第二話 魔物の棲む街⑧

「それも居酒屋の娘が言ったのか」

「まあね」

「何者だその娘は、君の恋人か」

「そんなんじゃありませんよ」

「店の名前は、なんていう」

八神はすっかり興味をそそられていた。

「八千代です。”君が代は千代に八千代に”のあの八千代です。元祇園の芸妓だった店の女主人の源氏名からつけられたそうですけれどね。その八千代ママが言ってましたけど、古都市は地相学でいう、理想的な”四神相応”の地だそうですね。四神のうちの”東の青龍”にあたるのが、高世川の本流の鴨野川なんだとか」

「なるほど、風水か。8世紀に古都に都が制定された理由は諸説あってね、たとえばもとは永岡にあったのを、桓武大神が、古都にうつした目的は、怨霊から遠ざけるためだったというんだな」

「怨霊?」

入来はペットボトルに手を伸ばし、コーラをごぼごぼと音を立てて飲み干した。

「霊の正体は実弟の早原親王(さわらしんのう)だ。親王は、実兄の桓武大神に深い恨みを抱いて亡くなったといわれてる。桓部大神様には、子息を跡取りに据えたいと強い願望があった。そのために、桓武大神様が寵愛していた大臣の暗殺の首謀者という濡れ衣を着せて、投獄した。親王は冤罪を叫び続けながら死んでいった」

弁当の隅っこのコロッケをうまそうにむしゃむしゃほおばりながら、神妙に聞き耳をたてている入来のために、八神は話を続けた。

「そうして桓部大神様の思惑通り、子息の平条が皇太子として迎えられたんだが、その後、大神様の身の回りでは、皇后や后(きさき<第二夫人>)が次々と亡くなる不幸に見舞われた。あらためて早原親王の怨霊の存在を恐れた大神様は、永岡から古都に都を移した。とまあ、これが永岡から、古都に移された経緯といわれている。この街のいたるところに、寺や神社が建っているのも、怨霊退治のためだともいわれているくらいなんだからね」

「そういえば、アスカちゃん、ひどく霊感が強いそうですよ」

「ふうーん」

「男の子の引き揚げられた日に、夢を見たそうです。ブラジルのサッカーチームみたいな色のシャツを着て、カーキ色の半ズボンをはいた小さな男の子が、手におもちゃのようなものを持って、水路橋の土手を走っていたそうです」

「君、まさか、八千代のねえちゃんが、”正夢”を見たというのか。君は、そう言いたいの」

「はい」

「娘について詳しく教えてくれないか」

八神は勢い込んで言った。

「まあ、みかけは二十歳そこそこの普通の女の子ですけれど、占い師ということです。ママさんがそういうの好きみたいで、それで店の奥に”アスカの部屋”というのを設けて、客の運勢を見ているんですよ。評判が評判を呼んで、今では、恋に悩める女子が大勢押しかけてきているらしいです。何しろアスカの母親も占い師らしいですからね。特別な能力が生まれながら備わってるのかもしれません。そうそう、九星気学に詳しい占い師の母親によるとも、遺体の上がった方向は、小児殺にあたるらしいです」

「なんだ、小児殺というのは」

八神は先をせかした。実際、守秘義務などどうでもよくなっていた。

「子供が事故や災難に巻き込まれる方位だというんですよ」

女というものは、堅実でありながら、信じられないくらいに無鉄砲で無謀な側面があるのが、八神の実感である。義母の孝子がそうで、”若宮さん”と呼ばれて評判の、祇園石段下の八卦見の女の見立てで、娘と八神の結婚を勧めたのは、今では懐かしい記憶となっていた。八神がそのようなことを指摘すると、入来の黒目がちの丸い目が光り輝いた。戦闘意欲に火がついた合図なのは、すぐにわかった。

「そうでしょうか。アスカちゃんは今度の事件も、冷静に分析していますよ。仮に水路閣で殺されたとして、男の子が発電所の貯水池に流れ着くのはありえないというんですね」

八神は思わず箸をおいた。顔がひとりでに上気して、冷や汗が額から流れ出すのがわかった。

「実は僕もずっと、そのことを考えてきた。南千寺の上を流れる疎水の水は、大字山の山すそを少しずつ高度を下げながら北に向かうよう掘ってあるんだ。北部地域に水を供給するための工夫が施されてるんだ。だからもし、娘が言うように、男の子が水路閣に投げ込まれたのだとしたら、遺体は、発電所の貯水池にはとうてい流れ着かないんだよ」

「もしも、そこに特別な力が働いたとしたら」

週に一度はジムに通って筋肉トレに励んでいる入来が身を乗り出すと、その体つきは、制服のシャツの上からでも、まぶしいほどに固くひきしまって見えた。

「さっき八神さんが言ったじゃないですか。街が永岡から古都に移されたのは、桓部大神が怨霊を恐れたからだと」

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