第5話 西澄アリスについて

 翌日の休み時間。


 俺はA組に向かい、ちょうど教室から廊下に出てきた見知らぬ男子生徒に声を掛けた。


「なぁ、ちょっといいか?」


「……あ、はい。

 って、ひぅッ⁉︎

 き、北川……くん⁉︎

 ど、どうしたんだい?」


「悪いんだけど、時宗ときむね呼んでくれない?」


「とき……。

 あっ。

 ざ、財前くんのことだよね!

 ちょっと待っててね!」


 男子が慌てて教室に戻っていく。


 廊下の壁にもたれてその姿を目で追っていると、開け放たれたドアの向こうに、西澄アリスの姿が見えた。


 彼女は窓際の席にぽつんと座り、じっとしている。


 1日ぶりにみた西澄の印象は、昨日と変わらずやはり人形のようだった。


「珍しいな、大輔。

 お前がA組までくるなんて、初めてじゃないか。

 どうしたんだ?」


 ぼーっと西澄を眺めていると、呼び出しに応じてやってきた時宗に声を掛けられた。


 視界の隅に彼女の姿を追いやり、意識を切り替える。


「いや、ちょっと聞きたいことがあんだよ。

 昼休み、屋上いいか?」


「ああ、構わないぞ」


「悪りぃな」


「特に悪くはない」


 それだけ話すと、時宗は教室へと戻っていった。


 俺は最後にもう一度、西澄アリスの姿をちらりと眺めてから、自分のクラスに戻った。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 昼休みの屋上には、連れ立って昼食を楽しむグループがちらほらいた。


 春の陽射しがぽかぽかとして暖かい。


「……おい。

 あそこ見ろよ。

 北川だぜ」


「近づかないほうがいいわよ。

 なんでも彼、すごい乱暴なんだって……」


 グループの連中は遠巻きに俺を眺めながら、なにかを囁きあっている。


 どうせろくでもない噂をしているのだろう。


 俺は特に彼らを気に留めず、給水塔の影に入って壁にもたれかかった。


 ◇


「すまんな、大輔。

 待たせた」


 ほどなくして、時宗のやつがやってきた。


「別に待ってねぇよ。

 それより俺のほうこそ、呼び出したりしてすまねぇな。

 あと、人目につかないように屋上を選んだつもりだったんだが、場所の選択を間違えたみたいだ」


「人目につくと不味いのか?」


「いや、俺といるところを見られたら、お前まで悪い噂が立つかもしれないだろ」


 こいつは学年成績トップの優等生だ。


 対して俺は、入学早々派手に喧嘩をやらかして停学を喰らった問題児である。


「……くだらんことを言うな。

 友人と一緒にいるだけだ。

 悪い噂もなにもない」


 そう言えばこいつはこういうヤツなんだった。


「それより大輔。

 聞きたいことがあると言っていたな。

 話してみろ」


「ああ。

 じゃあ早速で悪いんだけど……」


 こほんと咳払いをする。


 離れて聞き耳を立てている生徒たちに聞こえないよう、トーンを落として尋ねた。


「聞きたいのは、西澄アリスについてだ。

 お前、あいつと同じA組だろ。

 知ってることを教えてくれ」


 俺は昨日知り合った彼女のことが気に掛かっていた。


 あの笑わない美少女。


 どうして彼女の瞳は、あんなに死んでいるのだろうか。


 なぜ彼女はあんなに、人形みたいに無表情でいられるのだろう。


「……西澄?

 どうしてそんなことが知りたい?」


 時宗が普段より、さらに真面目な顔をした。


「別に大した理由はねぇよ。

 ただ昨日ちょっと話したから、どういうヤツなのか気になっただけだ」


 少しの沈黙が流れる。


「……ふむ。

 興味本位か。

 だがそれもいいだろう。

 お前が悪意を持って誰かについて聞きたがる人間ではないことを、俺はちゃんと理解している」


「そりゃどうも」


「それで、西澄についてなにが知りたい?

 と言っても、俺も大したことは知らないが――」


 時宗の話はこうだ。


 こいつは1年のときも、西澄アリスと同じクラスだったらしい。


 西澄は入学したての頃は、その類稀なる美貌からそれはもう学校中の注目を浴びていた。


 ちょうど俺が入学早々、停学を喰らっていた時期のことみたいだ。


 噂の美少女をひと目見ようと、色んなクラスから取っ替え引っ替え男子たちがやってきては、わるわる彼女に話しかけた。


 だが西澄はその頃からもうすでに、あんな調子だったらしい。


 死んだ目をしたまま表情を変えない彼女に、同級生たちも次第に距離を置くようになっていった。


 ◇


「……いじめられてる訳じゃねぇんだよな?」


「いじめではないな。

 ただ純粋に異質なものとして扱われている。

 西澄が金髪のハーフだってことも、そういった扱いに拍車をかけているな。

 これは俺の推測だが、たぶんみんなも、彼女にどう接すればいいのかわからないんだろう。

 なにせ西澄は無表情だし、まったく笑わないからな」


「笑わない……」


 そんなことはない。


 俺は昨日のことを思い出す。


 茜さす放課後の校舎裏で、白い子猫をじゃらす西澄アリス。


 その顔にはたしかに、暖かく血の通った微笑みが浮かんでいた。


「そういえば……。

 あと、彼女には変な噂が流れているみたいだな」


「……噂?」


「ああ、噂だ。

 西澄アリスは一回500円ぽっちで、どんなお願いでも聞いてくれる。

 そんな噂を耳にすることがある」


 時宗は眼鏡を人差し指で押し上げ、眉をしかめる。


「それか。

 その噂なら俺も聞いたことがあるぞ。

 というか、噂じゃなくてマジだ。

 実際に昨日、俺も500円払ってあいつに頼みごとをしたしな」


 時宗が怪訝な表情をした。


 こいつが俺にこんな顔を向けてくるのは珍しい。


「なんだよ、その目は?」


「……大輔。

 西澄に、なにを頼んだんだ?」


「なにって、猫探しを手伝ってくれって頼んだんだよ。

 便利屋みたいなやつだよな。

 実際にちゃんと、猫も探し出してくれたしよ」


「ああ。

 昨日お前が放課後まで残ってやっていたのはそれか。

 だが西澄が便利屋?

 なにを言ってるんだ大輔」


「……?

 お前こそなに言ってんだよ。

 500円払って頼みごとが出来るんだから、便利なやつじゃねぇか」


 時宗がこれ見よがしにため息をついた。


「……はぁ。

 お前らしいと言えばお前らしいが……。

 よく聞け大輔。

 あの噂は、そういう意味じゃない」


「はぁ?

 だったらなんだってんだよ。

 回りくどい話し方はやめろ」


「美少女の同級生がなんでも言うことをきく。

 なら、普通の男子高校生がなにを願うかなんて、相場が決まっているだろう」


「……あ」


 ようやく噂の意味に思い至った。


 なるほど、そういうことか。


 ふいに昨日の放課後のことが頭に浮かぶ。


 得意げな顔で2年A組から出てきた、いけ好かない男子生徒と、教室にひとり佇んでいた西澄アリス。


「……時宗。

 その噂、本当なのか?」


「そこまでは知らない。

 俺が知っているのは、そういう噂が流れている、ということだけだ」


「……そうか」


 呟きながら俺は、窓際の席に座り、静かに泣いていた彼女の顔を思い出していた。

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