第二話 魔物の棲む街①


第99回夏の全国高校野球選手権大会は、すでに選手退場が始まって、例によって一回戦の組み合わせが放送されている。”うるま高校”は大会三日目、8月10日、第二試合の登場だと、アナウンサーが興奮した調子で伝えている。

「一年生投手の久米君の活躍を期待したいところ--」

その時、突然音声が切れてしまう。どうやらケットにもぐりこんだままの兄貴に怒って、優がテレビのスイッチを消したらしい。それでもダメとなると、枕もとでキーキーがなりたてる。

「ねえ、起きてよ。起きてってばぁ」

無視していると、足元に回ってきてケットをもぎとろうとする。たまらず足を振り上げた。

「やめろってば!」

うっかり頬に一発キックのお見舞いとなったところで、叫ぶような声が上がった。

「うわーん、兄ちゃんが蹴ったぁ」

リビングにいる母さんに届くほどの大声で、たまらずベッドからはね起きた。

「ごめん、ごめん、わかったからもう泣くな」

なだめるように言うと、声はぴたりと止む。

優は、ベッドを背にして座り込んでいる兄貴の手を取って、立ち上がらせようとする。直樹は首を横に振り、

「ごめんね、今日一日は、おとなしくしてないといけないんだ」

「つまんないの」

しょんぼりとうつむいた弟の頭をなでながら、

「わかった、わかった。それじゃ兄ちゃんが、いいものを作ってやるよ」

「いいモノ?」

勉強机に移動し一番上の引き出しから、はさみとセロテープを取り出して、一番下につっこんだままの牛乳パックを一枚取り出した。パックはベルマークの点数としてもカウントされるらしくて、保護者会で、学校を上げてリサイクル活動に取り組んでいると聞いてからは、収集熱にすっかり火がついた母さん。それはそれは大変なもので、半年間に集めた数ときたら、ギザのピラミッドの壁をミルクカートン紙ですべておおえるくらい。道をつけたら、砂漠の中の”GO”の案内板くらいにはなったかも。

2Bの鉛筆にコンパス、はさみに赤と青の二色のフェルトペン。まず、ミルクカートン紙に直径10センチの円を描き、中心を通る線を一本描く。次にそれぞれの先端から、半径5センチずつ取って、交差したところを結び、おうぎ形が四つできたところで、角の内側の向かい合う位置に穴を二つ開けるとほぼ完成。直樹が机におおいかぶさるようにして、円の中心に近いところにコンパスの針を突き立て、きりきりと力を込めていると、そはで見ていた優は、身を乗り出すようにしてその様子を見守った。息をつくたびに抜けた前歯のすきまから小さな吐息がもれた。穴が紙を破くことなく無事に開くと、直樹ののど元からも思わずため息が漏れた。

 フェルトペンで色を塗り、糸を通すと仕上がりだ。糸は難なく通り、端っこで結んでやる。

「はい、できた。兄ちゃん特製のぶんぶんゴマ」

「なんで赤と青なの」

「ペンが二本しかなかったの。あっそうそう、国旗。ぬらなかったところも入れると、三色で、これだとフランスかな..」

 優がコマを手に、足音を忍ばせるように階段を下りていくと、気配に気づいた母さんの声が、開きっぱなしのリビングのドアの向こうから響いた。

「優、優なの」

返事をしないまま、兄ちゃんのスニーカーの隣に寄り添うみたいに並べられたキリンのサンダルをはいた。扉のカギを音をたてないようにそおっと回し、開いた瞬間、また、母さんの声が聞こえた。

「お昼までに、戻るよね。今日は、お昼から雨になるらし--」

ドアをばたりと閉めて外へ飛び出した。目指したのは家から少し離れた公園。カバのプールがあって、近所に住んでる幼稚園の友達が入れかわりたちかわり遊びに来る、みんなで行きつけにしている公園だ。いつもはバケツやシャベルを持って来るけれど、今日はコマが主役だからもちろんその必要はない。けれどなぜかその日に限って、砂場にもプールにも見知った顔を見つけることはできなかった。プールには、年少の男の子と女の子が二人いただけで、砂場にいたのはよちよち歩きの赤ちゃんばかり。鉄棒や滑り台の周りは大勢の小学生が占領していて、当然、彼の出る幕なんかない。兄ちゃんにふられ、友達にもすっぽかされても、めげる優ではない。夏休みだから、家族でお出かけしてるのかもしれない。公園をあとにした彼は、馴染みの住宅街を抜け、うろ覚えの地図をたよりに、三城通り目指してすっ飛ばす。

彼はレンゲ畑を飛び回るミツバチのように軽やかに通りを駆け抜け、やがていつか絵本で見たことのある“ヘンゼルとグレーテル”の“お菓子の家”の壁みたいなトンネルが見えてくると、跳ねるように向かい側に渡った。信号を渡りきったところで男の子の顔を直射日光が照らした。彼は大げさに顔をしかめたが、それもほんの一瞬のことだった。白壁に黒い大きな屋根のついたお寺の並んだ通りをすぎ、門をくぐると、前方に石の階段がついた大きな屋根が見えてくる。古いけれど頑丈そうな何本もの柱に支えられている。その屋根は二枚もついていて、ファイアロー(ポケモンに出てくる鳥のモンスター)の羽のように優雅な形をしていた。彼は石段の上に駆けあがるとコマに視線を移し、思いついたように糸をくるくると回した。両手を目いっぱい広げ、糸の輪の中にある人差し指と中指に力を入れすぎないようにしながら押したり開いたりする。糸の張りや回転速度に合わせるのがむずかしいけれど、兄ちゃんが根気よく教えてくれたので、なんとかそのコツをつかめるようになっていた。

“ブンブンブンブン”

タコ糸が強くよじれると、コマの回る勢いも増す。よじれた糸が、逆方向に回り出す時も同じで、優はそのたびに目をまん丸くして手もとに見入った。マジシャンにでもなったような気分だった。

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