第三話 二番目の犠牲者 ④

今回と同じく警察が早々と捜査を打ち切ったのだ。

あの時、一部の人々の間で流れていた街の噂を知らない八神ではない。

子供たちは、あの”カラス男"に殺されたのだ。カラス男の正体を見た者はいないが、元は高貴な身分のお方で、大神家の跡目争いに敗れたのちに、怨霊となって蘇り、街に取りついてしまった。あのカラス男の仕業だと。

日差しが和らいだと思ったら、竹林に入っていた。義母は思わず立ち止まり、木漏れ日が竹の葉を金色に染めている林のかなたをながめた。

“なんだか生き返るね。空気がおいしい”

その時気持ちの良い風が吹いてきて、枝葉を大きく揺らした。さわさわという葉擦れの音には、太古の記憶を呼び覚ますような不思議な感じがある。竹取物語ではないけれど、今、竹藪の奥から十二単のお姫様が楚楚とした仕草で現れても、決して驚きはしない、そんな幽玄の世界を思い起こさせるものが。そのうちに幸子も追いついて、義母と並んで歩きだした。二人がおしゃべりの花を咲かせているうちに、竹の林は夢のように消えた。じりじりした日差しの眩しさに目を細めながら、クスノキに似た巨木の間を抜けると、目の前に真一文字に伸びた橋が見えてきた。京町家をイメージしたというだけあって、木の骨組みを支えにした精巧なつくりの橋だった。八神は後ろの二人に声をかけた。

「いよいよ、観月橋を渡りますよ」

義母と幸子の歓喜の声を聞きながら、橋の中ほどまで来ると八神は欄干に身を乗り出して、ソニーのハンディカムを回した。とがる緑地帯の風景を収めたりした。ビデオは2004年モデルのカセット式だが、画質は悪くない。新しい機種の買い替えも考えなくもないが、年に一度か二度出かけるくらいでは、宝の持ちくされになってしまう気がしていた。子供でもいれば別だが、夫婦二人暮らしでは、記録しておきたいことは極めて限られているのである。広大な池を囲むようにして広がる大庭園の眺めは予想以上だった。うねるような棚田を豊かな森がとりかこむ風景は、ベトナムとかタイとかどこか野趣たっぷりのアジアののどかな水田地帯を思わせたし、飛び石や精巧な作りの水盤やかやぶき屋根の東屋がなかったら、ここがアマゾンの奥地のオアシスと言われてもそうと見えたかもしれなかった。八神は気まぐれに義母や幸子にレンズを向けると、中学生ばりのピースサインに圧倒されながら、橋を渡ったあとは観月楼へと移動した。

回遊式日本庭園と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、千都神宮の神苑にある庭園だが、楼台から見る池は神苑のと比べて深い緑色に澱んで見えた。けれど考えて見れば、この地にもとあった自然池に、水棚や石組や滝までこしらえて人口の庭園にみたててあると思えば、整然としたその姿は、人口と自然が一体化した壮大な美のたたずまいというべきかもしれなかった。何しろこちらの池では、高級料亭の床の間の掛け軸から抜け出してきたような、美しい色合いの錦鯉たちが優雅に泳ぎまわっているのである。どれもこれも丸々と太っていて、餌が投げ込まれようものなら、いっせいに台座のふちに押し寄せてきて、われ先に頭を伸ばして一口で飲み込んでしまう大食い揃いなのだ。中にはトビウオのようにジャンプをせんばかりにして、餌を横取りするツワモノまでいて、八神が義母とベンチに並んで腰かけて、餌に群がる鯉たちの攻防を、熱心に眺めていると、幸子が”はちみつレモン”のペットボトルを三本買って戻ってきた。ジュースはとてもよく冷えていた。八神は一気に飲み干すといつもの軽口を飛ばした。

「冷たくておいしい。こんな時は、冷えたビールで”しめ”といきたいですね」

「ほんとうやねぇ。こめかみのあたりがきりきりするようなのを、キュッと飲みたいねぇ」

隣で義母が気さくに応じた。

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