かれて家々より美女を探し求めます。


急なこととて城内は大騒ぎ、百官もこれを聞くとみな驚き憂えますものの、諫める者もなかなかございません。





この時、尚書左僕射しょうしょさぼくやの官に蘇威そいという剛直の人がおりました。


宦官たちが美女を求めて京城を騒がしていると聞くと、蘇威は煬帝を諫めるべく上表いたします。


「蘇威は臣下の身でありながら朕をそしるか。本来であれば重く罪を問うべきであるが、先帝から仕える老臣でもあれば、職を免じて庶人とするに止める。これより再び蘇威を任用することは許さぬ。また、再び諫める者があれば斬刑に処する」


上表を読んだ煬帝は怒って諫めを容れず、さらに百官の諫言をも拒みました。


窮した百官は話し合い、越国公えつこくこう楊素ようそいて諫められる者はないと思いいたり、事の次第を楊素に伝えます。


「あの小童めが、我が尽力で帝位にいたにも関わらず、このように驕りよるとは。まずはみな安心して引き取るがよい。我に一計がある」


そう言って百官を引き取らせますと、自らは急ぎ禁門きんもんより参内して便殿べんでんに入り、当直の宦官を呼ぶと煬帝との謁見を求めます。


楊素の権勢を畏れた宦官は一も二もなく煬帝に取り次ぎました。





さすがの煬帝も楊素の求めを無下にはできず、便殿に出御せざるを得ません。


賢卿けんけいはどのような急事があって謁見を求められたか」

▼賢卿は身分ある人を呼ぶ際の二人称です。


「今や陛下の御代みよやすからず、このことを奏上せんとまかしたのでございます」


「どのような騒ぎが持ち上がったというのか?」


「臣の聞くところ、賢人を好む時は栄え、美姫を好む時は衰えると申します。今や陛下は美姫を好んで賢人を好まず、宦官たちが美姫を求めて京城を騒がせ、往来の者たちは陛下が淫乱の君であると噂しております。蘇威は先帝に仕えた能臣でありますが、諫言のために官職を免じられ、百官もまた陛下の行いを正しからざるものと見なしております。百官が上に背いて百姓が下に怨んでは天下静寧を望んだところで得られようはずもございますまい」


「朕はすでに天下の主となり、わずか数名の美姫を選ぼうとしているに過ぎぬ。これを大過たいかと言えようか。賢卿の懸念は大げさに過ぎよう」


「陛下は富貴の身にあられますが、創業の艱難をご存知ない。先帝と老臣は数多の戦場を経て多くの心力を費やしてようやく天下を一つにし、二十年に渡る倹約によってついに天下は泰平となったのです。陛下の即位よりいまだ一年を過ぎず、美女を求めて能臣を棄てられては敗亡に及ばぬ理がございません。今、臣の言葉を聴かれねば、後日には必ずや肘腋ちゅうえきに禍を生じ、悔いても及びはつきますまい。陛下が悟られぬとあらば、老臣は法官に命じてかの十人の宦官を獄に下し、美色により君を惑わした罪によって刑罰を行わざるを得ませぬ。その時、陛下は老臣の行いを怪しまれませぬよう」

▼肘腋はひじやわき、つまり、身近なところの意です。


思いの外に強硬な楊素の諫言であれば、煬帝も拒むわけにはいきません。


「賢卿に忠言を尽くされ、朕が容れぬことなどあろうか」


煬帝はすぐさま宮官を呼ぶと、許廷輔たちを呼び戻させ、蘇威を復職させるよう命じました。


楊素はその恩恵を謝すると、朝廷を退いたのでございました。





煬帝は楊素に強諫され、心中は大いに怒って蕭皇后に申します。


「楊素の老賊ろうぞくめが、朕を侮って君臣の別を蔑ろにしておる。必ずや彼奴の九族を誅してこの怒りを晴らしてくれよう」

▼老賊は年長者への悪口、「クソジジイ」くらいの感じです。


「楊素は兵権を握っており、陛下にくみする百官が少ないために軽んじているのでしょう。それならば、陛下もまた先帝のように百官と国政の得失を論じて威を高からしめ、楊素の兵権を別の大臣に与えた後に誅殺されればよろしいではございませんか」


