第24話 アリスと環境変化

 GW明けの朝。


 久しぶりに登校すべく玄関で靴を履いていると、俺のスマートフォンがピコンと鳴った。


 ポケットから取り出して画面を操作する。


 アプリを開くと、アリスからのメッセージが届いていた。


『おはようございます。

 今日のお昼、屋上に来てください』


 相変わらず端的なメッセージだ。


 アリスがスマホを契約してから、もうすでに何度かメッセージのやり取りはしているのだが、いつも彼女からのメッセージはこんな風に素っ気ない感じだった。


 とはいえまぁ、それがアリスらしいとも思える。


『了解。

 4時間目が終わったら、すぐにいくよ。

 あと、おはよう』


 メッセージを投げ返す。


 きっとまた、弁当でも作ってくれたのだろう。


 俺はアリスのお手製の料理を食べられる幸せに想いを馳せ、うきうきしながら玄関ドアを開いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 アリスのいる2年A組の教室に、授業の終わりを告げるチャイムの音が響いた。


 これで午前の授業は終了だ。


 ここからはお昼休みの時間である。


 アリスは早起きをして作った大小ふたつのお弁当を手に取り、すっと席から立ち上がった。


 お昼は大輔と一緒に食べる約束である。


 今回の弁当は、前回の失敗した弁当とは異なり、それなりに美味しく仕上がっているはずだ。


 はやく大輔に食べてもらいたい。


 そんなことを考えて、アリスは内心浮き足立ちながらもそれを表情にはおくびも出さず、屋上に向けて静かに歩き出した。


「あ、あのっ……!

 に、西澄さんっ」


 教室を出るまえに、アリスはクラスメートに呼び止められた。


 ゆっくりと振り返る。


 すると3人組の女子が、お弁当を持ってそわそわしながら立っていた。


「……はい。

 なんでしょうか」


 きっと良くない話だ。


 自分がクラスメートに話しかけられるときは、決まっていつもそうだった。


 警戒しながらアリスが応じる。


「あ、あのぉ……。

 良ければ、西澄さん。

 私たちと一緒に、お弁当食べない?」


 アリスはコテンと首を捻った。


 自分がなぜ女子たちから昼食に誘われるのか、理解できないと、そんな様子だ。


 黙って首を傾げるアリスに、3人の女子が一斉に捲し立てる。


「そ、そのね!

 実は私たち、前から西澄さんとお話してみたかったの。

 だってほら。

 西澄さんすっごい綺麗だし、女でもちょっと憧れちゃうというか、お近づきになりたくなるよ」


「でもなんというか、その……。

 少し前までの西澄さんって、ちょっとひとを寄せ付けないというか、そんな雰囲気あったでしょ?

 でもなんだか最近は、そんな感じもしないし……」


「そうそう!

 だからね。

 あたしたち、GWの連休中に話してたんだぁ。

 休みが明けたら、一度西澄さんをお昼に誘ってみようよって!」


 アリスが傾げていた首を戻した。


 この女子たちからは悪意を感じない。


 むしろ好意を感じたアリスは、不思議に思いながらも警戒を解いてぺこりと頭を下げる。


「すみません。

 せっかくお誘いを頂いたのに申し訳ありませんが、あいにく今日は、屋上で先約があります」


 丁寧な物言いに、女子たちが恐縮した。


「あ、そ、そんな頭なんて下げなくてもいいから!」


「でもそうなんだ……。

 うん。

 じゃあ残念だけど、仕方ないよね」


「あたしたちは、教室で食べることにするね。

 ねぇ、西澄さん。

 また今度、誘ってもいいかな?」


 アリスがこくりと頷いた。


「……はい。

 問題ありません。

 それでは」


 もう一度ぺこりとお辞儀をしてから、アリスは屋上に向かい、教室を出ていった。


 ◇


 アリスが歩み去ってから、しばらくののち――


「……きゃー!

 いま、私たち、西澄さんとお喋りしちゃったぁ!」


「しかも、しかも!

 また今度、お昼に誘ってもいいんだって!」


「うへへぇ……。

 やっぱ西澄さん、可愛いよねぇー!」


 アリスの出ていった教室で、先ほどの3人が黄色い声で騒ぎ出した。


「今度こそ、きっと西澄さんとお昼を一緒するんだぁ。

 そしてあわよくば、お友だちなんかになったりして!」


 姦しく騒ぐ3人組の女子たちに、クラス中の男女が注目する。


「……へぇ。

 西澄って、話しかけたら普通に返事するんだな」


「いや、前までは無言だったぞ」


「じゃあここ最近で、なんか心境の変化でもあったのかもな」


 一連のやり取りを眺めていたクラスメートたちも、変わりだしたアリスに気付きはじめた。


「今度、あたしも話しかけてみようかしら。

 ずっと西澄さんのこと、気になってたのよねぇ」


「そうそう!

 だってあの可憐さだよ?

 気にならないわけないわぁ」


 A組の教室は、しばらくアリスの話題で持ちきりだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 屋上にシートを敷いて、アリスと座る。


「どうぞ、大輔くん」


 ふたつの弁当を手にした彼女が、大きいほうを俺に差し出してきた。


「お、やっぱり弁当か。

 あんがとよ!」


 受け取って、早速ふたを開ける。


 すると中身はふっくらとして分厚い、食いでのありそうな手ごねハンバーグ弁当だった。


「うはぁ!

 こいつぁ、うまそうじゃねぇか」


 たしかこれは、アリスが初めて我が家に遊びに来たときに食べたメニューだ。


 もしかして、アリスのやつ……。


 なんだかんだで、雫特製のあのハンバーグが、お気に召していたのかも知れない。


「……この前のお弁当より、ずっと美味しく作れました。

 雫さんのおかげです。

 大輔くん。

 見てるだけじゃなくて、食べてみて下さい」


「おう!

