第50話 決着

 生徒のみなさんが、続々とわたしたちのいる公園に集まってくる。


 その数は数十人にもなった。


 駆けつけた生徒たちが、ひそひそと囁き始める。


「……あれが田中くん?」


「さっきの放送聞いた?

 中学の頃の話。

 ……最低よね」


「ちっ。

 なんであんなクズが同じ学校にいるんだよ」


 みんなが田中くんに嫌悪の眼差しを向けている。


 威勢の良い一部の生徒が、彼に辛辣な言葉をぶつけ出した。


「おい、田中ぁ!

 お前なんて、学校辞めちまえ!」


「そうだ!

 いじめや婦女暴行を、親の力で揉み消しただぁ?

 恥ずかしくないのか!」


「う、うるせえよ!

 俺は悪くない。

 なんにも悪くない!

 どっかいけよ、お前ら!

 なんでこんなにワラワラと集まって来てんだ!

 うぜえんだよ!」


 田中くんがめちゃくちゃに腕を振って、生徒たちを解散させようとする。


 けれどもまるで効果はない。


「はぁ⁉︎

 悪くない?

 俺たちさっきの放送聞いてたぞ。

 財前が言ったこと、お前が全部自分で認めてただろうが!」


 田中くんの言い分はまったく受け入れられていない。


 どうやら彼は、みなさんから完全に嫌われてしまったようだ。


「……そろそろ頃合いか」


 周囲の様子をじっと眺めていた財前くんが、眼鏡の奥で瞳をキラリと光らせた。


「西澄。

 ちょっとこれを預かっていてくれ。

 割れたら困るからな。

 いまから最後の仕上げに掛かる」


 彼が手渡してきた眼鏡を受け取る。


「……仕上げ?」


 事前に財前くんから聞いていた計画の内容。


 それは全校放送で、田中くんのこれまでの悪行を彼自身の口で認めさせることだった。


 そうして大輔くんに着せられた誤解を解くことが目的だったのである。


 その目的はもう叶っている。


 なのに財前くんは、まだ計画が終わっていないかのような口ぶりだ。


 わたしは首を傾げて、尋ねる。


「……?

 計画は、もう完了のはずなのです」


「いや、まだだ。

 すまんな。

 お前や雪野さんには話していなかったが、俺の計画にはまだ続きがある」


 眼鏡を外した財前くんが、田中くんに向き直った。


 ◇


「どうだ、田中。

 学校中の嫌われ者になった気分は?」


 いつも通りの落ち着いた様子で話しかける財前くん。


 対照的に、田中くんは怒り心頭だ。


「財前……!

 お前ぇ」


「まったく。

 お前のこれからの学校生活を思うと、不憫で仕方がない。

 生徒たちの誰からも陰口を叩かれ続ける毎日。

 さぞ辛かろうな。

 ふっ……」


 財前くんが挑発的に鼻を鳴らす。


 すると田中くんは、ギリギリと奥歯を噛みしめ、財前くんを睨み付けた。


「くくく。

 そう怖い顔をするなよ、田中。

 醜悪な顔が、さらに醜く歪んでいるぞ。

 まるで鬼かなにかのようだ。

 まぁ人でなしのお前には、似合いかもしれないが」


 ……どうにもおかしい。


 わたしは財前くんが発した言葉の数々に、違和感を覚えた。


 普段の彼はこんな風に相手の感情を逆撫でするような話し方はしない。


 これではわざと田中くんを怒らせようとしているとしか思えない。


 財前くんの挑発は続く。


「そう言えば大輔も、いまのお前と同じように学校中から嫌われていたなぁ。

 だが、大輔は物ともしなかったぞ。

 どんなときも自らの有り様を貫いていた。

 田中。

 お前はどうだ?

 自らに恥じるところがなければ、どんな状況でも立派に振る舞えるのではないか。

 だがお前の場合は……。

 ……ふっ。

 まぁお前ごときに、大輔と同じ真似ができる訳がなかったな。

 意地の悪いことを尋ねた、許せ」


「き、貴様……!

 この俺を、北川みたいな落ちこぼれと比べるな!」


「落ちこぼれ?

 お前は頭がどうにかしているのか?

 俺の親友は、断じて落ちこぼれなどではない。

 誇れる男だ。

 お前とは根本から違う」


「こ、この野郎!」


 田中くんが財前くんに殴り掛かった。


 財前くんの悪し様な罵りように、ついに我慢の限界を超えたらしい。


 ◇


「おらぁ!」


 田中くんの拳が、財前くんの頬をとらえる。


「きゃあああ⁉︎」


 周囲の女子生徒たちから、悲鳴があがった。


 しかし一部の生徒は、スマートフォンを構えて暴行の一部始終を撮影し始めた。


「……ぐ」


 財前くんがたたらを踏んで、後退あとずさる。


「おらぁ!

