第十一回 龍舟を泛かべて煬帝は毫を揮い、清夜に游びて蕭后は寵を弄ぶ

龍舟りゅうしゅうかべて煬帝ようだいふでふる

清夜せいやあそびて蕭后しょうごうちょうもてあそ





新たな輦輿れんよ儀仗ぎじょうが完成すると、煬帝ようだいは百官にみことのりして西苑せいえんでの酒宴を許しました。


この日、煬帝が「萬壽ばんじゅ」の文字が縫い込まれた袞龍袍こんりゅうほう八寶はっぽうを彫り込んだ金紗帽きんさぼうで装って香木で造られたてぐるまに座すると、その周囲を新たに造られた儀仗が取り囲みます。


文武の百官はいずれも正装、それぞれ煬帝の前後に名馬に跨って洛陽の顕仁宮を出ると、まるで万国の衣冠と全国の武衛ぶえいが列を成したかのよう、天帝が降臨したとてこの壮観を越えるとは到底思えません。


煬帝が西苑に入ると、伝令の者が走って宴席をしつらえた一際大きな龍舟りゅうしゅうに誘い、それに従う四、五十隻の鳳舸ほうかに分乗した百官とともに北海ほっかいに向かい、ついで三神山に登った後に船を五湖ごこに遊ばせ、そこでは盃をめぐらせ楽を奏で、君臣ともに船上に痛飲したのでございました。


うたげたけなわの頃に煬帝が命じます。


「今や海内は泰平、朕は卿らと楽しみを同じくし、これは千年に稀な慶事である。卿らのうちで文才のある者は詩をしてこの慶事を後代に伝えよ」


声に応じて先に翰林院かんりんいん大学士だいがくしに任じられた虞世基ぐせいきが進み出ます。


「臣は不才ではございますが俚言を奉らせて頂きます」


虞世基の詩は次のようなものでございました。


 五湖風景異 天子聖恩偏

  五湖の風景は異に 天子の聖恩はあまね

 敕賜陪宸宴 傳宣泛御船

  敕にて賜う 陪宸ばいしんの宴

 鳥吹新管籥 花吐錦雲煙

  鳥は吹く新たな管籥かんやく 花は吐く錦の雲煙

 願作南山獻 君王壽萬年

  願わくば南山のけんし 君王の壽は萬年ならん


それより詩を献じる者が相次ぎ、司隷大夫しれいたいふ薛道衡せつどうこう

 聖主宸游日 花香鳥語甜

  聖主の宸游しんゆうの日 花香と鳥語はてんたり

 回舟趨劍履 進食列梅鹽

  舟を回して劍履けんりはしり 食を進めて梅鹽ばいえんなら

 水碧千秋鑒 山高萬古瞻

  水はみどりにして千秋のかがみ 山は高く萬古のなが

 君恩如湛露 歡飲正厭厭

  君恩は湛露たんろの如く 歡飲して正に厭厭えんえんたり

と船上での宴と西苑の風景を歌えば、光禄大夫こうろくたいふ牛弘ぎゅうこう

 四海承平久 君王樂事多

  四海承平して久しく 君王に樂事多し

 仙禽來獻瑞 北海靜無波

  仙禽せんきんは來りて瑞を獻じ 北海は靜かに波無し

 觥履交珠玉 笙歌雜綺羅

  觥履こうりは珠玉をまじえ 笙歌しょうか綺羅きらまじ

 小臣持獻壽 花柳正婆娑

  小臣は持して壽を獻じ 花柳は正に婆娑ばさたり

と煬帝の徳を讃えて長壽をうたったのでございます。

▼司隸大夫は司隷臺大夫、煬帝の時に置かれた長安と洛陽の行政長官です。光禄大夫は身分は高いですが無任所の散官、つまり名誉職です。



煬帝はいずれの詩も大いに喜び、それぞれを三杯の酒でねぎらって申しました。


「卿らが佳作をなしたからには、朕も手をこまぬいておるわけにはいかぬ」


近侍の者に命じて紙筆を持たせると、湖上月、湖上柳、湖上雪、湖上草、湖上花、湖上女、湖上酒、湖上水から成る「望江南こうなんをのぞむ」の八詩を書き上げ、群臣は声を揃えて詩を読み上げ、「誠に帝王の雄才、臣らの及ぶところではございません」とたたえます。


