火ノ丘山のカラス④
「うん。そうみたいだね」
「なんで、集まってきたんだろ」
「さあね」
「なんか、いるの」
膝の上から優が心配そうに兄を見上げる。夏帆が隣からカラスのいる方向を指さしてやると、優は天敵ににらまれたリスのようにおびえた目をして二人に問うた。
「こっちに来ないかな?」
「それはないと思うよ」
直樹はそれから、総合学習でおしえてもらったことを思い出して付け加えた。
「でも、カラスは大昔、神の使いと言われたんだよ」
「神の使いは一羽で十分だよ」
夏帆はすっばりと切り捨てた。じっさい、いつも見慣れた大鳥居が黒いモノに浸食されていく様は、見ていてあまり気味のいいものではなかった。
カラスはどこか北の方から飛んできて、大鳥居の上で何回か旋回を繰り返したあと、笠の上に飛び移った。仲間に何かメッセージでもあるのか、
”グェッグェッグェッ”と人声のような不気味な鳴き声をあげた。中には思いついたように羽をぱたぱた広げたり、くちばしでこずき合うのもいてひとときもじっとしていなかった。そのせいか遠くから見る大鳥居は、風が吹くたびにしなる電線のように、微妙に右に左に傾いで見えた。
「バチがあたるよ。鳥居を止まり木代わりにするなんて」
夏帆は露骨に顔をしかめ、届くはずもないのに手まねでたたく真似をしたりした。
「どうしたの、二人ともそんな怖い顔して」
水を求めて近くの草むらを散策して戻ってきたトオルが、怪訝な顔をしてたずねる。理由を説明してやると、転落よけに並べられた切り株の上に飛び乗って、眼下の景色を興味深そうに眺めてから、
「なんかヤな感じだね」
とにやついて見せた。
「感想は、それだけかよ」
夏帆に責められてもヘラヘラしている。大したことではないとふんだのか、集まってきたトモと耕平をせきたてるようにして、来た道とは反対の方へと走り出していく。そしてとつじょ急停止すると、直樹たちの方を振り返.り、パスを出す相手を探す本田選手みたいに、腰に手を当て左足でトントンと地面をたたきながら、
「お三人さん、いつまでカラスとにらめっこしてるつもり?」
「アイツ、カッコつけちゃって」
夏帆はぶつぶつ言いながらも後を追いかける。直樹は優の手を引いてしんがりで、でこぼこの坂道を土煙にまみれて下って行った。大きな立札が見えてきたところで、右へ折れ小石で固められた階段をのぼると、木の囲いの向こうに巨大な岩石に開けられた四角い大きな穴倉が現れた。穴の前で待ち構えていたのはトモで、MC風に右手をマイク代わりにしなをつくってみせた。
「こちらが、亜麻女大神様(あまめのおおがみさま)がお隠れになった亜麻の岩戸でございますぅ」
巨漢に似合わぬボーイソプラノが大うけに受けたところで、アメリカンコミック風に両手両足を広げて岩戸に体当たりし、それからいかにも悩まし気に天を仰いでみせた。
”おぉ、神様。どうか我をお通しくださいませ”
大爆笑となったところで、何を思ったか優が前に出て行って、あろうことかトモの股をくぐりぬけて、岩穴の中へと入ってしまった。地団太を踏んだのはトモで、それを見てみんなはまた、腹を抱えて笑い転げたのだけれど、ほどなくして中からかん高い叫び声が起こって肝を冷やす羽目となった。
いち早く駆けだしたのはもちろん直樹だった。トモを押しのけるようにして駆け込むと、岩穴の入口で尻もちをついたまま動けないでいる優がいた。遠くに転がっていたキリンの絵柄の入ったサンダルをはかせてやりながら、
「どうしたの」
優は濡れた黒豆みたいな大きな目を、そっと足元の方へと落とした。それは長い胴体と短いけれどたくさんついてる脚が自慢のムカデ君で、人差し指の二倍ほどもあるオオモノだった。