 財前、てめえ。

 好き放題言いやがって!」


 田中くんが何度も何度も財前くんを殴りつける。


「やめ……!

 やめてください!」


 わたしは彼を助けようと、たまらず足を踏み出した。


 しかしそのとき――


「来るな、西澄!」


 財前くんが手のひらを向けて、駆け寄ろうとするわたしを制する。


「で、でも……!」


「……これでいい。

 計画通りだ!」


「なにぶつくさ言ってやがる!

 うらぁ!」


 また殴られた財前くんが、唇の端を切り、鮮血を散らす。


「く、くくく……」


「はぁ、はぁ……。

 お前。

 殴られながら、なに笑っていやがる!

 一体なにがおかしい!」


「……くくく。

 終わりだよ、田中。

 お前はこれでお終いだ。

 いいか、田中。

 俺からは、決して殴り返してやらん・・・・・・・・

 その意味を理解しろ。

 俺は大輔と違って甘くない。

 相手を追い詰めるときは、きっちり最後まで追い詰める性分でな」


「はぁ?

 なに言ってやがる。

 ほら!

 掛かってこいよ、財前!」


「話を聞いていたのか?

 殴り返さんと言ってるだろう」


「はっ!

 喧嘩もできないヘタレの分際で、いままで調子に乗ってやがったのかよ!」


 田中くんの一方的な暴力が続く。


 ◇


「どけ、どけぇ!

 お前ら、校外でなにをしている。

 はやく学校に戻らんかぁ!」


 野太い怒鳴り声がした。


 少し遠くに生活指導の吉澤先生の姿が見える。


 その声を聞きつけた財前くんが、僅かに口角を上げてにやりとほくそ笑む。


「ぐわぁ……!」


 財前くんが大袈裟に吹き飛んだ。


 大の字に倒れてピクリとも動かない。


 そこに生徒でできた人垣を掻き分けて、吉澤先生が現れる。


 ほかにも何人もの先生がやってきた。


「こ、これは……!」


 先生たちは暴行事件の現場を前にして、絶句していた。


 特に吉澤先生はショックを受けたようで、目を見開いて田中くんを眺めてから、次に地面に倒れ伏した財前くんに目を向ける。


「ざ、財前……!

 だ、大丈夫か。

 しっかりしろ……!」


 吉澤先生が財前くんに駆け寄った。


 怪我をいたわるように彼を抱え起こした先生は、わなわなと肩を震わせながら問い掛ける。


「……た、田中……。

 ……これをやったのは、お前か……」


「ち、違――」


 田中くんが咄嗟に嘘をつこうとした。


 けれども野次馬に集まった生徒のみなさんから、声があがる。


「おーい、吉澤先生よぉ。

 無抵抗な財前をボコったのは田中だぞ!」


「このスマホで証拠も撮ってあるぜ!」


 もはや言い逃れは聞かない状況だ。


 吉澤先生が田中くんを睨み付ける。


「……田中。

 放送、聞いたぞ。

 それに、この暴行現場はなんだ……」


 湧き上がる怒りに声を震わせながら、吉澤先生が続ける。


「……お前。

 あのとき病院で、俺に言ったよな?

 北川にいきなり殴られた。

 なにもしていないのに、殴られた。

 悔しい。

 先生、助けて下さいって、泣きながら俺に縋り付いてきたよな?

 だから俺は、お前を助けてやろうとして……。

 ……くっ。

 あれは、……ぜんぶ嘘だったのか……?」


「そ、それは――」


 田中くんがしどろもどろに言い訳をしようとする。


 しかし先生は取り合わない。


 田中くんを軽蔑したように一瞥してから、優しい声色で財前くんに語りかける。


「財前。

 怪我は大丈夫か?」


「……はい。

 なんとか」


「そうか。

 安心しろ。

 すぐ保健室に連れて行ってやる……!」


「わ、わたしもいきます!」


 わたしはふたりに駆け寄り、先生と一緒に傷ついた財前くんに肩を貸して、立ち上がらせる。


 吉澤先生が田中くんを振り返って告げた。


「……田中。

 お前はこのあと、生徒指導室にこい。

 いいな」


 静かな口振りが、逆に恐ろしい。


 田中くんは保健室に向かうわたしたちを見送りながら、唖然と立ち尽くしていた。

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