第37話 ひとりの下校

 その日も俺は、アリスと一緒に学校の屋上で昼食を摂っていた。


「お弁当です。

 どうぞ、大輔くん。

 あと、お茶を置いておきますね。

 熱いのですから、気をつけて下さい」


「ああ。

 いつもありがとうな!

 さて、今日はどんな飯かなー。

 楽しみだ」


 アリスから弁当を受け取って、フタを開く。


「おー!

 めっちゃ美味そうじゃねぇか」


 今日のメニューはアリスお手製の海苔弁だった。


 白米の上におかかを敷いて、さらにその上に醤油に浸した海苔をかぶせる定番の弁当である。


「おかずはきんぴらとちくわの磯辺揚げにしてみました。

 実はこの海苔弁は、以前雫さんに教わったお弁当なのです。

 上手に出来ているといいのですが……」


「大丈夫だろ。

 アリスの料理の腕は確かだからなぁ。

 っとそうだ。

 忘れるところだったぜ。

 食べる前にアレを確認しとかねぇとな!

 ……どれどれ?」


 箸で海苔の端をつまみ、おもむろにそれをめくりあげた。


 おかかの形を確認する。


「…………あれ?」


「……?

 なにをしているのですか、大輔くん」


「いや、さっきこの海苔弁、雫に作りかたを教わったって言ってたよな?」


「はい。

 その通りです」


「だよな。

 じゃあ雫のやつ、教え忘れたのかな」


「えっと……。

 たしかにすべての工程を教わったはずなのです。

 どうかしましたか?」


「いや、大したこっちゃねえんだが……。

 あいつの作る海苔弁だと、白米に敷いたおかかがハートマークだったりするんだよ」


「――なッ⁉︎」


 小首を傾げていたアリスが、ハッと息を呑んだ。


 しまった、その手があったか!


 ってな顔だ。


「んで雫が言うにはだな。

 手作りの海苔弁を食べるときは、そのおかかの形をちゃんと確認してから食べるのがマナーって話なんだが……」


「……思いつきもしませんでした。

 さすがは雫さん。

 抜け目がないのです。

 こんなところにもアピールポイントを用意するだなんて……。

 わたしのお弁当なんて、まだまだ雫さんには及びもつきません」


 アリスがガクリと肩を落とした。


 うなだれ、シュンとしちゃったりなんかして、結構マジで凹んでそうだ。


「い、いや!

 ちょっと待てアリス!」


 俺はすかさずフォロワーを入れる。


「競い合うべきはおかかの形じゃなくて、味なんじゃねぇか?

 な?

 うおぉ……!

 この海苔弁、最高にうまそうだぜ。

 そんじゃ、いただきます!」


 海苔とおかかと白米をまとめて頬張る。


 醤油でひたひたになった海苔が、舌や頬の内側をヒリヒリと刺激してきた。


 おかかと混じり合った白米を一緒くたに噛みしめると、塩気と米の甘みの塩梅がほど良いバランスで口内に広がっていく。


「うめぇ!」


 いやマジでうまい。


 絶品だ。


 もぐもぐ、ごくん、と飲み込んでから、また箸を動かす。


 手が止まらない。


「この海苔弁、めっちゃうまいぞ。

 磯辺揚げも最高だ!」


「……ほんとですか?」


「嘘なんて吐かねぇよ。

 アリスの弁当は雫の弁当にも負けてねぇから!」


 おだてるわけではなく、甲乙つけがたいうまさだ。


 俺は勢いよく弁当にがっついて、そのことを態度で証明してみせる。


「……ふふ。

 大輔くんは、優しいのです」


 ちょっとアリスの気分が回復したらしい。


 落としていた肩がもとに戻った。


「いやホントのことだしな!

 はぐ、はぐっ。

 ……んぐっ⁉︎」


 急いでかきこみ過ぎて、飯が喉に詰まった。


「……ごほっ!

 ごほっ!」


「だ、大丈夫ですか?

 これ、お茶です」


 アリスがコップ型の水筒のふたにお茶を注いで差し出してきた。


「あっ、でもまだこのお茶熱い……。

 ど、どうしたらいいのでしょうか。

 あ、そうなのです!」


 アリスがお茶に、息を吹きかけた。


 形の良い桃色の唇をすぼめて、必死になって顔を赤くしながらふぅふぅしている。


 小動物のようなその仕草が愛らしくて、俺はごほごほと咳き込みながらも彼女に魅入ってしまった。


「どうぞ……!」


 コップを受け取る。


「ごほっ。

 す、すまねぇ」


 アリスがふぅふぅしてくれたお茶……。


 そこはかとない照れを感じながらも、俺はほどよい熱さまでぬるくなったお茶を一気に飲み干した。


 ◇


「……大輔くん。

 落ち着きましたか?」


 俺の背中を優しくさすりながら、アリスが心配そうに問いかけてきた。


「ああ、もう大丈夫だ。

 あんがとな」


「どういたしまして、です」


 寄り添うように隣にいてくれたアリスが、対面に戻っていく。


 俺はふたたび海苔弁に箸を伸ばし、今度は急がすに食べきった。


「ふぅ。

 ごっそさん。

 うまかったぜ!」


「ふふふ。

 お粗末さまでした」


 くちくなった腹をさすりながら、空を見上げる。


 抜けるような青空で気分が良い。


「……っと、そうだそうだ。

 アリスに言っとかなきゃならないことがあった」


「どうしたのですか?」


「いやさ。

 昨日じいちゃんが倒れたんだよ」


「……えっ⁉︎」


 優しく微笑みながら食後の俺を見つめていたアリスが、ぎょっとして真顔になった。


「倒れたって……。

 だ、大輔くん!

