火ノ丘山のカラス⑦

そうしてひとしきり騒ぎあった後は、お決まりのチャットタイムの始まり始まりだった。

“でも、トオルがあのタイミングでずっこけるとはね”

 もちろん転んだのにはちゃんと理由があって、カラスを5匹ほど串差しできるような木の枝を拾い上げたところで、うっかり足を滑らせて、土手の坂のダイブを楽しむはめとなったのだ。トオルは一瞬ムッとなったけれど、もちろん本気で怒ってなどいない。

“ワザとに決まってんじゃん。集中的に狙われてるみたいだったから、陽動作戦に出たんだよ”

“そのわりには、動きを読まれてたけどね”

さらなるトモのツッコミに爆笑となったところで、シャツをまくって、二の腕をぐいと前に突き出した。フライパン色に焼けた肌にピンク色の水玉模様がいくつもできていて、触れてみると少し熱感があった。一つの傷口からは、今もなお赤い糸のような血が流れ出していたが、トオルは、いつものヤツと呼ぶ、ピザーラの”ポテト&コーン”をフーフーするみたいに、傷口に息を吹きかけながら、

「これくらいどうってことない」

なんてケロリとしていた。

「僕だって、ほら」

トモも負けじとボタンダウンのシャツをまくり、腕の中ほどの楕円形に赤く腫れた個所を、マッチョが日頃の成果を見せびらかすみたいに、両手でこぶしを作ってぐいと押し上げて見せた。それを見て思わず夏帆が吹き出した。

“名誉の負傷に見えるよ”

“ホント、ホント”

耕平が手をたたいてはやしたてる。

“相手がカラスじゃなきゃね”

再び爆笑となったところで気を取り直して、山道を下り始めた。それでもみんなまだどこか警戒心マックス状態で、風がざわざわと樹木を揺らしただけで、思わず立ち止まったりしていた。

それからはまた急な斜面の間を下っていかなければならなかったけれど、それでもなんとか樹木の幹にしがみつくようにしてやり過ごした。やがてとつじょ視界が開けて、階段づたいの坂道へと変わっると、みんなは思わず駆け出していた。やがて木の葉のかげから光るものを見つけた直樹が、キャっと女の子のような声を上げながら、優の手を引き土手に向かって走り出す。みんなももちろんあとを追いかけて、苔むす堀の端へと押しかけた。

「さらさらと音がしてる」

「うん、素敵な響きだ」

水路は大切な何かを伝える秘密の小舟を流すために作られたようだった。水は、湧き水でも溜めこんだみたいに清らかに澄んで、トモが言った通り、左から右、古都の街の北に向かって、律儀なまでに一定の速度を保っていた。さっそくトオルが、苔むす土手のふちに座り込むと足をブラブラらさせて、いつでもスタンバイOKというように両手で水をかく真似をした。直樹は優の手を離さないように気を付けながら、トオルの隣に並んで腰かけると、水面を流れる水の音にじっと耳を澄ました。暑い一日が終わる夕暮れ前の、光をいっぱい吸い込んだ夏草の甘い香りと、水面を覆う野生的なにおいが混じりあって、悪くない感じだった。

「ねぇ、今、何時?」

「あと三分で、4時になるところ」

夏帆にトモがこたえている。背後から優の肩を抱きかかえるようにして夏帆が言う。

「まだまだ遊べるね」

「うん。下りて水遊びしよ。兄ちゃん、いいでしょ」

「ダメ、ここは泳ぐとこじゃない。なっ、朋、そうだよな」

「ああ、疎水の水はみんなの水なんだ。だから、バシャバシャは禁止。優、わかった?」

「ちょっとだけ。足をつけるだけなら、いいでしょ」

「ダメなものはダメ。こっちにおいで、兄ちゃんと隠れんぼ、しよ」

直樹が優の手を引くより先に、優は駆け出して行ってしまう。直樹があわててあとを追いかけるより先に、目についた大きな木の後ろに身を寄せた。うっかり顔をぞかせたところで、

「お尻かくして頭隠さずだ」

直樹に軽口をたたかれると、

「フフ。でも、こうしたら見えないよ」

樹木と樹木の間にカメのように小さく丸まってみせる。けれどカナリーイエローのシャツにトクサ色の短パンをはいていては、カメレオンになるためには、もう少し修行を積む必要があるようだった。

トオルが、”山品蹴球倶楽部”のランニングよろしく水路端を駆け出すと、みんなもあとに続いた。水路が疎水分線と合流する地点は広大な貯水池になっていた。そこから伸びたえび茶色の二本の鉄管は、華上の水力発電所へと送られるというトモの説明を聞いていた耕平が、突然、大きな声を上げた。

「今、思い出しだけど、昔、遠足に来ていた小学生が誘拐されて、この導管からもっと南に下った山品疎水で死体で発見されたことがあったんだって」

男ばかり4人兄弟の末っ子で、お母ちゃんっ子の彼は、にこにこ笑顔を絶やさない円満な性格で通っている。けれど時たま、突拍子もないほら話をする癖があるのだ。金本監督と父ちゃんが飲み友達で、甲子園球場のボックスシートが無料で手に入るとか、一番上の社会人の兄ちゃんが、トーマス・オマリーのホームランボールを、五個も持っているとかみたいな、他愛がないといえばそれまでだけれど、この手の話にはうんざりしていたから直樹はほとんど本気にしていなかったが、それでも一応こうたずねることは忘れなかった。

「昔って、いつ頃のことだよ」

耕平の低い鼻のてっぺんから一気に汗が吹き出した。

「母ちゃんと父ちゃんが結婚した年だから、今から21年前だと思う。とにかくね、犯人はまだ捕まってないらしいよ」


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