火ノ丘山のカラス⑤
「ひょっとして、お二人さん、水路の中に入ろうっていうわけ」
トモが難しい顔でたずねる。
「当たり前じゃん、水遊びなんだから」
「それは無理だと思うよ」
「どうして」
「あの水はみんなのものだから」
「みんなのものなら、泳いでもいいんじゃねえの」
トオルはいつものへ理屈を述べたが、夏帆はここでも頑としてはねつけた。
「でもトオルだけのものじゃない!もちろん直樹のものでも」
水は街の人々の生活用水になるのだから、お前の泥だらけの靴で、どかどか踏み荒らすことは許されないのだと、トモ。
「でも、処理場があるんでしょ。華上(けあげ)にあるみたいなのが」
直樹はなおも食い下がったが、トモは手きびしかった。
「水をきれいにするために、どれだけの時間と労力がかかってると思ってんの。華上の浄水場に見学に行った時、直樹も見て知ってるでしょ」
「まあね」
直樹は素直にみとめたが、トオルはあきらめない。
「いいじゃん、ちょっとぐらい。靴を脱いで入ればいいよ。ねっ」
肩にしなだれついて、ネイマール風に伸ばした前髪の間から、若鳥のようなきらきらした目で訴える。
「オレはいいけど、柵とかあって中に入るのけっこう大変かもよ」
「直樹、マジで言ってんの。あの水路はゆっくりと北上してるんだからね。流されても知らないからね。考えてもみてよ。”哲学者の道”なんか歩いてて、白いドラえもんみたいなのが、ぷか・・・」
「わかった、わかった」
トオルがそれ以上言うなというように、トモを制した。
「まあ、オレたちに限って、そんなヘマはしないけどさ」
それから夏帆に手を引かれた優をあごで示して、
「こいつ、泳げるの」
「ううん」
兄貴に即座に否定され、優はむきになって
「ぼく、クロール得意だよ」
前のめりの姿勢で水をかく真似をしたが、それはどう見ても、空中で羽をパタパタさせてもがいているチョウだった。直樹は、優の頭をなでながら、
「よし、じゃみんなで、水路閣へLet’s go」
直樹のつるの一声で、トオルを先頭に樹木の枝をかきわけるように山道を登り始めた。そのころみんなまだ、ダジャレを飛ばしあうほどの元気は残っていたけれど、勾配が下りに変わると、歩く速度も自然とスローダウンして、おしゃべりどころではなくなった。赤土の道はすべりやすく、おまけにアボガド級の小石がごろごろ転がっているので、うっかり転ぶ恐れがあったのだ。
先頭のトオルは灌木の茂みを器用にかいくぐり、独自のピッチを保っていた。そのうちに後ろとの距離はみるみる広がり、三叉路から南千寺方面へと左に折れるころには、その姿は見えなくなっていた。直樹はニ番手で、トモと耕平は三番、四番手。後ろで優は、時々立ち止まっては、歌に合わせたダンスを披露したりしていた。片手を斜めに高く掲げ腰をねじり一周して見せてから、両手をくるくる入れ替えて最後に胸のあたりでハートをつくる。夏帆もノリノリで、手拍子したりいっしょに踊ったりで、直樹たちも付き合うはめになって、そのせいで、ますます遅れるというわけだ。
”ギャー”
その時、谷の方から悲鳴が聞こえて、直樹は真っ先に高木の生い茂る山道を、走るというよりは滑るような足取りで駆けていった。やがて土石流が冷えて固まったような形をした大木の根方に、大きな青い風船がひっかかっているのを見つけた。風船は風もないのにゆらゆら揺れていて、直樹がおそるおそる近づいていくと、木の幹に寄りかかって動けないでいるトオルを見つけた。
「大丈夫か」
「ああ」
トオルが振り向いてしぼり出すような吐息をもらした。見ると額にひどい汗をかいていて、シャツの二の腕のあたりからは、血がしたたっていた。
「いったい、何があったの」
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