煬帝の剣幕に蕭皇后はそう囁き、翌日より煬帝は早朝からの朝議に臨み、百官と政事を論じるようになったのでございました。


隋の天下は文帝の二十年に渡る倹約により、海内かいだいの富は積み上がって四方に叛乱もなく、遠国も毎年のように使者を遣わして朝貢が絶えません。


ある日、南楚道州なんそどうしゅうより一人の矮民わいみん、名を王義おうぎという者を献上して参りました。

▼南楚は慣用として長江中流域の江陵こうりょう一帯を指して用いられる語ですが、ここでは西域に近い架空の地名として用いられています。


引見した煬帝は不思議そうに問います。


「お前は美女でもなく宝珠でもない。それにも関わらず何ゆえ朕に献上されたのか?」


小臣しょうしんは南楚という辺境の民ではございますが、隋朝ずいちょうの教化を賜ってございます。どうして仇をなす美女や不祥ふしょう異宝いほうにより聖上せいじょうの心を惑わせるようなことをいたしましょうや。それらに代え、侏儒こびとではございますが、小臣を遣わして陛下のお役に立てたいとのことでございます。小臣は非才の身ではございますが、一身これ忠義、何とぞ聖恩によりお傍にてお使い頂けますよう、伏してお願い申し上げます」

▼小臣は身分が上の人に対する自称です。


それを聞くと、煬帝は笑って言いました。


「朕の朝廷には数多の文官武将がおり、いずれも忠臣義士である。どうしてお前一人が忠義者ということがあろうか」


「忠義は国家の宝、人君は常にその足らざるを憂え、多いことを嫌って忠義者を棄てることはございません。まして、犬馬であっても主に忠実であれば君子はそれを棄てません。小臣は辺境の廃臣はいしんではございますが、陛下の徳を慕ってございます。どうして陛下が小臣を棄てられることがありましょうか」


王義の言葉を聴くと、煬帝は大いに喜んでついに王義を宮中に留め置き、朝貢の使者には重賞を与えて送り返したのでございました。





元来、王義という者は聡明そうめい怜悧れいりの質、煬帝の性格を深く悟って何ごとにおいてもその意に叶わぬことがございません。煬帝もその人柄を愛し、片時も左右から離しません。


しかしながら、男子禁制の後宮に入る際にはさすがの王義も付き従うわけにはいきませんでした。


ある日、煬帝が後宮に入った後、王義は独り宮門の外に立ちつくしておりました。


ちょうどそこに仁壽殿じんじゅでんに仕える宦官の一人、張成ちょうせいという者が通りかかります。


「何か気がかりなどございますかな。聖上はあなたを深く愛しておられますのに、何ゆえにこのようなところで呻吟しんぎんしておられるのか」


「皇恩に浴して十分の寵愛を頂いてはおりますが、この身は後宮に入ってお仕えもできず、それを思い悩んでおりました」


「もしも後宮にまで入って聖上にお仕えしたいのであれば、何も難しいことはございますまい」


張成の言葉に王義は驚いて教えを求め、張成は笑ってその耳に方策を囁きました。


それを聞いた王義は再び呻吟します。


「聞くところ、浄身じょうしんは幼年の頃になさねばならぬとか。小臣はすでに成人しており、おそらくはなしがたいのではないかと」

▼浄身とは自ら去勢して宦官になることを指します。


奴才どさいは妙薬を持っております。あたながどうしてもなさるなら、それを差し上げましょう。しかし、後日にそれを悔いて怨まれては困ります」

▼奴才は宦官が目上の人に対して遣う自称です。


「人として天地の間に生まれ、君の恩寵を被れば死も恐れるところではございません。どうして妻子を得られぬことなど怨みましょう。小臣を憐れに思召おぼしめされるなら、どうかその妙薬をお譲り下さい」


