第36話 病室にて

 病院にやってきた。


「北川っす!

 じいちゃんが倒れたって……!

 病室は⁉︎」


 受付で病室を教えてもらった俺は、エレベーターに乗るのももどかしく、急いで階段を駆け上がる。


 途中すれ違ったナースが、大股で走る俺をみて眉をしかめたが、構っていられない。


 伝えられたのは502号室。


 そこに倒れたじいちゃんが、救急搬送されているらしい。


「はぁっ、はぁっ……!

 じ、じいちゃん!

 大丈夫か!」


 病室のドアを乱暴に開いてなかに入ると、ベッドに寝かされたじいちゃんの姿が目に飛び込んできた。


 どうやらここは個室らしい。


 慌てて駆け寄る。


「じいちゃん!

 なぁ、どうした?

 じいちゃんってばよぉ!」


 じいちゃんの手を握る。


 すごく熱い……。


 焦りながら声をかけていると、荒い息で眠っていたじいちゃんが、薄く目を開いた。


「……なんでぇ。

 だ、大輔か……。

 こほっ。

 ここぁ、病院だ。

 騒がしくしてんじゃ、ねぇぞ……」


「じいちゃん!

 担任の教師からじいちゃんが倒れたって聞いて、すっ飛んできたんだ。

 だ、大丈夫だよな?

 死ぬな!」


 じいちゃんの顔にいつもの元気が見られない。


「……へっ。

 ばぁろぉ。

 この俺が、そんな簡単にくたばる様なタマかってんだ……」


 だが強がりくらいはできるらしい。


 ほっと息を吐く。


 どうやら今すぐどうこうなるような容体ではないようだ。


 ゆだっていた頭も少し落ち着いてきた。


 でもまだ安心できたわけじゃない。


「……なぁじいちゃん。

 喋れるか?

 一体なにがあったんだ?」


「ごほっ、ごほっ。

 そ、そんな大したこっちゃねぇよ。

 ……情けねぇ話なんだが、ちっと道端で気を失っちまったみたいでなぁ」


「いや、気を失ったって……。

 大したことあるだろ。

 詳しく話してくれ!」


 じいちゃんから聞いた話の内容はこうだ。


 このところじいちゃんは、風邪を長引かせていた。


 俺たち家族の前では平気なふりをしていたが、実はかなり重い症状を我慢していたらしい。


 まったくじいちゃんの強がりにも困り者である。


 特に酷かったのは熱と咳だ。


 平静を装ってきたじいちゃん。


 とは言え限界はある。


 熱もかなり上がってきたし呼吸も苦しい。


 流石に「こりゃ無理だ」と感じたじいちゃんは、ようやく重い腰をあげ、診察を受けるべく近所の病院へと向かった。


 だが病院にたどり着くまえに、道中で力尽きて倒れてしまったとのことだった。


「……はぁ。

 なにやってんだよ。

 そんなにしんどかったんなら、もっと早くに医者に診てもらってくれ……」


「う、うるせぇ。

 こほっ……。

 俺ぁ医者にかかるのは嫌いなんだよ」


「はぁぁ……。

 これだから年寄りは……。

 医者嫌いって、それで倒れてちゃ世話ねぇだろ!

 第一俺たちが心配するじゃねぇか。

 それに人様に移るような病気だったらどうすんだよ!」


「…………む、むぅ」


 さしものじいちゃんも、俺の剣幕に押し黙った。


 ……まったく。


 通りすがりの親切なひとが救急車を呼んでくれたから助かったものの、そうじゃなければどうなっていたことか。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ――俺が病室にやってきてから、少しの時間が経過した。


 じいちゃんは再び眠りについている。


「おじいちゃん!

 おじいちゃん、大丈夫⁉︎」


 雫が病室に飛び込んできた。


 その顔は蒼白で、肩を揺らしながら荒い息を吐いている。


 さっき病室に駆け込んだ俺も、きっとこんな感じだったんだろうなぁなんて思いながら、雫に向けて口に当てた人差し指を立ててみせる。


「……しー。

 静かにしろ雫。

 ここぁ病院だぞ」


 先ほどまでの自分のことは棚に上げて、兄らしく妹に注意する。


 すると雫は慌てたまま、ベッド脇の椅子に腰かけた俺の下まで駆け寄ってきた。


「お、お兄ちゃん!

 わたし、学校でおじいちゃんが倒れたって聞いて……。

 それでわたし……!」


「わぁってる。

 いいから落ち着け。

 ほらこっち来い」


「う、うん……」


 手を引いて雫を抱き寄せた。


 そのまま背中をポンポンと軽く叩き、もう一方の手で頭をゆっくりと撫でてやる。


「深呼吸しろ。

 すー、はー、ってな。

 ほら、吸ってぇ……。

 吐いてぇ……」


 雫は黙ってこくこくと頷いてから、言われたとおりに息を吸って吐く。


「……どうだ?

 落ち着いたか?」


「え、えっと……。

 そのぉ。

 あ、あのね……」


「あれ?

 まだ落ち着かないか?

 昔はこうしてやったら、すぐに落ち着いたのによ。

 それにどうした。

 どんどん顔が赤くなってきてる気がすんぞ?」


「だ、だって。

 近い……。

 お兄ちゃん近いよぉ。

 うぅ……。

 恥ずかしい」


「はぁ⁉︎

 兄妹で恥ずかしいもなにもねぇよ!

 それに前はお前のほうから、よく抱きついてきただろ。

 お兄ちゃんー!

 抱っこ抱っこってよぉ」


「はわぁ⁉︎

 そ、それは昔の話だよぉ」


 雫がなにやら焦りだしたが放っておく。


 俺は腕のなかでもじもじする妹の形のよい頭を、ぐりぐりと撫で回し続けた。


 ◇


「……そろそろ落ち着いたみたいだな」


 抱き寄せていた雫を解放する。


 すると雫はほっとしたような、残念なような、複雑な顔をした。


「ほら、お前もここ座れ」


 俺は病室の隅に備えられていたパイプ椅子をもってきてベッド脇に置き、雫も座るように促す。


「……えっと。

 おじいちゃん、大丈夫なんだよね?

 寝てるみたいだけど」


「ああ、大丈夫だ。

 さっき医者に聞いたんだが、肺炎なんだってよ。

 命に別状はねぇ。

 なんでも1週間ほど入院してから、自宅療養に移れるか判断しましょうって話だ」


「そっかぁ。

 よかったぁ……」


「さっき親父からも連絡があったよ。

 今日は仕事を早めに上がって、じいちゃんの様子を見に来るそうだ」


「うん、わかった」


「んで雫。

 明希は一緒じゃないのか?」


 明希は中学に上がったばかりで、雫と同じ学校に通っている。


「えっと。

 明希には拓海を迎えに小学校まで行ってもらったの。

 そしてふたりで家に帰って、待ってるようにって伝えたんだけど……」


「そっか。

 ならあいつらも早く安心させてやんねぇとな。

 親父がくるまで、じいちゃんのことは俺が見てるからよ。

 雫は先に家に帰ってから、ふたりの面倒を見てやってくれるか?」


「うん。

 わかった」


 最後に雫はもう一度じいちゃんの様子を見てから、立ち上がり病室をあとにした。


 それを見送ってから、俺はベッドで眠るじいちゃんに向き直った。

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