火ノ丘山のカラス②

「お兄ちゃん、まだ寝てんの」

部屋が突然明るくなったと思ったら、優が飛び込んできた。照明を点けるだけでは飽き足らず、キーキー声を張り上げる。生まれてからまだ四半世紀の五分の一しか経っていないのに態度はいっぱしだ。兄貴が寝込んでいてもお構いなしで、遊びに連れ出せとせっつくからうるさいったらない。

母さんが、

”ナオ君、お熱があるの。だから遊べないんだって”なんていっても全然ダメ。何しろ七月いっぱいは、どこに行くのもくっついてきて、直樹の友達連中に可愛がられたものだから、すっかり味をしめてしまったのだ。

夏休みには地下鉄の駅にいつものメンバー、トオル、朋(とも)、夏帆(なつほ)に耕平(こうへい)に混ざって火ノ丘山に出かけた。火ノ丘山はその昔、処刑場のあったところ。言い伝えによれば推定一万五千人が斬首され、重罪を犯した者は野ざらしにされた。人だまや亡霊を見たという噂も数知れず、直樹たちの通う御陵(ごりょう)第三小学校では、山に子供同士で出かけるのはご法度となっていたけれど、何度も登っているから大丈夫とたかをくくっていた。

あの日はみんな、のっけからおしゃべりに忙しかった。”来週の土曜日、父親と火輪湖に釣りに行くんだ”という夏帆に、”火輪湖にブルーギルのほかに魚なんかいるの”と茶化しにかかる耕平。”いるよ、鮭とかマスとかアユとか。ウナギだって釣れるんだから”

”鮭って海の生き物なんじゃないの”と耕平がやり返すと、朋が横合いから”鮭は海で育って大きくなったら産卵のために川に戻ってくるの。で、火輪湖のはサケはサケでもサケ科のビワマス。こちらは火輪湖生まれ火輪湖育ちのれっきとした淡水魚”と説明を加えた。そこで直樹と二人して優の手をつないでいたトオルが突如振り向いて ”ビワマスの卵って、食ったことある?ボクはあるよ、東北で”と言いだした。それから”ハラコ飯”を食べたことはあるかないかで、ひとしきり盛り上がったあとは、”釣りスピリッツ”の話題でまたまた大騒ぎとなった。

そんなこんなで、人気のない古い民家の立ち並ぶ坂道を大騒ぎしながら歩いているうちに、水筒のお茶もあっというまに底をつき、それからはオレンジグミやクッピーラムネやミルク飴を取り換えっこしてのどを潤し、やぶ蚊と格闘しいしい休まず歩き続けた。3時にはなんとか頂上に着き、ヤッホーと叫んで小笹が生い茂る小道をかきわけるようにして駆け込んで行ったのは、御陵第三小学校一の俊足、トオルだった。

なんといっても、中学生が主体の名門サッカークラブ”山品蹴球倶楽部”に8才にしてレギュラー抜擢された筋金入りだ。トオルには6才の時に亡くなった父親の柏尾慶介との”固い約束”というのがあって、それはヨーロッパのたとえ二部でもいいからクラブチームに所属して、世界的に名の知れたアスリートになるというものだった。夢をかなえるには、ゴールデンエイジと呼ばれる12歳までに、スペインかドイツかイタリアへサッカー留学するのが近道といわれているらしいけれど、費用のこととかあれこれ考えると、週末も働きづめのママになかなか言い出せなくて、しばしおあずけにしてあるというわけだった。

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