「あたなが決然としてそれをなさんと思われるなら、どうして奴才が妙薬など惜しみましょう」


張成はそう言うと王義を連れて家に帰り、二つの包みを手渡しました。


その一つには痺れ薬、もう一つには金瘡かたなきずの霊薬が入ってございました。





王義はまず酒とともに痺れ薬を服すと一把いっぱ利剣するどいかたなを握り、ついに股間にある己の陽物ナニを切り落としてしまいました。


傷口に金瘡の霊薬を塗り込むとまさしく霊薬の奇験か、それまで溢れるように流れ出しておりました血が止まり、痺れ薬のおかげでいささかの痛みもありません。


それより数日、王義は張成の家で養生しておりましたが、この間、幸いにも煬帝は朝議を設けず、王義の不在を問うこともございませんでした。


傷が癒えた王義は張成に厚く礼を述べて家を辞し、宮中に帰っていきました。


さて、煬帝がいつものように朝議を終えて後宮に退こうとした時のこと、王義は玉輦てぐるまながえを執って共に入ろうといたします。

▼輦は牛馬ではなく人が引く車を言います。


「王義よ、お前は男子であるにも関わらず、どうして後宮に入ろうとするのか」


それを見た煬帝が問うと、王義はひざまづいて申し上げました。


「小臣は後宮でも聖上にお仕えいたしたく、すでに浄身を終えてございます。聖恩にてこれを憐み、内でもお仕えすることをお許し下さい」


それを聞いた煬帝は大いに驚き、左右に仕える宦官に命じて確かめさせれば、王義は言葉の通りに浄身を終え、その体は宦官と変わりありません。


「お前がそれほどまでに朕を愛しているとは思いもよらなんだ」


煬帝は王義を連れて後宮に入り、蕭皇后に顛末を語って聞かせます。


「それでは、その王義は一個の忠義の人でございますね」


蕭皇后はそう言うと、王義を召し出して問いかけました。


「お前の育った道州にはどのような宝物があるのか?」


王義はかしこまって答えます。


「小臣の育った地は南楚の辺境でございますゆえ、宝物と呼べる物は何もございません。ただ、西域の外国に近く、それゆえに西域の宝物は献上できるかと存じます」


その言葉が終わる前に煬帝が言いました。


「先日、西域の鎮将ちんしょうたちより西域の諸国が中国との交易を願っているとの上奏があった。朕は西域との交易が利になるかは分からぬと考え、まだ許してはおらぬ。しかし、西域に宝物が多いのであれば、臣下を遣わして中国の綾錦あやにしきをもって宝物に換えれば、十分な利を得られるやも知れぬ」

▼鎮将は軍事拠点を統括する武官を指します。


「西域との交易に利があるとしても、陛下が一介の臣下を遣わされるのであれば、百官より諫める者が現れ、また楊素めを担ぎだしてくるやも知れませぬ。百官の一人に交易の利を上奏させ、陛下がその上奏を裁可されれば、諫めようとする者も現れますまい」


蕭皇后がそう言うと、煬帝も苦々しく頷きます。


「皇后の言には理がある。しかし、果たして百官に国家の利を図るほど気骨のある者がいるのか。官職を求めて俸禄を貪ることしか知らぬ者がばかりではないか」


二人はしばらく語り合った後、やがて酒宴を始めました。


さて、この頃の後宮に仕える宦官たちは百官と密かに結んで機密の事があれば先んじて告げ知らせておりました。


この夜、後宮にて煬帝と蕭皇后が西域との交易について物語したことは、宦官の王忠おうちゅうという者により夜のうちに吏部侍郎りぶじろう裴矩はいくという者に伝えられました。

▼吏部は朝廷の人事を司る官署にあたり、侍郎は長官の吏部尚書りぶしょうしょに次ぐ次官、エライ人です。


そのことを知った裴矩は大いに喜び、終夜まんじりともせずに一計を案じ、早朝の朝議に向かったのでございました。

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