第47話 演説

 全校生徒が壇上を見上げてくる。


 わたしは目を閉じて大輔くんの顔を思い出した。


 独りで窓際の席にたたずむだけだったわたしを見つけ、温もりを与えてくれたあの笑顔を――


 すぅっと息を吸った。


 思いの丈をこめて語り始める。


 ◇


「……聞いてください。

 わたしには1年のときから、とある噂が流されていました。

 それは『1回500円で、わたしがどんな願いでも聞く』と言う噂です。

 耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか」


 生徒たちは、まだわたしの登壇とうだんに戸惑っている。


 それは教師たちも同じことのようで、無断でこの場に上がったわたしを下ろしにくる様子はない。


「あの頃、わたしのもとには様々な男子生徒がやってきました。

 からかい半分の生徒が大半でしたけど、中にはわたしにいかがわしい事を願いでる男子もいました」


 体育館がざわついた。


 構わず話を続ける。


「生活環境のせいもあるのですが、そんな噂もあって、わたしは学校での人間関係を諦めてしまいました。

 ……もう誰とも話したくない。

 そんな風にすら考えていました。

 けれどもそんなある日、わたしのもとにやってきたのが大輔くん……、くだんの暴力沙汰を起こした北川大輔という生徒でした」


 大輔くんの名前を出すと、多くの生徒が眉を顰めた。


 隣り合ったもの同士で、なにか囁きあっている。


 きっと彼の悪口だろう。


 それを眺めながら、わたしは悲しくてまつ毛を伏せた。


 彼は……。


 大輔くんは、そんな風に誰かに酷く言われるようなひとではないのに……。


「わたしは最初、大輔くんもほかの生徒と同じように、わたしをからかうか、さもなければいかがわしい願いをしに来たのだと思いました。

 けど、彼は違いました。

 ほかの生徒たちとは全然違いました。

 彼の願いは『子猫の命が危ないから、助けるのを手伝って欲しい』と。

 ……そんな、優しい願いごとでした」


 先生たちが集まって相談を始めた。


 きっとわたしの登壇が、全校集会のプログラムに予定されたものかを確認し合っているのだろう。


 それを横目にわたしは話し続ける。


「その日から、わたしと大輔くんの交流が始まりました。

 と言ってもわたしはずっと素っ気なくて、彼からわたしに構いかけてくれる毎日だったのですが……。

 わたしは何故大輔くんがこんなに自分に構うのだろうかと、不思議でなりませんでした。

 ……でも今なら分かります。

 彼はわたしのことが放って置けなかったんだと思います。

 だって親に捨てられて、親しく話せる友人もいない独りのわたしを、彼は見つけてしまったから。

 大輔くんはすごくお節介で、とても優しいですから……」


 そう。


 きっと大輔くんは、ただわたしのことが放っておけなかったのだ。


 恋愛感情なんかではなく……。


 そのことを思うと、胸がキュッと締め付けられた。


 とは言え、いまはそんなことを考えているときではない。


 いまは大輔くんの誤解を解くときだ。


 わたしはちゃんと話せているだろうか。


 みんなに伝えたい想いは、確かにこの胸のなかにある。


 でもわたしは口下手だし、こんなに長くなにかを話したことなんて今まで一度もなかったから、自分の想いをしっかり言葉にできているか、不安になってしまう。


 けれども……。


 だからと言って、わたしは話すのをやめたりしない。


「大輔くんが構ってくれるようになってから、わたしを取り巻く環境は変わりました。

 噂につられてやってくる男子がいなくなりました。

 ずっと独りだったわたしが、たくさんの笑顔に囲まれるようになりました。

 彼のおかげでクラスの女子生徒が、話しかけてくれるようになりました。

 少しずつですが、いまはわたしも笑えるようになってきたと、そう思います。

 ……でも、そんなわたしの変化を疎ましく感じるひともいました」


 壇上からとある一点に目を向ける。


 そこには片目に眼帯をし、鼻に治療用のプロテクターをつけた男子生徒がいて、残った片目でわたしを憎々しげに睨みつけていた。


 その恐ろしい視線に怯みそうになる。


 けれどもわたしはお腹に力をいれて、はっきりとした声で語る。


「……そのひとの名前は田中大翔ひろとくん。

 今回の暴行事件の被害者とされている男子生徒です。

 でも彼こそが、わたしが500円でなんでも言うことを聞くなんて悪質なデマを流した張本人なのです」


 ざわめきが大きくなった。


 喧騒にかき消されないように声のトーンをあげる。


「田中くんは、わたしと大輔くんがいつも一緒にいることが気に食わない様子でした。

 そしてあの日。

 暴行事件が起きたあの日、田中くんは忘れものを取りに放課後の教室に戻ったわたしの前に現れて、わたしに乱暴をしようとしたのです」


 生徒たちが一斉に騒ぎ出す。


「え?

