火ノ丘山のカラス③

とにかく、最初にトオルが飛び出していって、その次が耕平、三番手が直樹と優、廣瀬朋之(ひろせともゆき)と相田(あいだ)夏(なつ)帆(ほ)がほぼ同時で、夏帆が足をピョーンとけり上げて飛び込んだタイミングでトモはなんと尻もちをついてしまった。おあつらえ向きのずっこけ方で、本人いわくは、小岩を乗り越えるのに失敗した絶滅危惧種のコカブトムシを模したと言い張ったけれど、その身体つきではコカブトムシも何もあったものではない。小学校に上がった頃、彼はタイガースの野球帽といえばサンバイザー一辺倒だった。本人いわくは、両親が離婚して母の実家に引き取られてからは、お祖母ちゃんに猫かわいがりされて、その結果肥満が進行したという。

インスリンが手離せないけれど、トモが喉の渇きや息苦しさを覚えて、時折コアラのような無気力な目で遠い空を見つめているのを知っている者は皆無で、それに仮に目にしたとしても、朋は誰よりも物知りの秀才だから、時々は頭のネジをゆるめて、脳みそにたまった二酸化炭素なんかを新しい空気と入れ替える必要があるんだろう、なんて考えただろう。もっとも、コカブトムシのふりをして、デニムのミニスカートからのぞいた、焼きたてのフレンチバゲットみたいな夏帆の二の足に釘付けになっていたことは、いつものことだったからみんな見て見ぬふりをしていた。

 山の上では耕平と朋は二つあるきりの丸太のベンチに寝そべって、”幽遊白書”の主題歌をエンドレスで歌っていたし、優はモアイ像にのっかった帽子の形をした岩に似た小さな見晴らし台の上で、お兄ちゃんに肩車してもらって上機嫌だった。そのうちに膝の上にのせられるはめとなったけれど、そのあとはずっと借りてきた猫みたいに大人しくしていた。風が時折吹いてきて、彼の短く切りそろえられた前髪をなびかせると、幼子らしからぬ澄ました様子で目を細め、しばしかぐわしい夏草の香りをかぐみたいに目を閉じた。直樹は直樹で、夏帆やトオルに代る代る弟のめんどうをみてもらいながら、象牙やコバルトグリーンや臙脂や薄灰色のビルで埋め尽くされた、(ペーパーボックスをしきつめたようにちんまりまとまった)可もなく不可もないいつもの風景を楽しんでいた。夏帆が指さす先には、火輪湖疎水のほとりの千都神社の大鳥居もながめられた。直樹はもちろん神社には何度か訪れたことがあるし、”総合学習”の時間には、栗林先生から神社や街の歴史を学んだりした。

 8世紀、この街には都があり時代の栄華をきわめたこと、神社はその時の大神様(おおがみさま)をまつるために建造されたこと、だから今でも神社で祭礼が行われる時は、大神様直々のお使いが送られてくること。大神様が古都に住まわれて、何代にもわたって権勢をふるわれていた時代もあった。武家との距離を微妙に保たれながら、存在はゆるぎないものだった。大神様は常に神として崇め奉られ、死んだあとですら、その威厳が損なわれることはなかった。古都にあまたある神社に多くの大神様が祀られてあるのも、死んでなお聖なる存在としての威力を保たれるようにとの願いがあるからだ。とりわけ千都神社の菅武大神様(かんむおおがみさま)は、1200年前に古都を国の中心に据えられた最高君主だ。反乱が起これば軍事的行動も辞さなかったといわれ、武士がたよりの時代にあって、自らが国政にかかわられた勇猛果敢な神様とされた。

19世紀、武士が国を治めていた時代が終わりを告げてから、古都の街は大きく様変わりした。もちろん変わらないものもあった。千都神社はそのために、古都をつくりあげた大神様の、輝かしい軌跡を残すために建造された。大鳥居はいわば聖人たちがつくりあげた古都の聖域を守るため、その決意表明として建てられた。そうしたことが授業を通して直樹が感じた多くの事柄だった。けれど今、大鳥居の頂きは見慣れない黒いモノたちに占領されようとしていた。隣で夏帆が背伸びをするようなしぐさを見せながら言った。

「あそこに集まってるの、カラスじゃない」

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