第十三回 雲を携えて輦を傍らに路すがら風流し、彩を剪りて花となして冬に富貴たり

雲をたずさえててぐるまかたわらにみちすがら風流ふうりゅうし、

あやりて花となして冬に富貴ふうきたり。





ある日、宇文愷うぶんがい封徳懿ふうとくいより上奏があり、江都こうと一帯に四十九の離宮の造営が終わり、煬帝ようだいの行幸を待つばかりであるとの報告がなされました。


「もはや西苑せいえんの風景も見飽きた。さっそく江都に赴いて瓊花けいかを愛で、江南の風景を遊覧するとしよう」


煬帝は喜んでそう言うと、勅使を遣わして江南の美女を選び抜かせ、四十九の離宮の院主とするよう命じます。


その一方、行幸の随従は御林軍ぎょりんぐんの三千、文武百官では丞相じょうしょう宇文達うぶんたつ虞世基ぐせいきのほかに四、五十人、妃嬪きひん朱貴児しゅきじ韓俊娥かんしゅんが雅娘がじょう香娘こうじょう妥娘だじょうなど二、三十人に限り、支度が整おうかという頃合いに何安かあんという者が一両の御女車ぎょじょしゃを献上したのでございました。

▼御林軍は『三国志演義』に皇帝直轄軍みたいな感じで現れますが架空です。

▼宇文達って誰でしょうね。宇文化及のことなのかな、、、



この御女車の中は大変に広くて寝具まで備わり、四面は海中にある鮫人こうじんが織った鮫綃こうしょうという布を幔幕まんまくとしておりました。


鮫綃の幔幕を垂らせば外から内側は窺えず内から外は素通しに見えるという珍品、幔幕の周りには金鈴が下がっておりますので、車が進めばそれらが玲瓏れいろうと響いて車中の声は外に漏れません。


「この車があれば、ちんは道中で退屈することもない」


そう喜んだ煬帝は何安に厚く下賜し、その日のうちに江都に向けて洛陽を発ったのでございました。





洛陽らくようを出て数里も行くと宇文愷と封徳懿が先導につき、その先の御道には三十里に一宮、五十里に一館が整えられております。


それぞれの宮館には数十の美女があって絲竹しちくを奏でて出迎え、郡縣の官吏は美酒びしゅ佳肴かこうを献納いたします。


煬帝は沿道の山を訊ね川を問い、各地の名勝を遊覧して道は早くも千里を過ぎようとしておりましたが、ただ西苑で遊ぶのに同じくいっこう疲れを憶えません。


道が江都に到れば、山稜さんりょうは空を画して水は豊か、目を転じれば緑の柳に紅の花、索漠さくばくたる北地とは一転した風景に煬帝は喜びを禁じえませんでした。


「江都の風光明媚は聞き及ぶとおりであるな」


そう言うと、まずは瓊花を愛でるべく蕃釐觀ばんりかんを訪れますが、時すでに四月の半ば、三月に花開く瓊花の盛りはすでに終わっておりました。


「瓊花を愛でられぬのは心残りであるが、江都の風景だけでも十分鑑賞に堪えるというものだ」


それより一日として宮殿に留まることなく、あまたの妃嬪を引き連れて四方の遊覧に日を送ったのでございました。





この頃、江南に栄えた六朝ろくちょうの遺跡、晋の文帝の華林園かりんえんそう孝武帝こうぶてい含章殿がんしょうでんせい東昏侯とうこんこう芳楽苑ほうらくえんりょうの武帝の臺城だいじょうちん後主こうしゅう臨春りんしゅん結綺けつき望仙ぼうせん三閣さんかくはすべて草莽そうもうに変じ、ただ梁の昭明太子しょうめいたいし文選楼もんぜんろうが残るのみでした。

▼東晋の建康に華林園が存在したことは確実ですが、少なくとも文帝司馬昭の時期ではなく、南遷後の元帝司馬睿より後のことです。

▼臺城は宮城のことを指します。

▼文選楼は実在の建築ではなく宋代に生じた伝説とされるようです。


それでも、煬帝は揚州ようしゅうの美麗な山川と都市の繁華にすっかり魅せられてしまい、数カ月を経た頃には百官を江都に集めて遷都を議するよう命じたのでございます。


「江都の風景は美麗ではございますが、その位置は中国の辺遇へんぐうであって天子の都を建てる地ではございません。どうして天府てんぷの地たる長安ちょうあん、洛陽を凌ぎましょうや。願わくば、大を捨てて小を採る誤りを犯されませぬよう」


