第三話 二番目の犠牲者⑧

「おかしなことに気づいたんです」

八神は発電所の池に遺棄された男の子が、疎水を逆流して流れ着いたのだと打ち明けた。

「21年前の僕はまだ若造で、本署から移動を命じられてからは全く腐っていました。でも、ほんとうは何が何でも、事件の真相を調べて回るべきだったと今になって後悔しているんです。もしも、この記事をリアルタイムで読んでいたら、男の子の事件は防げたかもしれないんですからね」

叔父は憮然たる表情で話に聞き入っていたが、やがてくぎを刺すように早口でまくしたてた。

「だからといって、今回の事件もまた死神の仕業だなんて軽々しく口にしてはならんぞ」

八神は手の中の記事を目で追いながら、こくりとうなずいた。

「子供を襲う化け物がいることは、もうずっと前から周知の事実だった。けれども、役人も為政者も裁判所も警察も学者も役所も、市井の人々だって、本気になって解決をはかったことは一度もなかった。何しろ相手は、怨霊の跋扈した時代を生き延びてきた死神と目されているんだからな」

「死神であれ何であれ、殺人鬼の化け物を放置しておく手はないでしょう」

「街の人間どもは、ある考えに囚われているんだ。中世の頃のあれだよ。身内に死人が出ると、高貴な身分の人々は、死神の囚われの身になることを恐れたんだったな。連中が事件を黙殺している意味も同じだよ。死神に触れることは穢れを意味する。死人もまたしかりだ。要するに連中は呪いの伝染を恐れているんだよ」

叔父がぐったりとなって黙り込んでしまうと、八神の頭の中に、あの日の男の子の姿が夢のように浮かんで消えた。長い睫毛の男の子。血の通っていない肌はロウのように白く氷のように固く冷えきっていたが、形のいい貝のような耳たぶにはまだ弾力があった。かつてポテトチップスやアイスキャンディーや生クリーム入りドーナッツにむしゃむしゃかぶりついた前歯は、真ん中の二本が見事に抜け落ちていたが、どこからどう見ても切なくなるほどに愛らしい死に顔だった。あの子が穢れているとはとても思えなかった。実際八神は、思い出すたびに息が苦しくなって、今もまた喉の奥で何かが絡まっているような居心地の悪さをおぼえた。記事を手に取って読み始めたものの、あまりの息苦しさにたまらず咳払いを一つした。静かな病室に、それは雷のような大きな音を響かせたが、叔父はヒルのように濡れた唇を固く結んで、物思いにふけるようにじっと天井を見据えていた。

--実弟の早原親王(さわらしんのう)の祟りを恐れた桓部大神様が、古都に遷都を果たしてから、1200有余年が過ぎてもなお、この街にはいまだ怨霊が跋扈しているのではないかと、疑いたくなるような事件が時々起こる。

大阪府高月市の小学校一年生、沢野知佳さんは、教師三名と同学年の生徒六十名ほどで美沙門堂に校外学習に来ていて犠牲となった。昨年の4月7日のことだ。昼食をとるためにお寺の周りを散策したあと、疎水端公園へ動したのが正午過ぎのことで、一緒にいた友達の話によると、食事の途中に手洗いに行くと言ったのが最後になったという。翌、4月8日の早朝、沢野さんは、公園から西に1kmほどのところを流れる山品疎水に浮かんでいるところを発見された。疎水は深いところでは2mほどもあり、当初はあやまって転落し流されてきたものと考えられたが、その可能性は低いことがあとの調べでわかった。

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