 知ってるぜ。

 連休中、がんばって料理の練習してたもんなぁ。

 どれどれ……」


 箸でハンバーグを割って、摘まみ上げる。


 白いご飯と一緒に頬張ると、ジューシーな合挽き肉から染み出してきた肉汁が、口のなかで甘い白米と混ざり合って、なんとも言えない旨みを醸し出した。


「んー……。

 うめぇ!」


 たしかこの間の弁当に入っていたミートボールは、熱を通し過ぎたせいかモサモサしていた。


 だが今度のハンバーグは火加減もばっちりだ。


 美味すぎてつい、がっつくように掻き込んでしまう。


「あ、大輔くん。

 そんなに急いで食べると、喉に詰まります。

 お弁当は逃げません。

 だからゆっくり食べて下さい」


「そうは言っても、箸が止まらねぇよ」


 これは本当にうまい。


 もともとお菓子作りも上手だったし、器用で勤勉なアリスだ。


 雫の指導で、料理の腕もメキメキと向上中なのだろう。


「……大輔くんは、仕方ありませんね。

 ふふ……。

 お茶、ここに置いておきますね」


 夢中になって飯を食う俺を眺めて、アリスが嬉しそうに微笑んだ。


 ◇


「……ふぃぃ。

 ごちそうさん。

 めちゃくちゃ、うまかったぜ!」


 あっという間に弁当を平らげてしまった。


 時間にして3分掛かってないかもしれない。


 アリスの食事はこれからだ。


 俺はお茶を啜りながら、ようやく自分の弁当のふたを開いたアリスを眺める。


「ふぃ……。

 食後の茶がうめぇな」


 今日もいい天気だ。


 抜けるような青空を見上げてひと息つく。


 そうしてから俺は、いつものように彼女の日常話に耳を傾けることにした。


「なぁ、アリス。

 久しぶりの学校はどうだ?」


「とくに変わりは……。

 あ、そういえば大輔くん。

 聞いてください。

 さっき、屋上にくる前に、クラスの女のひとたちに声を掛けられました」


「へぇ。

 そうなのか」


「はい。

 少し驚きました」


 アリスは普段通りの無表情で語る。


 けれども俺以外なら見落としてしまうくらい、ほんのわずかに驚きの感情が顔に出ていた。


 きっと声を掛けられたのが、本気で意外だったんだろう。


「驚いたって、なんでだ?

 話しかけられただけだろ」


 アリスが弁当を食べる手を止めた。


 少しの沈黙。


 きっと、なんと話せばいいのか、言葉を探しているのだろう。


「……わたしは、クラスで浮いています。

 それは自覚しています」


 彼女は俺の顔を見上げながら、訥々と話しはじめた。


「……ずっと、クラスのみなさんには嫌われているものと思っていました。

 わたしは誰にも積極的に話しかけたりしないですし、暗いですし、きっと鬱陶しがられているものとばかり……。

 けれども、そんなわたしを昼食に誘ってくれたんです。

 一緒にお弁当を食べないかって。

 だから、少しびっくりして……」


 アリスが一旦言葉を切った。


 小さく息をはいて、もう一度吸い込む。


「……少し、嬉しかったのです」


 そっと胸に手を当ててから、アリスははにかんだ笑顔を向けてきた。


 なんとも心の温まるような微笑みだ。


「そっか……。

 よかったな、アリス」


「……はい」


 アリスは小さな幸せを噛み締めている。


 そんな彼女を見ていると、なんだか俺は胸の奥がうずうずとしてきた。


 むず痒いような落ち着かない気持ち。


 幸の薄いこの少女に、もっとたくさんの幸せを感じてもらいたい。


「あ、そうだ」


 ピコンと閃いた。


「…………?

 どうしたのですか、大輔くん」


「ふふふ……。

 いい事を思いついたんだ。

 なぁアリス。

 お前に声を掛けてきた女子って、まだ教室にいるのか?」


「たぶんいると思います。

 教室でお弁当を食べると言っていましたから」


「うし!

 ならオッケーだ」


 俺はおもむろに立ち上がり、シートから出て靴を履く。


「どこにいくのですか、大輔くん。

 できれば一緒にいて欲しいです」


「ん?

 ああ、すぐ戻ってくる。

 ちょっくらA組まで行って、その女子たち呼んでくるわ。

 たぶんまだ弁当食ってんだろ。

 今日はそいつらも一緒に昼飯にしようぜ!

 ってまぁ俺はもう、自分の弁当空っぽにしちまったけどなっ」


 アリスが目を開いた。


 こいつのこんな表情は珍しい。


「なんだ、アリス。

 そいつらと飯食うのは嫌か?

 さっき、少し嬉しかったって言ってたろ」


「い、嫌じゃないですが……。

 いきなり過ぎて、心の準備が出来ていません」


「ははは。

 クラスメートと飯を食うのに、心の準備もなにもねぇだろ」


「そ、それはそうかもしれませんが。

 ……もう。

 大輔くんは、相変わらず強引ですね」


「おう!

 まぁな。

 ……強引なのは嫌か?」


 アリスがゆるゆると首を左右に振る。


「嫌じゃないです。

 だって大輔くんは、強引ですけど、いつも優しいですから」


「そ、そうか……」


 なんだか照れてしまって、ぽりぽりと指で頬をかいた。


「んじゃ、少し待ってろよ。

 すぐにA組の女子3人組を連れて、戻ってくっからよ!」


 アリスが無言でこくりと頷く。


 それを見届けてから、俺は大股で颯爽と歩き出した。

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