第6話 アリスと昼食

 がやがやと生徒たちが賑やかに会話している。


 いまは昼休みの時間だ。


 昨日、屋上で時宗から西澄についての話を聞いた俺は、こうして食堂までやってきていた。


 時宗が言うには、なんでも西澄はいつも学食で、ひとりでお昼を摂っているらしい。


「えっと……。

 西澄アリスは、っと」


 周囲を見回して、彼女の姿を探す。


「……お。

 いた、いた」


 生徒たちが並んだ券売機の列。


 その最後尾に、あの人目をひく綺麗な金髪を見つけた。


「よおっ。

 西澄」


 ひと声かけてから、俺も列に並ぶ。


 西澄はちらりと俺を振り返ったかと思うと、特になにも言葉を発さずに、また前に向き直った。


「おいおい。

 随分だな。

 返事くらいしても、バチは当たらないんじゃねぇか?」


 おどけてみせるも、やはり彼女は前を向いたまま応じようとしない。


 俺は構わず話しかけることにした。


「お前、毎日学食なんだってな。

 俺もなんだよ。

 ってまぁ、俺の場合は購買のパンで済ますこともあるし、そもそも昼は抜く日もあるんだけどな」


「…………」


「ところで、なに食うか決めたのか?

 俺はAランチにしようと思うんだが」


「…………」


「なぁ、西澄。

 どうせなら、一緒に飯食おうぜ。

 お前もひとりなんだろ?」


「…………」


「あ、そうそう。

 そういや知ってるか?

 この食堂のランチって――」


 ようやく西澄が振り返った。


 いつもの死人のような感情のこもらない目で、俺を真っ直ぐに見つめてくる。


「……お断りします。

 わたしはひとりで食べますので、北川さんもどうぞ、ひとりで食べてください」


 綺麗な透き通った声である。


 もっと聞いていたくなるような声だ。


 だが西澄はそれだけいうと、またくるりと背中を向けた。


「ひとりでねぇ。

 そんなつれないこと言うなよ」


「…………」


「あ、ほら。

 列の順番、やってきたぞ」


「……言われなくても、わかっています」


 券売機を前にして、西澄が手にした財布を開いた。


 それを見た俺は、ピコンと閃く。


「あ、そうだ。

 一回500円」


 彼女の手がぴたっと止まった。


 その隙に俺は自分の財布から500円硬貨を取り出して、西澄の背中越しに手を伸ばし、券売機に投入した。


「ほらよ。

 どれでも好きなのを買え」


「……なんの真似ですか?」


「あれだよ、あれ。

 500円で願いごとを聞いてくれるってやつ。

 いま券売機に500円玉入れたから、これで契約完了だろ?

 そんで俺の願いごとは『一緒に昼飯を食ってくれ』だ」


 西澄が沈黙した。


 しばらく考える素振りを見せた彼女は、やがて諦めたようにため息をついてから、食券のボタンに細い指を伸ばした。


 ◇


 ふたり向かいあって、学食の長机に腰をおろす。


 俺と西澄アリスという珍しい取り合わせに、周囲から好奇の視線が向けられている。


 だが俺はともかく、西澄にも気にした様子は窺えない。


「どうしてわたしに、構おうとするんですか?」


 開口一番、彼女は抑揚のない口調でそう尋ねてきた。


「いや、特に理由はないんだけどよ。

 うーむ……。

 なんつーか、なんとなくお前のことが気になってな。

 なんか寂しそうだしよ」


「……それだけですか?

 お節介なんですね」


「ああ。

 よく言われるよ。

 でも俺ぁじいちゃんからも、いいお節介なら好きなだけ焼けって教えられて育ってんだよ」


「そうですか」


 それきり西澄は押し黙った。


 パスタを巻いたフォークを無言で小さな口に運び、もそもそと食べている。


 その様子は、なんだかまるで小動物みたいだ。


「って、お前。

 それっぽっちじゃ足りないだろ。

 もしかしてお前、いつも腹が減ってるから、そんな元気のない目をしてるんじゃねぇのか?

 ほら。

 これやるから、食え」


 Aランチの唐揚げを、彼女のパスタに乗せる。


「……余計なことをしないで下さい。

 パスタだけで足ります」


「いいから、いいから。

 ちゃんと食っとかねぇと、身体もたねえぞ」


「でもさっき、昼ごはんを抜くことがあるって、北川さん言ってましたよね」


 西澄に揚げ足を取られるとは思わなかった。


 少し愉快な気分になってくる。


「ははっ。

 なんだ……。

 てっきり右から左に聞き流してるのかと思ったら、ちゃんと聞いてたのか」


 笑って返すと、西澄は俺に呆れたようなジト目を向けてきた。


「それそれ。

 やりゃあ出来るじゃねぇか」


「……?

 なんの話ですか」


「いまのジト目のことだよ。

 そういうのでいいんだ。

 さっきまでの死んだ目より、ずっとそっちのほうがいいぜ?」


 西澄がキョトンとした。


 かと思うとふいっと視線を逸らして、小声で呟く。


「……死んだ目ってなんですか。

 そんな目はしてません」


「そうか?

 なら俺の勘違いかもな。

 悪りぃ、悪りぃ」


「むぅぅ……」


 西澄はわずかに頬を膨らませて、むくれてみせる。


 いまの彼女からは無機質な感じはせず、年相応の普通の少女の雰囲気がした。


 いや、普通ではない。


 なにせこいつは、超がつくような、とんでもない美少女なのだ。


 こんな風に感情を表に出すと、途端にその可憐な美貌が際立って見えて、俺は内心ドキッとした。


 ◇


 西澄との昼食は続く。


 彼女の調子は、すっかり元の無機質な感じに戻っている。


「……ふぅ。

 うまい」


 俺は先に食べ終えて、お茶をすすっていた。


 だがもうそろそろ、西澄も食べ終える頃だ。


 ゆっくりと丁寧に食事を摂る彼女を眺めながら、俺は気になっていたことを尋ねてみる。


「なぁ。

 ちょっといいか」


「……なんですか」


「あのバカ猫。

 元気にしてるか」


「元気ですよ。

 ……あと、バカじゃないです。

 とても賢いです」


「そっか。

 それなら良かったよ」


 頷いてから西澄が食事を再開する。


 昼食を綺麗に平らげた彼女は、手を合わせて小さくごちそうさまを呟いた。


 行儀のいいやつだ。


 案外こいつ、いいとこのお嬢さんなのかもしれない。


 いや、そう言えば……。


 ふいに思い出す。


 たしか西澄は猫を引き取る際に、家には親も兄弟も、誰もいないと言っていた。


「……なんですか。

 さっきから、じっと見つめてきて」


「……なんでもねぇよ。

 あ、いや。

 そうだな……。

 ちょっと、猫がどうしてるのか、やっぱり気になってな」


 話しながら考える。


 目の前のこの女子は、いったい普段どんな環境で生活をしているのだろうか。


 そこに彼女がこんな風に笑わなくなった原因があるのかもしれない。


「……なぁ西澄。

 ずっと世話をしていた手前、俺も猫の様子を直に見て安心したいんだ。

 だから今度、お前ん家にお邪魔しにいってもいいか?」


 なぜか西澄のことが気になって仕方がない俺は、こんな風に猫を口実にして切り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る