 おじいさんは……。

 おじいさんは大丈夫なのでしょうか⁈」


 腰を浮かせて膝立ちになり、俺に詰め寄ってくる。


「ああ、悪りぃ。

 切り出し方が悪かったな。

 そんなに心配しなくても大丈夫だ。

 倒れたって言っても命に別状はねぇ。

 ただ肺炎で1週間から10日くらい入院するってだけだからよ」


「そ、そうでしたか……」


 アリスは安堵の息を吐いてから、ふたたびレジャーシートに腰を落ち着けた。


 ほっと胸を撫で下ろしている。


「まぁ、それでだな。

 じいちゃんが退院するまでの間、俺が毎日様子を見にいくことになった」


 オヤジは仕事だし、雫には家を任せなきゃいけない。


 明希や拓海もまだ小さいから、必然として見舞いは俺の役目になったって寸法だ。


「だからしばらくは一緒に下校できないんだ。

 悪りぃな」


「……はい。

 わかりました。

 いえ、それは大輔くんが謝るようなことではありません。

 しっかりとおじいさんに付いていてあげて下さい。

 私も折をみて一度お見舞いにいきます」


「ん、わかった」


 昼休憩の終わりを告げる予鈴が鳴る。


「お、そろそろ午後の授業か。

 じゃあ教室に戻るとするか」


「はい」


 いそいそとお昼の片付けをする。


 俺はアリスと肩を並べて、屋上をあとにした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


(アリス視点)


 おじいさんの入院を大輔くんに聞いてから、3日が経った。


 私は今日もひとり、下校する生徒たちに紛れて、とぼとぼと帰路についている。


「……ん。

 なんだかひとりで帰るのは、寂しいな」


 前までは平気だったのに、ここ最近はいつも大輔くんと一緒に下校していたから、こんな風に寂しさを感じてしまうのかもしれない。


 彼は学校ではいつも通り私と一緒にいてくれるけど、放課後になるとすぐに病院に向かってしまう。


 けどそれは仕方のないことだ。


 見た目は少し乱暴そうに見えるけど、中身はとても他人思いな大輔くん。


 特に身内にはすごく優しい彼のことだから、きっとおじいさんのことが心配で心配で仕方がないんだと思う。


 考え事をしながらゆっくり歩いていると、正門を過ぎたあたりで後ろからやってきた女生徒たちに追い抜かれた。


「それじゃあね。

 ばいばぁい!」


「うん!

 また明日。

 じゃあねぇー」


 私を追い越した見知らぬ生徒たちが、手を振りあい、別れていく。


 その姿になんとなく視線を向けてから、私はあることに気がついた。


「……あっ」


 あの男子だ。


 たしか名前は田中くん、とかいったか。


 下校する生徒たちでできた人混みの向こう側。


 そこにあの男子がいる。


 いつも私に訳のわからない要求を突きつけては罵詈雑言を投げかけていく彼が、遠くから私のことをじっと眺めていた。


「……ぅ。

 ……ぅぁ」


 私を凝視していた田中くんが、いやらしげに唇の端を釣り上げた。


「……だ、大輔くん」


 思わず大輔くんの姿を探した。


 でも彼はいま私のそばにいないことを思い出して、思わず一歩後退あとずさる。


 すると田中くんはニヤリと笑いながら、後ろに下がった私を追いかけるように、こちらに向けて一歩足を踏み出した。


「……い、いや……」


 逃げなくてはいけない。


 あの男子に捕まってしまうと、なにをされるかわからない。


 そんな恐怖心が私のなかに芽生えてくる。


 でも足がすくんでしまって、なかなかうまく歩くことができない。


 そうして私がもたもたしている間にも、田中くんはニタニタ笑いながら距離を詰めてきている。


「……だ、大輔……くん……」


 震える声で呟いた瞬間――


「ア、リ、ス、ちゃーん!

 見ぃつけた!」


 背中に軽い衝撃が走った。


「きゃ⁉︎」


 後ろから何者かに抱きすくめられらしい。


 思わず小さく悲鳴をあげてしまう。


「あっ。

 驚かせちゃったかしら?

 ごめんなさいー。

 あたしよ、あたし。

 みなみお姉さんですよー!」


 抱きつかれたまま、首だけで振り返る。


 すると言葉のとおり、雪野先輩のにこにこした笑顔が私の目に飛び込んできた。


「……あ、先輩でしたか。

 脅かさないで下さい」


「うん。

 ごめんねぇ。

 それよりアリスちゃん。

 いまから帰りよね。

 あたしと一緒に帰りましょう!」


「あ、はい。

 それは構いませんが、いったいどうして……?」


「ふっふぅん。

 実はね。

 大輔くんに頼まれたのよ。

 なんでも彼、おじいさんが倒れちゃったらしいわね。

 それでしばらくの間自分は放課後は病院だから、その間、できればアリスちゃんと一緒にいてやってくれないかって」


「……そうでしたか。

 ありがとうございます」


 ようやく落ち着いてきた心臓を手で押さえ、ぺこりと雪野先輩に頭を下げる。


「ほらぁ、あれでしょ?

 聞いたわよ。

 アリスちゃん、たちの悪いストーカーに付きまとわれてるんですって?

 大輔くん、心配してたわよ」


「あ、そういえば」


 先輩から目を外し、キョロキョロと辺りを見回す。


 けれども田中くんの姿は、もうどこにも見当たらなくなっていた。


「さ、それじゃあ帰りましょうか。

 そうだ。

 ファミレスに寄って帰らない?

 男子抜きでアリスちゃんと話したことってなかったし、楽しみだわぁ!」


 先輩が強引に私の手を取って、歩き出した。


 私はあの男子が消えたことに安堵しつつ、雪野先輩に手を引かれるまま足を踏み出した。

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