火ノ丘山のカラス⑥
その時、すぐ先の樹木の葉がこすれあうような音がして、聞き覚えのあるあの声があたりに響いた。
“グエッ--“
カラスは両の羽を広げ、黒いガラス玉のような目を光らせながら、高性能の操縦システムが搭載された戦闘機のように、直樹めがけて一直線に飛び込んできた。大きなカラスで、街でゴミ箱をあさっている、早起きガラスの二倍はあるかと思われた。直樹はとっさに後ずさりし、目についたこぶだらけの木の幹にしがみつくように身を伏せた。
「気をつけろ。ヤツは本気みたいだから」
人気のない雑木林にトオルの声が響いた。
「本気って?」
「好物は人間さまってこと」
それからはビッグガラスの独壇場だった。頭上での旋回、顔面すれすれの急降下。
木の葉の間にまぎれては、現れてを繰り返す挑発行為に、生きた心地もしない。
とっさに転がっていた握り拳ほどの石を拾い上げ、頭の上のビッグガラスめがけて投げる真似をしたが、相手は恐れるそぶりも見せず
“グェー”
と、いつものしわがれ声を上げるだけ。それどころかやがて信じられないことが起こる。
“グェーグェーグェーグェー”
丸めた黒い紙を、空に向かっていっせいにばらまいたみたいに、どこからともなく大量のカラスが押し寄せてきたのだ。
「なんなんだ、こいつら。オレたちを狙ってるのか」
直樹は這うようにしてトオルのそばに近づいていった。
「千都神社のが、こっちへ移ってきたんだろう」
「どうしてわかる」
「一匹だけ大きいのは、さっき鳥居の端っこに陣取ってたヤツだ」
「お前、すごいな。すごい観察力だ」
「当たり前だろ。ボク、サッカー選手なんだぜ」
やがてトモや耕平や夏帆や優が到着するころには、現場は一時騒乱状態となった。直樹は、とにかく優のめんどうをみなければならなかったが、狂ったカラスどもを前にしては、容易なことではなかった。直樹はヤツらが”グェッ”とうなって低空飛行で近づくいてくると、反射的に”くそったれ、近寄るな”と怒鳴りつけながら、とにかく安全に思われる大木の陰に、寄り添うように身をひそめるほかはなかった。そしていざ飛びかかってこようものなら、優に覆いかぶさりダンゴムシロールよろしく、二人して身体を丸めているほかはなかった。とにかく黒い頭とみれば、片っ端から狙ってくるので、一秒たりとも気が抜けなかった。魔の手から逃れるには大木や大きな岩を見つけて隠れるほかはなかったのだけど、(トモだけは保護色よろしく枯草で身体をおおっていた。)ヤツらはまるでセンサーが取り付けられたみたいな素早さで、物陰に潜むオレ達を瞬時に見つけ出すと、わき目も振らず体当たりしてくるのだった。体当たりだけならまだしも、その都度手当たり次第にくちばしを突き立てるので、こちらはもう殺人ガラス相手にのたうち回るかもがいて撃退するのがやっとこさなのだ。ビッグガラスをのぞけば、全長は40センチほどの小ぶりのヤツらだが、瞬発力は街で見かける爺さんガラスの比ではなかったし、ヤツらがどうしてあんなにも正確にこちらの居場所をとらえることができたのか、どれだけ考えても不思議でならなかった。
やがてトモが隠れていた大木のそばにみんなは自然と集まるかっこうとなり、”カゴメカゴメ”よろしく、お手手つないで身を寄せ合ていたわけだけれど、そうこうするうちにヤツらの方も、地対空の殺人ゲームに飽きたのか、一羽二羽と引き上げていった。もっともこれで安心させてくれるビックガラスではなかった。執拗で粘り強くて、まるで”愉快愉快”と心の底から笑い転げている悪童のように攻撃の手をゆるめようとはしなかったのだ。みんなはだんだんと消耗もひどくなって、トモの周りに集まってくると、自分たちもなんとかカメレオンに変身しようと、急襲のすきをつくように落ち葉拾いに奔走したけれど、そんな時に限って猛烈な空襲がかかり、また一人また一人と抵抗するすべもなくなって、恐怖にかられるうちに、六人は自然と団子のように身を寄せ合うこととなった。
トモが、雑木林中のひな鳥というひな鳥が、びっくりしてエサを取り落しそうになるようなボーイソプラノを上げた瞬間のことはよく覚えている。なんとアイツはこう言ったのだ。
「こうなったら、みんなで死んだふりだ」
それはどう考えても無謀な思い付きというほかはなかったけれど、いつも何かというと、羽田翼(はねだつばさ)や堀川修身(ほりかわおさみ)や藤原節人(ふじわらときんど)から、ちょっかいをかけられているトモの発案だけに、妙な説得力があった。
”あっち向いてホイ”とか”後出しジャンケン”みたいなくだらないゲームの最中に、往復ビンタがさく裂するのだけれど、やがてもう我慢がならないところまでくると、トモは必ずといっていいほど死んだふりをするのだ。そうなるとヤツらは、ニヤニヤ笑いうかべながら、”巨大巻きずし”とかなんとかいって廊下の端っこの方へと足蹴にしてから、すごすごと教室にひきあげていくのだ。いわば死んだふりは、”クマに襲われた木こりのおじいさん”同様、廣瀬朋之の究極の護身術というわけだった。
やがてトモの”セーノ”の合図とともに、みんなはいっせいに地面に寝転ぶと、両手を胴体につけ足を閉じて、陸に上げられた魚のような格好で静かに目を閉じた。
カラス相手に死んだふりなんて、思い出すのも忌々しいけれど、ロケット砲も火焔放射器も手りゅう弾もダイナマイトも持たない僕らに、あの時何ができたろう。そしてこの作戦は見事に成功することとなる。ヤツらはまるで、動く標的相手のゲームが、中止になったことに腹を立てているガンマニアみたいに、すっかり戦意消失したようになったのだ。もちろんしばらくは様子をうかがうように、頭の上で旋回を繰り返していたけれど、もう誰も騒ぎ立てないとみてとると、鳴き声一つ立てずに北の空へと飛び去っていったのだ。あまりの呆気なさに六人の子供たちは、しばし放心状態で、ビッグガラスを先頭に、黒い煙が立ち上るみたいに、きれいな縦一列の筋を描きながらかなたに消えていく様を、茫然と見送った。そして、泣きたいような怒り出したいようなおかしな心持ちのあとは、ただただ笑いがこみあげるばかりだった。
「イェー、おバカな山のカラスが、人間の子供に知恵比べで負けたとさ」
トモが勝利をかみしめるように、皆の周りをぴょんぴょん飛び跳ねる。
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