百官がそう諫めると、煬帝は見る間に不機嫌になって黙然もくねんとしてしまい、気まずい空気の中で虞世基が進み出て申します。


「今や天下は一家となって四海はみな陛下の都でございます。どうして彼我ひがを分かつ必要などございましょう。今や東京とうけい洛陽らくようよりこの地まで四十九の宮館が置かれ、時に陛下が江都を訪れて風光を愛でられればその時はこの地が都となるだけのこと。どうして必ずしも皇城こうじょうを置いて都とする必要がございましょうか」


その言葉を聞いて煬帝は膝を打ち、これにて遷都の議は打ち切りとなったのでございましたが、それからも煬帝は江都に留まって河北に還る素振りもございません。





一日、東京洛陽から江都に使者が訪れ、蕭皇后しょうこうごうと西苑十六院の夫人たちからの上奏を煬帝にもたらし、すべての上奏は煬帝の還御かんぎょを待ちわびているとの懇請こんせいでございました。


「皇后や十六夫人が待ちわびているとあれば、帰らぬわけにもいかぬ」


そう言うと、煬帝は重い腰を上げて帰途につき、数旬の後には洛陽に帰りつきました。


洛陽では蕭皇后と十六夫人が出迎えて西苑に誘い、遠路の疲れを労う酒宴を開いてもてなします。


時はすでに仲冬ちゅうとう十一月、西苑の樹々も冬枯れて寂寞せきばくたる景色が広がり、せっかくの酒宴にも関わらず煬帝の気持ちは優れません。


「江都の山川は花びらの一片、柳の一枝であってもこの西苑に比べて色鮮やか、この冬枯れの庭園のごとき寂寞たる景色はついぞ目にせなんだ。朕がかの地に久しく留まっておったのも無理からぬであろう」


煬帝が蕭皇后にそう言うと、清修院せいしゅういん秦夫人しんふじんが申します。


「陛下が寂寞をお嫌いとあれば明日には百花を開かせ、御心みこころを慰めて御覧にいれますわ」


「もしもそのようなことができれば朕の心も慰められような」


煬帝は笑ってそう言うと盃を干し、ついに蕭皇后とともに顕仁宮けんじんきゅうに還御したのでございました。





翌日、十六院の夫人より再駕さいがを求められても煬帝は物憂ものうく、なかなか西苑に行こうといたしません。


それでも蕭皇后の再三の勧めに従って西苑に車を進めれば、苑門を一歩入るより百花は一斉に花開いて桃柳ももとやなぎは色を争い、見渡す限り錦繍きんしゅうで飾ったかのよう。


「仲冬であると言うのに、どうして一夜にして花が咲いたのか」


煬帝と蕭皇后がいぶかしく思うところ、十六夫人が宮女を引き連れて迎えに現れ、二人の面前で一斉に楽を奏でます。


「この苑中の花々は江都に比していかがでしょうか?」


夫人たちが問うと煬帝は大いに喜んで申します。


「どのような妙術があってこれらの花を一夜にして咲かせたのか」


「どうして妙術などございましょう。ただ陛下のために一夜に工夫をしただけでございます。一枝を折って御覧になればよくよくお分かりになりましょう」


言われた煬帝が枝を垂れる海棠かいどうの枝を折ってみれば、五色の綾絹あやぎぬって花と葉をかたどり、それらが枝に結びつけられておりました。


「誰がこのような妙案を考えたのか。実に巧みで一見ではそれと分からぬ」


煬帝が問えば、夫人たちが答えます。


「これは秦夫人の発案ですのよ。わたくしどもも陛下の御覧に入れるため、宮女たちを集めて徹夜で細工をいたしました」


「昨日、一夜にして花を開かせると聞いた時は戯れと思っておったが、このような奇策を秘めておったとは。真にいことよ」


煬帝はそう言って秦夫人を褒め、蕭皇后や十六夫人とともに苑内を巡れば或いは紅に或いは白に、一叢ひとむらは緑を、一遇いちぐうは紫をなして万の花卉かき、千の樹木が一度に目に飛び込み、その色鮮やかなことは自然のものに百倍するほどでございました。


煬帝は喜びのあまり内官に命じて蔵の金帛きんはく珠玉しゅぎょくをすべて持ってこさせ、西苑の夫人と宮女に散じてしまいます。


それより、煬帝と蕭皇后は楼閣ろうかくに上がって花を愛でつつ酒を飲み、絲竹を奏でる十六夫人と戯れ、蕭皇后は夜半には顕仁宮に帰ったものの、煬帝は前後不覚に酩酊めいていし、その夜はついに秦夫人の清修院に宿ったのでございました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る