隋煬帝外史──隋煬帝艷史──

河東竹緒

第一回 隋文帝は酒を帯びて宮妃を幸し、獨孤后は龍を夢みて太子を生む

隋文帝ずいのぶんていは酒を帯びて宮妃きゅうきこう

獨孤后どっこごうは龍を夢みて太子たいしを生む





前後に続いた漢王朝かんおうちょうが天命を失った後のお話でございます。


しょく三国さんごくを継いでおこった国々と申しますと、これはしんそうせいりょうちんずいでございまして世に「六朝りくちょう」と称されます。

▼「六朝」は江南こうなんに成立した三国呉から東晋とうしん・宋・齊・梁・陳です。隋は含まれません。


この六朝を通算しますと実に350年、それぞれの王朝が国号をとなえて正統の帝位を伝えましたものの、領土は江南に限られておりましてこれらを総じて「南朝なんちょう」と申します。

西晋せいしん武帝ぶてい司馬炎しばえんの即位(265年)から隋滅亡(618年)で約350年です。なお、隋は河北かほくに興って陳を併呑へいどんした王朝ですので領土は江南だけではありません。


一方の河北かほくは漢の劉淵りゅうえんちょう石勒せきろくしん苻堅ふけんえん慕容廆ぼようかい、魏の拓跋珪たくばつけいといった胡人の占めるところとなり、これらを「北朝ほくちょう」と申します。

▼漢、趙、秦、燕は五胡ごこ十六国じゅうろっこくに属し、河北つまり中国の北半分に王朝が乱立しました。それらを統一したのが魏、曹操そうそうの魏と区別するために「北魏ほくぎ」「後魏こうぎ」「拓跋魏たくばつぎ」「元魏げんぎ」などとも呼ばれます。北魏による河北統一より南北朝時代とご理解下さい。


この頃、南朝北朝ともに皇帝は弱くて臣下が強い。当然のように世は乱れに乱れ、朝夕ちょうせきに王朝が交替して定まりません。


そんな時代もいよいよ押しつまり、南朝で陳の後主こうしゅ陳叔宝ちんしゅくほうが即位した頃、北朝の魏では恭帝きょうてい元廓げんかく宰相さいしょう宇文覺うぶんかくに帝位を譲ってしゅうが建国されたのでございます。





さて、隋の文帝ぶんてい楊堅ようけんの父は姓名を楊忠ようちゅうと申します。


もともと魏の臣でありましたが人心の周に従うがゆえ、彼もまた周に仕えることとなりました。


戦功を重ねて隋國公ずいこくこうほうじられるに至り、楊忠が亡くなると子の楊堅が爵位を継いで朝政を取りしきることとなります。

▼「封」は「封建ほうけん」の意です。


この楊堅という人は猜疑心さいぎしんが強く計略を好む人でございました。


周の宣帝せんてい宇文贇うぶんいんは子の静帝せいてい宇文衍うぶんえんに帝位を譲って天元てんげん皇帝こうていと名乗りますが、楊堅は天元皇帝の暗愚あんぐ贅沢ぜいたくを見るにつけ、天下を奪う陰謀をりはじめます。


政治は寬大かんだいむねとして苛酷かこく政令せいれいをことごとく改めたので士民は大喜びして人気はうなぎ上り、大象だいしょう三年(581)には天元皇帝がなぜか突然に世を去ります。


静帝は天下の人心が楊堅にしたと知って自ら皇居を退き、皇帝の印である璽綬じじゅを捧げて帝位を譲りました。楊堅は再三にわたって辞退しますが所詮しょせんは茶番劇、ついに帝位にいて国号を隋と定め、改元かいげんして年号を開皇かいこうに改めたのでございます。

▼璽綬の「璽」は皇帝のハンコ、「綬」はそれを下げるためのひもの意です。





さて、陳の後主は天下の形勢も百姓の苦労も知らず、臨春りんしゅん結綺けつき望仙ぼうせんと名づける三つの楼閣ろうかくを建設し、寵妃ちょうき張麗華ちょうれいかと「玉樹ぎょくじゅ後庭花こうていか」という詩を歌って楽しみにふけるばかり。


 うるわしきうてなかぐわしき林は高閣たかどのに對し、

 新たによそおいし艶質えんしつは本より傾城けいせい

 戸にゆにこびを凝らしてたちまち進まず、

 とばりを出でわざを含めば笑いて相い迎う。

 妖姫のかおは花のつゆを含むに似て、

 玉樹ぎょくじゅは光を流して後庭こうていを照らす。


隋の文帝はそれを知ると、

高熲こうけい楊素ようそ韓擒虎かんきんこ賀若弼がじゃくひつの諸將を遣わして陳を滅ぼし、とりこにした後主を長城公ちょうじょうこうに封じます。


この時、永らく分かたれた中国は再び統一されたのでございます。


文帝は夫人の獨孤氏どっこしを皇后に冊立さくりつして長男の楊勇ようゆうを皇太子に立て、腹心ふくしんの楊素は越國公えつこくこうに封じられました。その他の臣下たちも功績により賞を受け、戦は絶えて万民は息をつき、天下泰平とあいなりました。





この頃、獨孤皇后は懐妊していよいよお産が近く、後宮こうきゅうに身を休めておりました。


皇后は読書を好んで古今の歴史に通じ、聡明なたちでありますが大変に嫉妬しっとぶかい人でもございます。そのためもあって常日頃は文帝のかたわらを片時も離れません。


後宮には花のかんばせにしきいろどられた宮女が数知れず、しかして文帝は獨孤皇后をおそれて指の一本も触れられない。


獨孤皇后のお産は文帝には千載せんざい一遇いちぐうの好機でもございました。


たわむれに多くの宮女を召し出してみたものの、一人の心にかなう者もございません。遊びに飽きて仁壽殿じんじゅでんに向かうと、下働きらしい年若い宮女が珠簾しゅれんを巻き上げております。


