第三話 二番目の犠牲者 ⑤

翌日、15日には、再び京奈和自動車道に乗って西木津まで義父のお墓参りに出かけた。見晴らしのいい高台に新しくできた霊園の墓は、義父が亡くなった時には義母が建てたものだった。都市の開発に合わせて、霊園の建設が進められるのも自然の流れというもので、八神が知るだけでも、ここ十年の間に三つの霊園が開園されている。八神の両親の墓は、親族が多く眠る福井にあって、顔見知りの住職に管理をすべてまかせてあるので、数年に一度挨拶もかねてお参りに出かけるだけで、毎年顔を出すことはない。父も母も草葉の陰で薄情息子となじっていることだろうが、これもまあ一人っ子ゆえの気楽さと思うことにしていた。お参りのあとは、有馬温泉へ向けて一路西へと車を走らせた。お盆を有馬で過ごすのは、義父が生きていたころからで、ずっと昔は、有馬で一泊したあと二日目は六甲に向けて車を走らせたり、時には宝塚まで足を伸ばして宝塚観劇を楽しむこともあったが、最近はもう高速道路から近い国道沿いの温泉宿で一晩、休むだけである。四国の道後と白浜に並んで、日本三古湯に数えられる有馬は、塩分と鉄分を豊富に含んだ”金泉”と、炭酸ソーダ水の原料にもなる”銀泉”の二種類の湯が唯一湧く温泉としても有名で、全国各地から湯治客が押し寄せてくる。近頃は、日帰り客用の湯殿も増えて、連日芋の子を洗うような賑わいだというが、温泉は静かにゆったり浸かってこそだから、一年に一度の贅沢をして、せめてもの親孝行にしているのだった。

控えの間と、八畳の寝室、それに六甲山が一望できる眺めのいい縁側のついた部屋に入ると、宿の浴衣に着替えをすませ、一人湯殿に下りて行った。宿には長い廊下をつたった先に、森に囲まれた露天風呂があって、金泉の湯のほかに銀泉の蒸し風呂やジャグジーまでついているのだった。

来る途中に買い込んだおろしたてのタオルを肩にかけ、露天風呂に入っていくと、例によって錆びた鉄色した湯が満々とたたえられた金泉も、向かいの一回り小さな銀泉も大勢の湯治客が押し寄せていた。見たところ入り込む余地はなさそうだったが、温泉は譲り合いの精神で成り立っている場所でもあった。八神は頭をタオルにのせ、この日のために一年間汗水たらして働いてきた、とでもいうような顔つきで、屋根の向こうのしたたるような森の緑を眺めていた中年男性が、ふとこちらに目を向けたのを合図に、その隣に太い身体を無理やり押し込ませた。

湯殿は二十人も浸かれば満杯になるほどのこじんまりしたものだが、男ばかり身を寄せ合って、借りてきた猫のように大人しく湯につかっている様は、壮観なものがある。高齢のグループ客が多いが、若者の姿もちらほら見受けられる。昔は温泉というと、中高年のたまり場というイメージだったが、これも幸子の言うインターネットの効能というわけか。八神などは、ジェット機に乗らなければ見ることのできない雄大な自然や、世界各地の人々の営みが、クリック一つで目にすることができるネットに慣れてしまうと、子供のもって生まれた想像力や冒険心が希薄になるのではと恐れるが、忙しい時代にはそんなことを言っているひまもないのだろう。

温泉にいる子供たちは、みんな熱さに根を上げて父親の注意も聞かずオモチャ片手に走り回っていたが、じっさい高温の金泉に五分も浸かれば、あっという間に体中が真っ赤になってしまう。それでも裸の付き合いとはよくしたもので、身も知らぬ者同士でもたちまち打ち解けてしまう。八神は話好きの古老と世界情勢から街に増えたカラスの話で盛り上がると、銀泉へとうつった。銀の湯の蒸し風呂でたっぷり汗を流した後、ジャグジーに移動して腕の時計に目をやると、時刻はすでに5時半を過ぎていた。部屋で待っている二人のために、五時には上がるつもりだったのが、大幅に遅れた格好となった。

大急ぎで風呂から上がり部屋に戻ると、入口のところで、おろしたての桜色の浴衣に着かえた二人と出くわした。

「遅くなった」

気まずそうな八神に幸子はにこやかにこたえる。

「私もお母さんも内風呂でゆっくりさせてもらったわよ」

一階の売店をひやしに行くという二人を見送って、ほのかに硫黄の匂いが漂う部屋に戻ってテレビをつけた。それからニュースが流れてきたところで、内風呂へ入って行った。金の湯がたっぷり張られた満月のように大きなヒノキ風呂である。中をのぞくと、伏せておかれた桶に、見覚えのある手ぬぐいが仲良くひっかけてあった。”濱紋様”という特別な技法で染められた高級品で、ほおづきの鉢が二つ描かれていたのが幸子の選んだもので、”ふうせんかづら”に水の波紋と二匹の金魚の絵の入ったのが、義母のものかと思う。さきほどの桜の模様入りの浴衣も幸子が是非にといって買い揃えたもので、さっきはまだ温泉にも着かないうちからと文句の一つも言いたくなったが、女たちにしてみれば準備にかける時間も旅のうちだというわけだ。開け放されたガラス戸の外に出ると、縁側の植込みの間から吹いてくる風が頬に当たって気持ちがよかった。手すりから身を乗り出し、手に触れられそうな近さの六甲の深々とした緑の山並みを眺めていた。そのうちに背中のあたりがぞくぞくしてきて部屋に取って返した。備え付けの冷蔵庫を開いて一人でビールでもとも思ったが、なんとか我慢してテレビを見ていると、まもなく義母と幸子が戻ってきた。早々とお土産を買いこんだらしい幸子は、炭酸せんべいやら銀泉からつくられたという石鹸やらの包みを取り出してうきうきしている。やがて料理が運ばれてきた。お刺身の皿には例年通り、明石海峡沖で早朝に水揚げされたばかりという、鯛にはまち、それに蛸が並んでいた。和牛は、今年も石焼用としゃぶしゃぶ用の二種類が用意されている。ガラスの器に涼しげに飾られた八寸には、アユが踊っている。吸い物には鱧がうかび、羹から漬物から、地場産の新鮮な野菜をおしみなく使われた心づくしの品が並ぶ。

食後に八神は熱燗を幸子と義母は生ビールで乾杯とあいなった。そうして今年もまた義母を挟んで川の字になって布団を並べると、十時には床についた。

真っ赤な血の色のようだった空も、夕焼け本来の淡いピンクに染まりつつあった。八神は冷然通りを疎水に沿って歩きながら、依然背中に砂袋でも背負ったような倦怠感と戦っていた。休み明けはいつもぐったりとなるが、今年は格別だった。年のせいかとも思うが、それだけではない気がした。

有馬の宿で一泊したあと、翌日は昼過ぎまで駅前をぶらぶらし、お昼の三時には帰途についた。天王小岩まで義母を送り届けたあとは、第二京阪も名神も大渋滞で、音羽のマンションにたどりついたのは、大文字の点灯が始まる直前だった。帰り道、八神も幸子もほとんど口をきかずにいた。渋滞のわずらわしさもあったのだろうが、恒例行事になっている一泊旅行が、お互い煩わしく感じるようになっていたのかもしれない。一年に一度押しかけてあちこち連れ出して、これで義務を果たしていることになるのだろうか。まるで罪滅ぼしのように、休日にまとめて埋め合わせをしているだけではないか。有馬の宿で、酒を飲んでいる時義母がふっと口にしたのは、

“やっぱり一人で飲むよりおいしいね”

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