第三話 二番目の犠牲者②

8月14日、義母は毎年そうしているように娘夫婦を門口で出迎えた。坪庭に車を移動するのを手伝ったあとは、持参した”俵屋吉信の”水ようかんを、”仏さんのお下がりやけど”と冷えた麦茶とともに運んできてくるのもいつも通りだった。

愛車のウィッシュにカーナビを取り付けたのは、お盆休みの始まる前々日のことで、おかげで山品区音羽の自宅を朝の9時に出て、天王小岩には9時55分には到着することができた。南部方面への道路が飛躍的に増えたのは、”関西文化学術研究都市”構想によって、近畿地方に広がる自動車専用道路が、延伸に次ぐ延伸を重ねたからだ。産業界、学術機関と官庁が一堂に会して、京都、奈良、大阪をまたぐのどかな山あいの土地に新都市の形成を目指すという”学研都市”は、8世紀、聖武天皇が、国家鎮護の名のもとに、全国に国分僧寺と国分尼寺を建造する詔(みことのり)を発令し、総国分寺として東大寺を建設した奈良の都を理想としていると言われる。とはいえ平安京に都が移ったあと、”南都”と呼ばれた平城京が、1300年の時を経て、未来都市として息を吹き返すなんて、八神のようなインターネットもやらない頭の古い人間からすると、いささかぶっ飛びすぎていて、まるでぴんと来ないのだけれど。

「そっちはどうえ、変わりない」

奥の和室間の革張りのソファーに向かい合って腰かけたところで、義母にたずねられると八神はにこやかに応じた。

「まあ、なんとかやってます」

隣で幸子が、組んでいた両手を固く握りしめながら小さくうなずいた。夫婦も長くいっしょにいると、あ、うんの呼吸というのか、都合の悪い質問にも、なんとかやり過ごせるようになるらしかった。

深く考えて発した言葉ではなかったが、夫婦の間柄に限っていえば、文字通り、”なんとかやっている”というのがぴったりくる感じだった。じっさい何も知らない人からすれば、夫婦は円満に穏やかに暮らしているとように見えたかもしれない。実際そうなのかもしれないしそうでないのかもしれない。妻とは年をおうごとに情緒的なつながりが希薄になって、この頃ではもう、日常生活に必要な事柄以外口を聞くことはほとんどない。不満を口にしてくれればよかった。けれど利口な幸子はそれもしない。不平を言うのは、相手にまだ期待や望みを抱いているからで、要はもう、諦めの境地に入ったということかもしれない。人生とは空っぽの大きな箱のようなものだと誰かがいった。箱のふたを開ければまた同じ箱が入っている。次の箱を開くと同様に同じ箱が入っている。次の箱もまた次の箱も同じ。結局中身は何もない。実際、生活とはそんなものではないだろうか。何か大きなあやまちを犯したというのではない。むしろ家事も近所づきあいもそつなくこなし、知り合いがたずねてくるとどんなに遅い時間であろうと、嫌な顔一つせず酒の肴まで用意する幸子は、自分にはもったいないくらいの女だった。

去年の夏に、入来の新任歓迎会を自宅で開いた時には、ちらし寿司に天ぷら、それに点心料理とワンタン、はては手作りのマンゴープリンのデザートまで用意して、集まった皆を感激させた。あの時はもう、古い同僚からいつも世話になっているご近所さんまで、20人ほどが集まって大騒ぎとなったのだが、八神にはすぎた妻だと皆がほめそやすものだから、幸子は始終上機嫌だった。元来幼いところがあって構ってやらないと収まらない性質なのだ。褒めてやれば上機嫌で、そんな無邪気なところのある幸子を心から愛おしく思った頃もあったが、もう遠い昔になってしまった。高校生だったころ、幸子は名前の二文字をとって”雪ん子”と呼ばれていた。色が白くて足がとびきり早くて、いつも何かと率先してまとめ役をかってでるような優等生だったから、憧れる男子生徒が大勢いた。当時幸子は、テニス部の篠田という学校一の秀才と付き合っていて、武骨な輩ばかり集めたような剣道部に所属していた八神からすると、高値の華のような存在だった。もっとも卒業間近に幸子は篠田と別れてしまったが、その後八神は大阪の体育大学に進んでいたし、幸子はオーストラリアの大学に一時留学したりしていたから、接点はないも等しかった。ところが、一年ほどして幸子が古都に戻ってきた時に、電車でばったり出くわして、それからなんとなく付き合いが始まったのだった。再会して三年も経たないうちに結婚に至ったわけだが、それについては、義母の後押しがあったためだということを、八神は重々理解しているつもりだった。ある時八神が、”どうして僕は孝子ちゃんのお気に入りになれたんですか”と冗談めかしてたずねてみたことがあった。結婚して五年ほどたったころで、義母は、”まあ、直感みたいなものや”といったんはごまかした。当時義母は今の幸子と同年代で、はっきりした目鼻立ちに特徴のある、およそ日本人離れした美女だった。外見にたがわずはきはきした物言いをして、八神などいつもやり込められてばかりいたが、そんな義母が意外なことを口にした。

“八卦見の人から言われたんよ。あの、祇園石段下の占い師さん、何て言ったかな”

”ひょっとして若宮さん”

当時、祗園石段下の若小路初音といえば、顔を見ただけで、運勢を言いあてると評判の女占い師で、ひとづてに聞いた話では、親友の恋人との三角関係に悩んでいた女性が相談に出向いたところ、”その男だけはやめた方がいい”と忠告を受けたという。女性がよく調べてみたところ、なんと彼女が横恋慕していた相手は、別の女友達にも手を出していたというのだった。その若小路初音が、義母に断言したというのだった。

八神と幸子の相性はばっちりで、娘さんの将来を思うなら、この男性と結婚させなければなりませんと。

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