第二話 魔物の棲む街⑦

田中氏が帰っていくと、八神は昼食にかかった。向かいの入来は買い込んできた弁当にも手を付けず、壁にかかったテレビにくぎ付けになっている。待ちに待った、夏の全国高校野球選手権大会が始まったのだ。

沖縄出身の入来のお目当てはむろん、久米琢磨だ。一回戦の相手は和歌山の強豪、簑島高校で、大会屈指の好カードと騒がれたわりには、うるまのワンサイドの様相を呈していた。七回裏が終わったところで、6-0と大差をつけ、投げては、五回までノーヒットに抑えるという久米琢磨の奮闘ぶりが目立つ試合運びとなっていた。八神はニヤニヤ笑いを抑えきれない様子の入来に言った。

「うるまが優勝したら、どうするね」

「さあ、阪神ファンの向こうを張って、裸で疎水にでも飛び込みましょうか」

試合経過に気を良くした入来が、やっと弁当の蓋を開いて、ご飯を一口含む。

「若い警官の君がそんなことしたら、大変なことになるんじゃない。近所のギャルが押し合いへし合いして」

「若いなんて、僕なんかオジサンですよ。来年、30才になるんですから」

「君がオジンやったら、俺はどうなる。生きた化石、シーラカンスや」

八神の軽口に、入来はアハハと楽しそうな声をたてて笑う。ペットボトルの蓋を開いて、コーラをぐいと飲み干す。この頃の若者は弁当を食べるのも、炭酸が必要なのか唖然としながら、およそ日本人離れしたクールな容貌に見入った。

生まれながらのものらしいウェーブのかかったた前髪。ウィル・ターナー気取りの口ひげが、毛深いためにジャック・スパロウ風になるのが、気に入らないと平気でこぼす。髭剃りが日課の八神が、いくら注意してもダメで、この頃はもう根負けのありさまだ。とびきりの二枚目というのではないが、目鼻のくっきりした鋭い顔立ちは、メキシコかグァテマラあたりのカウボーイ(色男)のおもむきだ。それでも入来には、生来の警官としての大切な気質が備わっている気がする。何より笑顔が素晴らしい。黒々とした瞳をおどけたように真ん中に寄せて、口角をキュッとあげるだけで、瞬時にして人を幸せな気持ちにさせるのは、入来達哉かミッキーマウスかというくらいのものだ。

「さっきの人、第一発見者の人でしょ」

「ああ」

「何か、重大な証言があったんですか」

「いいや」

氏から打ち明けられた話をしてやると、入来は納得したようにうなずいた。

「このごろは愛煙家がすっかり生きづらい世の中になりましたからね」

「そうだな。同じ建物の中で分煙をしても、あまり意味がないという意見もあるしね」

「煙の出ない、加熱式タバコも出ていますよ。喫煙者の健康被害はもっと深刻でしょうけど」

「刹那的に目先のことだけ考えて生きるのも悪くないよ。それに煙草がないと、仕事がはかどらない人間もいる」

「いっそのこと、発売禁止にすればいいんですよ」

「それは無理だろうね」

「どうしてですか」

「タバコと酒は、働く大人にとって、天(大地)からの数少ないご褒美だから」

「ご褒美ね。なかなかいい言い方しますね」

入来はコロッケをうまそうにほおばりながら、皮肉を込めて付け加えた。

「ご褒美を受けたお礼に、それをまた”天”にお返しをするってわけですね」

八神は困ったように苦笑した。おちゃらけているかと思えば、老成した意見を述べてみたりする。これが、”今どき”の若者気質というものだろうか。子供のいない八神は、時に理解不能におちいることがあった。

「でも、おかしいと思いませんか。子供が殺されて疎水にほおりこまれたというのに、まだ捜査本部も立ち上がってないんでしょ」

いよいよ核心に入ってきたかという感じで、八神は梅干しを箸の先でちぎって、ご飯の上にのせると、かたまりごと豪快に口の中にほおりこんだ。ゆっくりとそしゃくをしてから、渋い顔で続けた。

「その辺のことは、俺たちにはどうすることもできんよ」

「どうしてなんですか」

「まあ、色々とね、事情があるんや」

「一つお伺いしたいんですけど」

入来が弁当の隅っこの焼き魚を、箸の先でもて遊ぶようにしながら、

「古都では、21年前にも子供が殺されて、水路に投げ込まれる事件があったってほんとうですか」

八神ははっとして部下の顔に見入った。

「そんな話、誰から聞いた?」

「本斗町の居酒屋の女の子が、僕におしえてくれたんですよ。でもどうして、事件のこと、僕に教えてくれなかったんですか」

「さっきも言っただろ。色々と事情があるんや」

「21年前の事件も、未だに犯人が捕まっていないそうですね」

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