第3話 茜色の校舎にて

 野球部の奴らから便利屋のような女の存在を聞いた俺は、2年A組の教室に向かって歩く。


 もう部活動も終わった頃合だ。


 放課後の校舎は、極端に人気ひとけがない。


 ふと思う。


 こんな時間まで教室に居残って、その西澄とかいう便利な女子はなにをしていたんだろうか。


 というか、ほんとにそんなやついるのだろうか。


 俺、野球部のやつらに担がれてないよな。


 誰もいない茜さす廊下を歩いていると、少しばかり不安がよぎった。


 ◇


 廊下の端のほうに、A組の教室が見えてきた。


 ちょうどそのとき、教室の引き戸が開かれ、なかからひとりの男子生徒が出てきた。


 妙にスッキリとした表情をした男だ。


 彼はあごをくいっと持ち上げ、得意げな顔をしたままこちらに向かって歩いてくる。


 とりあえずこいつに話を聞いてみよう。


「おい。

 ちょっといいか?」


 すれ違いざまに声を掛けると、男子は煩わしそうに舌打ちをしてからこちらを振り返った。


「……北川か。

 こんな時間までなにしてやがる。

 というか問題児がこの俺に、気安く話しかけるな」


「問題児で悪かったな。

 それに遅くまで残ってるのは、お前だって同じだろうが。

 ……まぁそれはいい。

 なぁ、お前。

 いまA組の教室から出てきたよな。

 西澄アリスっての、まだいるか?」


「はっ!

 お前もあの売女ばいたが目当てかよ。

 所詮北川もその程度ってか。

 正義面せいぎづらした問題児の正体みたりって感じだなぁ?」


 なんだこいつ。


 随分とイケ好かないやつだ。


「正義面ぁ?

 なんの話だよ。

 俺ぁそんないい子ちゃんぶった真似は、した覚えがねぇぞ」


「……ふん。

 ちょっと上級生と喧嘩して勝ったくらいで調子に乗るなよ。

 みんながみんな、お前にぶるってる訳じゃねえからな」


 男子生徒がくるりと背中を向けた。


 一方的に言いたいことを言い放った彼は、結局俺の質問には答えずにそのまま立ち去っていく。


「……わけがわからん。

 なんだったんだ」


 ああいう手合いが、じいちゃんがよく話している『キレやすい今時の若者』ってやつなのかもしれない。


「っと。

 そんなこたぁ、どうでもいい。

 いまは子猫のことだ。

 西澄アリスってのがまだ居て、捜すの手伝ってくれたらいいんだが……」


 俺は気を取り直して、2年A組へと足を運んだ。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……西澄ぃ!

 西澄アリスってやつ、いるかぁ?」


 扉を開いてなかを覗く。


 西陽の差し込む茜色の教室に、金色の髪をした女子がひとり、ぽつんと机に座っている姿が目に飛び込んできた。


「……?」


 窓際のその女子が、教室に入ってきた俺に顔を向ける。


 髪の色こそ人目をひく金髪だが、目鼻立ちは日本人のそれで、瞳も碧眼というわけではなく、赤みがかった黒だ。


 しかし俺には、彼女がまるで西洋の人形のように思えた。


 そう感じたのはおそらく、彼女を形作るすべてのパーツがありえないほど整っていて、いっそ無機質さすら感じさせるほどだからだろう。


「……はっ⁉︎」


 気付けば彼女の幻想的で、ある意味人間離れした美貌に目を奪われてしまった。


 頭を振って心を落ち着ける。


 もう一度ゆっくりと彼女を観察して、俺はようやく気がついた。


「……なんだ、お前。

 泣いてんのか?」


「……泣いてません」


 鈴が鳴るような透き通った声だ。


 でもいまはその綺麗な声も、どこか涙声である。


「でもお前……。

 目が真っ赤じゃねぇか」


「……夕陽のせいです」


「いやそれは無理があるだろ。

 って、さっき廊下で妙にスッキリした感じのイケ好かない男子とすれ違ったけど、あの野郎になにかされたのか?」


 応えを待つも、目の前の女子はなにも言わない。


 だが俺には、彼女がどこかつらさを堪えているように見えた。


「……ちっ。

 ちょっと待ってろ!