煬帝の喜びは限りなく、群臣それぞれに一杯の酒を賜うと、これを潮に酒宴はお開き、船は岸に着けられて百官は退出していったのでございました。





煬帝はいまだ興が尽きず、再び小龍舟に乗って龍鱗渠りゅうりんきょ沿いの十六院に向かい、迎暉院げいきいんに臨みますと、王夫人おうふじんが二十名の美女を引き連れて迎え入れ、酒宴を開いてもてなします。


二十名の美女は歌舞をなして耳目を楽しませ、それぞれ煬帝に盃を献じるなか、朱貴児しゅきじという美女の容貌が衆に優れて歌唱も名人の域、煬帝は大いに気に入り、先ほど詠んだ「望江南」の八詩を示して申しました。


「お前はこの詩に曲をつけて他の者たちに習わせよ」


そう命じると、煬帝は迎暉院を出て綺陰院きいんいんに向かえば、そこでは謝夫人しゃふじんが同じように出迎えます。


この謝夫人は琴の名手、煬帝に所望されて關雎かんしょの曲を弾いて謡いました。


 關關雎鳩

  關關かんかんたる雎鳩みさご

 在河之洲

  河の洲にあり

 窈窕淑女

  窈窕ようちょうたる淑女おとめ

 君子好逑

  君子の好逑よきつれあい


煬帝はその妙技を喜んでまた数杯の酒を過ごし、そこからは船を棄てて車に乗って積珍院せきちんいん樊夫人はんふじんと碁を打ち、清修院せいしゅういんでは秦夫人しんふじんと戯れ、この院では香を焼いて香りを楽しみ、あの院では茶を品定めして顕仁宮けんじんきゅうに戻ったのは夜も更ける頃でございました。


煬帝を迎えた蕭皇后しょうこうごうが申します。


「今日、陛下は朝からこんな夜更けまでお楽しみになったのでございますから、わらわも明日には西苑に遊びに行きとうございます。お許しいただけましょうや?」


「皇后が西苑に遊ぶとあれば、朕もともに夜半の月を愛でたいものよな」


「顕仁宮の宮女たちは誰も西苑を知りませぬ。ともに連れて行ってよろしゅうございますか?」


「構わぬ構わぬ。朕が武衛どもに命じて馬を引かせ、宮女たちに騎乗させて朕は皇后と月を愛でよう。しかし、馬上で古い楽を奏でては興ざめ、いくつか新しい楽を合奏させればさらに風情があろうな」


「誠によいお考え、新たに詩をお詠みになってそれを妃嬪きひんたちに習わせればよろしいではございませんか。明日の夜が楽しみでございます」


煬帝が求められるままに筆を揮って「清夜遊せいやゆう」の詩をなすと、蕭皇后は大喜びです。


「陛下はまさに七歩の高才、古の帝王とて誰も陛下には及びますまい」

▼「七歩の才」は七歩の歩みのうちに詩を作った曹植そうしょくを讃えた表現です。


そう言うと、皇后は宮女を召し集めて夜を徹して清夜遊の詩を習わせ、その一方、写しを迎暉院の朱貴児の許に遣り、明晩に煬帝を出迎える際にはこの詩を歌うよう命じたのでございました。





翌日、煬帝は武衛の者たちに命じて三千の馬を整えさせ、その半ばは顕仁宮の前に繋ぎ、一半は西苑に送らせます。


さらに夜宴の用意をそれぞれに命じ、後は日が暮れるのを待つばかり、ほどなく太陽は西山に隠れて青紫の空には一点の雲もなく、東より明月が昇ってまいりました。


宮女たちは命を受けて騎乗し、煬帝は蕭皇后の手を執ってともに二人乗りの輦に座し、御簾すだれを巻き上げると前後の宮女たちが楽を奏でます。


ゆるゆると宮門より御道に出て半ばの駐蹕亭ちゅうひつていまで来ると、西苑十六院の夫人が美女たちを連れて馬上に清夜遊の詩を歌い、煬帝の一行を出迎えたのでございます。


煬帝は馬上ながら十六院の夫人に酒盃を賜うと一同して西苑に向かい、蕭皇后とともに龍舟に乗って五湖に漕ぎ出し、十六院の夫人たちはそれぞれの龍舟で従って数千の宮女は鳳舸に乗って楽を奏でます。


煬帝と蕭皇后はある時は五湖に酒宴を開き、またある時は北海に歌舞し、三神山にかかる明月を愛でて龍鱗渠を渡る風を楽しんで東の空が白む頃にようやく宴を止めて舟を下りたのでございました。

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