第三話 二番目の犠牲者 ③

浜松からお取り寄せしたというウナギ丼と義母が自ら台所に立って、こしらえた”う巻き”と、じゅんさいとはんぺん入りの吸い物と、みょうがの酢の物などで豪華な昼食をすませると、午後には八神が発案して、車で”学研都市記念公園”へと出かけた。総敷地面積24ヘクタールの大公園だが、大方は元あった自然林が生かされたものだという。庭内のあちらこちらに日本の里山の風景が再現され、中でも、”水景園”は必見の価値ありというので、期待して出かけていったのだが、目当ての観月橋にたどり着くまでが大変だった。義母の手を引いてなだらかな並木道を歩いていったのだが、行けども行けども芝生の丘が広がっているばかりなのだ。30分ほど歩いて、八神は大きな楡の木陰の木のベンチに、義母を休ませて、一人で土手の下の小川の方へ下りて行った。小川の水は、山の岩肌から湧きだしたように澄みきっていて、手を浸すとひんやりとして気持ちがよかった。さらに進むと、積み上げられた大岩から水流が滝のように落ちている所へと出た。土手の芝生の上にしゃがみ込んで、流れ落ちる水音にしばらく耳を澄ましていた。八神の生まれた井出町は、山合いの田んぼと畑に囲まれたのどかな田園地帯で、遊びといっても、もっぱら近くの草むらで虫を捕ったり、川に入ってカエルやめだかを捕まえるくらいのものだった。夏休みには午前は学校のプール、午後には川遊びというのがフルコースで、木津川まで遠征すれば、ちょっと危険な素もぐり競争やコイやフナやナマヅを捕まえたりと、一日太陽の下にいるから、子供はみんなフライパン色に日焼けしていた。その小川は、地元の川よりは水が澄んでとてもきれいだったが、こんな暑い日にはつい水に飛び込みたくなる八神としては、いささか物足りない感じがないでもなかった。それでもとにかく涼感だけは味わえたことに満足して、土手を駆けあがって、義母と幸子が仲良く休んでいるベンチへと戻った。

「なんか、えらいところにきてしまいましたけど、大丈夫ですか。歩けますか」

水玉のリボン飾りのついた麦藁帽をかぶった義母が、帽子のつばを片手で押し上げながら、上目づかいにうなずいた。

「なんのこれしき。何が何でも春ちゃんについていくわよ」

唇をかみしめて白い歯をのぞかせてにっと笑う。十歳の子供のような笑顔。隣から幸子が手を伸ばし、ガーゼのハンカチで額をふいてやる。頬、あごの周り、髪の剃りあとがうっすらと残った襟足と続いたが、汗はもう群青色のレースのワンピースの胸元を鉄紺色に染めていた。

「入口のところでジュースでも買ってきましょうか」

八神は気を利かしたが、義母は即座に断った。

「いい、いい。それより、春ちゃんもう一度手ぇ、貸して」

そばに立ったとたん、腕をぐいとつかまれた。八神の方に寄りかかるようにして立ち上がったとたん、頬に電気が走ったような険しい顔つきになったが、それもほんの一瞬のことだった。そうして再び、八神は義母の手を取って歩きだした。娘婿と腕を組んで歩く。これが最高、杖は最悪というわけだ。

太陽は今やもっとも高いところにあったが、義母は時折まぶしそうに顔をしかめるほかは、どことなく楽しげで、八神もまた、久しぶりに爽やかな開放的な気分を味わっていた。芝生広場ではキラキラした卵色の日差しを浴びながら、大人も子供もいっしょになってボール遊びに興じたり、追いかけっこをしたり、手をつないでスキップしたり、手拍子に合わせて踊ったりしていた。後ろを振り返ると、ゆったりとした優雅なくらいの歩き方で自然を満喫している幸子がいて、八神に向かって手を振ってくる。釣鐘型の麦藁帽に、コム・デ・ギャルソンのくるぶしまであるタイト型のロングワンピース。こういう場所にそぐわない服装に見えなくもないが、細身の妻にとても似合っている。胸元に飾られている三日月型のペンダントは、週に一度通っている”ワイヤーレースジュエリー講座”で作製したものだ。銅線にシルバー加工の施された金属製の糸を、かぎ針を使って好きな形に編み込んで作るのだとかで、一年間、真面目に教室に通い詰めて、ビーズを施したブレスレットや季節の花をあしらったネックレスなどの作品を仕上げてきた。

飽きっぽいところのある幸子には珍しいことで、つい先日も先生からお褒めの言葉をもらったという。

“先生からなかなか筋がいいといわれたの。あと一つ課題作品をクリアしたら、終了証が出るのよ。そうしたら教室を開くこともできるんだから。講師になったら、助手として雇ってあげてもいいわよ。これ、リタイア後の身の振り方としては、なかなかいい線いってると思うんだけど”

いつかも冗談めかして言った幸子。けれどドリカム好きでもなく、未来に甘い展望もない八神の”未来予想図”はそんなに甘っちょろいものではなかった。

何しろ貯水池で男の子の遺体が発見されてから後、周囲はにわかに騒がしくなった。自らを万年巡査部長と揶揄してきた八神だが、そんなことはもうどうでもよかった。とにかく、犯人をこの手で摑まえて、長い間、胸の奥にある無念にケリをつけたいと思う。

今の八神は、未来も定年後の予想図もなく、今がもっとも肝心に思えた。

入来は大胆にも、怨霊の仕業と言い切った。そして八神自身、それが荒唐無稽な言い分とは思えなかった。実際21年前にも古都では似たような事件が起こった。三人の子供が突然姿を消し、その後まもなく無残な姿で発見された。

岡咲疎水に遺棄された女児の事件については、当事者として汗を流した。東野山署の刑事課にいたころで、結局犯人逮捕には至らなかったが、それには理由があった。

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