ほどなくして直樹の手にひかれた優が出てきて、みんなの間からは思わず安どのため息がもれたけれど、耕平は直樹の指先でバタバタもがいている”オオモノ”に思わず悲鳴を上げた。夏帆がつつつと寄ってきて、直樹の腕をぐいとつかみあげる。
「噛まれたらどうすんのよ」
トオルがその手からこぼれ落ちたのをタイミングよくけり上げて、絶妙のチームプレイによって命拾いしたムカデ君は、しなやかな身のこなしで草むらの中へとフェイドアウト。
「頭の上に落っこっちて来て、びっくりしたの。それを兄ちゃんが捕まえてくれたの」
このけなげな弁明によりムカデの一件は落着。気を取り直してトオル、トモ、夏帆、耕平、優と直樹の順でそろそろと岩の中へと入っていった。
見えてくるのはむきだしの岩肌とひんやりとした大気がうごめく静かな闇。直樹にはここに入ると、なぜか思い出す出来事がある。
五才の頃で優はまだ生まれていなかった。夜、お尻のあたりの生暖かいむわっとした感じて目が覚めた。
”やっちゃった”
直樹としては久方ぶりの大失敗といったところだった。母さんいわくは直樹は手のかからない子供で、夜泣きもせず病気の心配もなく2才の頃にはおむつも取れたというから、失態の原因は、幼稚園に入ったばかりで、毎日ひどく緊張していたせいとも思う。
大急ぎで濡れたシーツを外しにかかると、母さんたちに気づかれないようにシーツを両手でささげ持つようにして、廊下をぬき足さし足しながら風呂場へと向かった。灯りもつけず手さぐりで水道の蛇口をひねると、音を立てないよう濡れているところを一生懸命ごしごし洗った。シーツを絞って折りたたんだまではよかったけれど、そのあとの始末の仕方がわからない。
--どうしよう--
悩んだ末に、なんとそのままに部屋に戻った。朝になって風呂場に駆け込んでみると、シーツは予想通り影も形も見当たらなくなっていた。多分、母さんがなんとかしてくれたのだろうけれど、それから一週間くらいは、気まずい日が続いた。亜麻の岩戸にくると、あの時のことをどうしてか思い出してしまう。岩穴に漂う独特の匂いのせいかもしれない。直樹としては五才のあの時のが、人生最後のおねしょ体験ということになるけれど、ここだけの話、優は現在も記録を更新中で、母さんは夜がくると優の枕元で、絵本を読んでやったり、ショパンを聞かせたりいるだけれど、効果はあまり期待できないみたいだった。
岩穴の曲がり角のところには、小さな祭壇があって、みんなは、この世とあの世の秘密の交信所みたいなその場所の前で立ち止まり、祭壇に手を合わせてから外に出た。夏の太陽はまだ高いところにあった。
「今、3時25分だけどこれからどうする」
トモが神妙な顔つきで腕時計に目をやる。時計はキャメル色の細いベルトの女もので、いつものようにお祖母ちゃんから借りてきたものだ。スイス製で、亡くなったお祖父ちゃんが結婚記念日か何かの時にお祖母ちゃんに贈ったものらしいけど、トモのボンレスハムみたいなむっちりした腕の上では、高級時計も枯草が巻きついているように見えなくもなかった
「とにかくいったん下りようか」
直樹の提案に、時計の文字盤を人差し指と中指で神経質そうに磨きながらトモはうなずく。
「ていうかさ」
トオルがいいことを思いついたといわんばかりに、トモの肩をバチバチとたたきながら、例によって女の子みたいなかん高い声をあげた。(彼は驚いたり興奮したりすると声がどうしてか裏返るのだった)
「今日はものすごく汗かいたし、南千寺から水路橋に上がって水遊びしてから帰るなんてどう」
「いいねえ、相棒、オレも乗った」
直樹はトオルの肩をしかと抱きしめた。
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