 さっきの野郎、取っ捕まえて――」


 女を泣かせるようなヤツは許すな。


 じいちゃんだって、いつもそう言っている。


 くるりと踵を返すと、女子が俺の背中を呼び止めてきた。


「……待ってください。

 本当に、なんでもありませんから」


 いや、なんでもないはずがない。


 実際に泣かされているだろ。


 そう言ってやろうと振り返った俺は、いつの間にか雰囲気の豹変していた彼女に驚いた。


「お、お前……」


 女子はもう目の赤さが引いていた。


 それどころかさっきまで泣いていた彼女は、いまは死人みたいな無表情である。


 俺と女子の視線が交差した。


 光彩の失われた生気の感じられない瞳に、ゾクッと怖気おぞけが走る。


 彼女のあまりにも唐突な変わりように不気味さを感じてしまった俺は、どんな態度を取ればいいのかわからなくなって、その場に立ち尽くした。


 ◇


「……それより、あなた。

 わたしの名前を、呼んでいましたけど、なんの用ですか?」


 死んだ目をした女子が、ぽつぽつと小さな声で途切れ途切れに話しだす。


「あ……。

 お、おお!

 そうだ、そうだ」


 固まっていた俺はようやく金縛りが解けて、ズボンの後ろポケットから財布を取り出した。


「噂を聞いたんだよ!

 たしかお前、500円払えばなんでも言うこと聞いてくれるんだってな?」


 女子からの返事はない。


 ただ黙って俺を観察している。


「ほら、500円!

 いままでだって、色んなやつのお願い聞いてきたんだろ?

 なら、俺も頼むよ!」


 俺は彼女の手をとって、無理やり500円硬貨を握らせた。


 女子の表情が、今度こそはっきりと歪む。


「あなたも……。

 さっきの男子と一緒なんですね……」


「あん?

 なんだって?

 そんな小さな声じゃ聞こえねぇよ。

 えっと。

 西澄……。

 名前、西澄アリスでいいんだよな?」


 やはり西澄はなにも答えない。


 というか俺に向けてくる視線に、なにやら非難めいた色が混ざっているように思える。


「な、なんだよその目は。

 俺、お前になんかしたか?」


 どうにも俺は、彼女に嫌われてしまったらしい。


 とはいえ元々俺は学校一の嫌われ者だ。


 誰かに嫌悪感を向けられることになんて、もう慣れてしまっている。


 そんなことよりも、いまは子猫を捜す人手の確保が優先なのである。


「とにかく、お願いなんだが――」


 言葉を話し切る前に、西澄は500円硬貨を机に置いて立ち上がった。


 そのままスタスタと歩き出し、俺の横を通り過ぎて教室の出口に向かっていく。


「待ってくれ!

 さっきの男子のお願いは聞いたんだろ?

 だったら俺のことも、手伝ってくれてもいいじゃねぇか!

 人手がいるんだよ」


 西澄の歩みは止まらない。


「はやくしないと猫が危ねえんだ!」


 彼女の足がピタリと止まった。


「校舎裏で飼ってた猫が居なくなったんだよ!

 あのバカ猫まだ多分生後2ヶ月くらいなんだ。

 はやく見つけねぇと……。

 またカラスにでも襲われたら、今度こそ殺されちまうかも知れねぇ」


 振り返った西澄は、キョトンとして俺を眺めている。


「だから人手が必要なんだ。

 お前、500円でなんでも願い事を聞いてくれる便利屋なんだろ?

 だったら一緒に子猫を捜すのを手伝ってくれよ!」


 俺は机に放置された500円玉を手に取った。


 振り向いて立ち尽くしたままの西澄に歩み寄り、再びその手に硬貨をしっかりと握らせる。


「……な?

 頼む!」


 俺をじっと見つめてくる彼女は、やはり理解不能なものを眺めるような目をしていたが、その視線にはもう先ほどまでの嫌悪感は混ざっていなかった。

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