 なに?

 婦女暴行ってやつ?」


「ま、まさかぁ。

 校内でそんなことしようとするバカはいないだろ」


「いやでも実際にあの子が言ってるぞ。

 あれ2年の西澄さんだろ?

 あんな喋らない子が必死に訴えてるんだし、マジなんじゃねぇ?」


 波紋が広がっていく。


 そのとき――


 ◇


「ふ、ふざけるな!

 こんな話、全部デマだ!」


 田中くんが声を張り上げた。


 きっと彼は反論してくると思っていた。


「デマではありません!

 田中くんはあのときわたしの頬を叩き、押し倒してからのし掛かってきました。

 そこに駆けつけてくれたのが大輔くんです。

 彼は田中くんを引き剥がして、わたしを助けてくれました!」


 言い負かされないよう、必死に声を張り上げる。


「こんな作り話を信じるな!

 北川だぞ?

 あの校内一の乱暴者だ。

 実際に俺はあいつに鼻を折られている!

 見ろよ、この大怪我を。

 痛ましいだろうが!」


「それはあなたが先に乱暴をしたからです!

 たしかに暴力はいけないことですが、大輔くんは決して一方的な暴力を振るうひとではありません。

 ましてや加害者なんかではありません!」


 負けじと言い返す。


 するとそのとき、思わぬ所からわたしを援護する声が上がった。


「そうよ!

 アリスちゃんの言ってることは、全部ほんとのことよ!

 みんな大輔くんのこと悪く言うのやめなさい。

 あの子が入学早々にした大喧嘩だって、あたしを助けるためだったわ!」


 3年生の列からだ。


 声の出所に目を向けると、列から前に歩み出た雪野先輩が、懸命な顔をして叫んでいる。


「みんないっつも大輔くんばかり悪者にして!

 ふざけんじゃないわよ!」


 先輩は怒り心頭と言った様子である。


「……その通りだ。

 大輔は理由もなく暴力を振るうような男ではない。

 それは親友の俺が保証する」


 今度は財前くんだ。


 雪野先輩と財前くんは、生徒の集団を離れて壇上に上がってきた。


 わたしを守るように左右に並び立ったかと思うと、笑顔で話しかけてくる。


「よく言ったわアリスちゃん!

 あたし、スカッとしちゃった」


「……ふ。

 まさか西澄がこんなに大胆な行動に出るとはな。

 想定外だ。

 だがお前の想いはたしかに伝わっている。

 見ろ。

 生徒たちの大多数はまだ半信半疑という様子だが、一部の生徒は田中のことを睨んでいるぞ」


 言われた通り生徒たちを見回すと、2年A組の女子生徒や、3年生の一部の生徒たちが田中くんを睨みつけていた。


 財前くんが一歩前に出る。


 壇上から田中くんをジロリと睨んだ。


「……田中。

 俺は俺の友人たちを傷つけたお前の悪行を、決して許しはしない。

 必ず報いを受けさせてやるから、覚悟しておけ」


 怒りを露わにしている雪野先輩とは異なるけれども、財前くんも冷静に怒っていた。


「う、うるさい!

 うるさい、うるさい、うるさい!

 黙れ!

 お前たちはなんなんだ。

 いいから黙れ!

 おい先生たち。

 いつまであいつらを壇上にあげてるんだ!

 こんな勝手を許していいのかよ。

 はやく引きずり降ろせよ!」


 呆気あっけにとられていた教師たちがはっとした。


「ちゅ、中止だ!

 全校集会は中止だ!

 お前らなにをしている。

 はやくそこから降りろ!」


 幾人もの教師たちが上がってきて、わたしたちを引きずり降ろそうとする。


「お願いですみなさん。

 信じてください!

 大輔くんは、学校をやめてしまおうとしています。

 でもそれは、必要以上の罪を着せられた結果なのです!

 こんなこと、あってはいけないのです!」


 わたしは抵抗しながらも、必死に訴える。


 田中くんはそんなわたしを、恨みのこもった目で見据えていた。

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