文帝が近づくと、ようやく気づいて慌てたのか珠簾を掛けるかぎを取り落としてしまい、ますます慌てた宮女は小走りで文帝を避ける。走り寄ってみれば、月のように冴え冴えと白い肌に花のような面差おもざし、美貌に心を動かされて姓名を問えば、尉遅迥うつちけいの孫娘であると申します。

▼尉遅迥は周の皇室の親戚にあたります。楊堅の専権に抗議して兵を挙げたものの敗れ、その一族は奴婢ぬひとされていたようです。


文帝は娘の手を執って傍らに座らせると、宦官かんがんに命じて宴席えんせきを整えさせます。それより二人は数杯のさかずきを交わし、文帝は仁壽殿に宿って尉遅迥の孫娘を寵幸ちょうこうしたのでありました。





その間、後宮にある獨孤皇后もただとこに伏せていたわけではございません。心の知れた宮女や宦官に命じてそれとなく文帝の動静を探らせておりました。


一夜が明けると昨日のことは獨孤皇后の知るところとなり、大いに怒った皇后は数十人の供を従えて仁壽殿に向かいます。


仁壽殿では尉遅迥の孫娘が髪をくしけずっている最中、それを見るや獨孤皇后は供の者に命じて娘を散々に打たせます。まだ年若い娘が痛楚つうそえられるわけもなく、佳人かじん薄命はくめい、あえなくいきえてしまいました。


早朝より政務にいそししんでいた文帝が仁壽殿に戻ってみれば、怒をあらわにした獨孤皇后の足元に娘のむくろが伏せております。さすがの文帝も怒り心頭、それでも日頃から皇后をおそれるあまり、一言もなくきびすを返して走り出てしまいます。


「陛下は何処いずこに行かれるのか。たかが宮女一人のために夫婦の情をお忘れになったのですか」


獨孤皇后の呼びかけを聞いても恨み怒りの心は静まらず、かといって皇后を責めるのは恐ろしい。顧みることもなく前殿に向かうところ、宮門を出れば一頭の馬をく宮官が通りかかります。


文帝はその馬にまたがると、身一つで東華門とうかもんから駆け出していきました。





文帝は戦場経験もある馬の名手、馬を走らせれば衛兵も止められません。宮城の誰もが慌てふためくところ、参内さんだいしていた越國公の楊素と左僕射さぼくやの高熲の耳に騒ぎが届きました。

▼左僕射は正式には尚書しょうしょ左僕射さぼくやといい、三省さんしょう六部りくぶの三省のうち行政を担う尚書省しょうしょしょうのナンバーツーですが最高位の文官=宰相だと考えて下さい。ちなみにナンバーワンは尚書令しょうしょれいです。


二人は騒ぎを聞きつけると、すぐさま馬上の人となって文帝を追います。二人も歴戦の将でございます。飛ぶように馬を駆ること三十余里、ようやく追いついて文帝の馬の手綱たづなを引き止めました。


「お一人で駆けられるとは、なんぞ急事でもございましたか。臣らは心配でなりませぬゆえ、その故をお聞かせ下され」


二人が馬前に伏して問えば、文帝はため息混じりに獨孤皇后が尉遅迥の孫娘を打ち殺した経緯を語って聞かせます。


ちんたっとい天子の身でありながら、めかけの一人も養えぬ。これでは庶人にも及ばぬではないか。たとえ千年の帝王になれたとしてもせんないことよ」


高熲が決然けつぜんとして申します。


「陛下は思い違いをしておられます。心身を労してたびたび大軍をもよおし、ようやく天下泰平となりました。今、たかが一婦人のために天下をないがしろにしてよいものでしょうか。願わくば、深く叡慮えいりょをめぐらされよ」


文帝はその言葉を聞き、黙念もくねんこうべを垂れるばかり。


そこに文武の百官も追いついてきます。儀仗兵ぎじょうへいが皇帝を先導する隊列を作ったのをしおに、楊素が文帝の馬を牽いて宮城に引き返していったのでございます。





宮城にある獨孤皇后もさすがに平静ではいられず、後宮に戻ることなく宮門の内で宦官に文帝の行方を探らせておりました。しかして文帝の行き先は錯綜さくそうしていずれがまこととも皆目かいもく見当けんとうがつきません。


日暮れの頃にようやく文帝が戻ってくると獨孤皇后は駆け寄り、地に身を伏せて罪を謝しました。


文帝は日ごろ頭が上がらない獨孤皇后が罪を謝する姿を見て留飲りゅういんを下げたか、怒りを忘れて助け起こします。殿上に上がると皇后は再び恩を謝し、急いで酒宴の用意を整えさせました。


獨孤皇后は常になく文帝の世話を焼き、気をよくした文帝は珍しく泥酔して寝宮に引き取ります。それを見送ると皇后も後宮に帰って床に就きました。


夜半、腹の中から大きな咆哮ほうこうが響くと、一匹の金龍きんりゅうが飛び出して中空ちゅうくうに躍り上ります。その龍は徐々に大きくなって遂に十余里にまたがると、空を飛びめぐりました。


そこに一陣いちじん狂風きょうふうが吹きつけると金龍は粉々に砕けて地に落ち、その欠片かけらねずみに変じてしまいます。


皇后が驚いて飛び起きればすべては夢のこと、心中にいぶかしく思うところ、いよいよ陣痛じんつうが始まります。宮女たちが駆けつけて介抱かいほうし、皇后はほどなく男児を産み落としたのでございます。

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