第29話 体育祭・中編1
午前のプログラムがつつがなく進んでいく。
俺は1年のときは停学を食らった関係で、体育祭は見学になった。
だからこうして実際に体育祭に参加するのは初めてなのだが、我が校の校風なのか、生徒たちはみんな積極的に競技に取り組んで、盛り上がっている。
「次の競技は、借り物競争女子の部になります。
出場する生徒は、グラウンドに集合して下さい」
アナウンスが響く。
これはさっきみなみ先輩に紹介された、放送部の如月先輩の声だろうか。
「じゃあ行ってくるねー」
「早苗ちゃん、がんばって!」
うちのクラスからも選手が集合場所へと向かった。
たしか借り物競争はアリスが出場する種目だ。
グラウンドの隅の集合場所を眺めてみると、A組の赤のゼッケンを身につけた彼女と目があった。
握りこぶしを少し前に突き出して、応援する。
するとアリスはこくりと頷いてから、小さくガッツポーズをしてみせた。
やる気は十分らしい。
そういえば前にもすこし考えたことがあったが、アリスって運動神経のほどはどうなのだろうか。
◇
「これより、2年生女子による借り物競争をはじめます。
選手のみなさん。
がんばってください!
父兄の皆様がたも、応援よろしくお願いします!」
走者がスタートラインに並ぶ。
やはり遠目にもアリスが目立っている。
生徒たちは言うに及ばず、参観に来た父兄の間でも彼女の注目度は抜群に高い。
「位置について……。
スタート!」
号令の下、A組からE組までの5人の2年生女子が一斉に走り出した。
真っ先に先頭に躍り出たのは、うちのクラスであるE組の女子だった。
さきほど、早苗ちゃんと呼ばれて送り出された彼女である。
「おお⁉︎
うちの女子、めっちゃ速えな!」
早苗ちゃんと後続との差はぐんぐん広がっていく。
そして最後尾はアリスだった。
彼女は走り出してまだ幾らも経っていないというのに、もうあごをあげて息を切らせ、ひぃひぃ言いながら走っている。
「お、おお……。
アリスのやつ、めっちゃ遅いなぁ……」
目をキュッと瞑って必死に走る姿が、なんだか小動物を連想させて可愛い。
でもどうやらアリスは、運動が苦手だったようだ。
「2年E組はやい!
これははやい!
後続を置いてきぼりにして、もうクジまで到着しましたー!」
うちのクラスの早苗ちゃんが、スタートラインから百メートル先にある借り物くじの場所に、いの一番にたどり着いた。
大きな箱に手を突っ込んで、ごそごそしている。
「E組の夕凪早苗選手。
いまクジを引きました!
内容はいったいなんでしょうか?
よく見えるように、胸に貼ってくださーい!」
アナウンスに促されて、E組女子が今しがた引いたクジをゼッケンに貼った。
そこには極太油性マジックの文字で、『
早苗ちゃんがキョロキョロと周囲を見回す。
彼女は視線の先にイケメン眼鏡である財前時宗の姿を見つけると、そちらのほうへと走って行った。
◇
ところでうちの体育祭の借り物競争には、少しだけ特殊なルールがある。
くじを引いた選手は、借り物の中身が周囲の人間にもよく見えるように、ゼッケンに貼らなければいけないのである。
「2年A組、西澄アリス選手。
最後尾でいまクジまで到着しました!
ほかの選手たちは、もうすでに借り物を探しに行っているぞ!
西澄選手、ここから挽回なるか?」
アリスが抽選箱に手を入れた。
びりとは言え、アリスの美しい
「おっと。
いま西澄選手がくじを引いた!
その内容は、なな、なんと――⁉︎」
アリスがクジをゼッケンに貼り付けた。
そこにはよく見える大きな文字で『大切なひと』と書かれてある。
「大切なひと!
西澄選手の借り物は、なんと『大切なひと』だー!」
ギャラリーがどよめく。
グラウンドのそこかしこで、いま彼女が引いたくじについて噂し合っている。
気づくとアリスが俺を見ていた。
視線が交差するなり彼女はこくりと頷いて、真っ直ぐにこちらに向かって走ってくる。
「西澄選手、走り出した!
判断がはやい!
この大勢の観客のなかから、いまの一瞬で『大切なひと』を見つけだしたというのでしょうか!」
アナウンスの間にも、アリスはぐんぐんとこちらに近づいてくる。
「お、おいおい。
アリスのやつ……。
……ったく、しょうがねえなぁ」
E組の観覧場所から一歩前に歩みだした俺のもとに、アリスがたどり着いた。
「はぁ、はぁっ……。
……んっ。
大輔くん!
一緒に来てください」
「おうっ。
んじゃあ、行くか!」
アリスと手を取り合って走り出す。
駆け出した俺たちの姿に、グラウンドに詰めかけた全員が、わっと歓声を上げた。
◇
「おおっと、西澄選手!
大切なひとにE組の男子を選んだ!
まさか!
まさかの展開です!
いま手を引いて走りだしたぞ!
会場は大盛り上がりだ!
というかあの男子はっ⁉︎
き、北川くんです!
2年E組、北川大輔くんを連れて、西澄アリス選手、ゴールに向かって走っていきます!」
アリスに手を引かれて走る。
いまならまだ誰もゴールしていない。
時宗を連れ出そうとしていたうちのクラスの早苗ちゃんは、A組女子たちの妨害にあって手間取っているようだ。
「西澄選手!
これは1着でゴールなるか。
ゴールに向けて、一直線に走っていくぞ!
ああっと、だがしかし!
ここで思わぬ伏兵が現れたっ。
C組女子、山中幸子選手だ!
借り物のハンカチを持って、A組西澄アリス選手を猛追していく!」
追い上げてきたC組女子の借り物はハンカチ。
走るのに邪魔にならない有利さも相まって、ぐんぐんと追い上げてくる。
このままだと抜かれそうなペースだ。
「なぁ、アリス!」
走りながら、後ろから彼女に話しかける。
「はぁっ。
はぁっ。
な、なんですか、大輔くん!」
「どうせ取るなら、一等賞がいいよなぁ!」
返事も聞かずに、ぐんっと加速した。
アリスの前に踊りだし、逆に彼女の手を引いて力強く駆けだす。
「きゃ⁉︎」
「おう!
転ばないように気をつけろよ。
いくぜー!」
「は、はいっ!」
ぐんぐんと速度を上げる。
繋いだ手のひらにアリスの温もりを感じながら、グラウンドのど真ん中を、真っ直ぐに突っ切っていく。
俺とアリスは、追い上げてきたC組の選手を徐々に引き離し始めた。
「ああっと!
ここでA組がスピードアップ!
はやい!
これははやい!
風を切るように颯爽と走り抜け、いま!
1着でゴールイン!」
全校生徒と父兄たちが、ふたたび歓声に湧いた。
俺はアリスと手を繋いだまま足を止め、息を弾ませる彼女と見つめあった。
「ははっ。
俺たちが一番だぜ。
楽しかったな、アリス!」
「はぁ、はぁっ。
は、はい。
楽しかったです、大輔くんっ」
アリスは額から汗を流し肩で息をしながら、けれども心底楽しそうに笑ってみせた。
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