第20話 興奮した先輩と怯えるアリス

 時刻はちょうど昼どきだ。


 せっかくだしみんなには、うちで昼飯を食べていってもらおう。


 一足先に玄関に踏み込む。


「……あれ?

 じいちゃんの草履がねぇな」


「おじいちゃんなら、ふらっと出かけていったよ。

 お昼はいらないって」


「そっか。

 親父は今日も仕事でいねぇし、ふたりとも気楽にできていいかもしんねぇな。

 とりあえず上がってくれ」


 振り返ってみなみ先輩と時宗に声を掛けた。


「はぁい。

 お邪魔しまーす」


「ああ。

 邪魔しよう」


 何気にこのふたりが俺ん家に遊びにくるのは、これが初めてだ。


 時宗はうちに来てもいつもと変わらず超然としたままだが、先輩は物珍しげに我が家を見回している。


「ふぅーん。

 歴史を思わせる和のお家って感じねぇ。

 ふふっ。

 大輔くんっぽい。

 なんだか素敵ねっ」


「歴史っつーか、古いだけだな。

 取りあえずみんな、こっち来てくれ」


 玄関口からぞろぞろと居間に移動した。


 ◇


 居間で大人数でガヤガヤしていると、2階から明希と拓海が連れ立って降りてきた。


「お帰り、大輔にぃ。

 あれ?

 って、誰⁉︎

 このイケメン眼鏡のひと、大輔にぃの友だち⁈

 ふわぁ……。

 すっごいかっこいい!」


「うぉー!

 にぃちゃんがまた、別嬪のねぇちゃんを連れてきた!

 なんでにぃちゃんばかりモテやがる!

 いったいどうなってんだ!」


 うるさいふたりが増えて、居間は更に騒がしくなる。


 ふと気がつくと、アリスが俺の背中に隠れてこそこそしていた。


 なんか小動物みたいで可愛い。


 でも、なんで隠れてるんだろう。


「とりあえずお前ら、静まれ!

 まとめて紹介するぞ。

 こっちは俺の妹と弟たちで、端から北川家長女の雫、次女の明希、末っ子の拓海。

 そんでこっちは俺のダチで、ひとつ上の雪野みなみ先輩に、同い年の財前時宗だ」


 ひと息に紹介してしまう。


 みんなも互いに頭を下げあって自己紹介を始めた。


 あとはさっきから、俺の背後に隠れたままのこいつなんだが……。


「アリス。

 ほら、隠れてないで自己紹介しねぇと。

 時宗は同じクラスだから知ってるよな」


「……はい」


「じゃあこっち。

 俺のダチで、雪野みなみ先輩だ。

 いいひとだぞ」


「はぁ、はぁ……。

 雪野みなみよぉ。

 ア、アリスちゃん、よろしくねぇ。

 はぁ、はぁ……」


 背中に隠れたアリスがビクッと震えた。


「どうしたんだよ、アリス。

 自己紹介しかえさねぇと」


「……怖い。

 その女のひと、目が怖いです。

 尋常な目ではありません」


「……ん?

 なに言ってんだ。

 先輩がそんなわけ――」


 ふと見ると、みなみ先輩は鼻息を荒くして酷く興奮していた。


 両手をわきわきさせながら身を乗り出し、俺の背後に隠れたアリスを凝視している。


「う、うぉ⁉︎

 せ、先輩どうしたってんだよ!

 目がっ。

 目が怖えぞ!」


「はぁ、はぁ……!

 ア、アリスちゃぁん。

 こ、こんな可愛い子が、この世に存在したなんて……!

 奇跡的な美少女!

 ギュッて抱きしめて、全身くまなく撫で回したくなるわぁ」


 先輩は完全におかしくなっていた。


 こんな彼女を見るのは俺も初めてだ。


 醸し出す変態っぽい雰囲気に、軽く引き気味になる。


「ね、ねぇ大輔くん。

 アリスちゃんをこっちに渡してくれないかしら?

 へ、変なことはしないから。

 うふ……。

 うふふふふふ……」


「――ひぅ⁉︎」


 アリスが怯えて縮こまった。


 後ろから俺の服の裾を掴んで、ぶるぶると震えている。


「こ、怖いです」


「だ、だめだ!

 アリスは渡せねぇ。

 いまの先輩、なんかおかしくなっちまってんぞ!

 目を覚ませ!」


「はぁ、はぁ……。

 おかしい?

 このあたしの、どこがおかしいっていうの?

 あたしは至って普通よぉ。

 さ、アリスちゃんをこっちに渡しなさい」


 こいつはやべぇ……。


 先輩から怪しげな匂いがぷんぷん漂ってきやがる。


「だ、大輔くん……!

 怖い。

 怖いです!」


 キュッと二の腕を掴まれる。


 俺はアリスを庇いつつ、背後を振り返って頷いた。


「大丈夫だ。

 安心しろ、アリス」


「は、はい」


 ふたたび前を振り向く。


 するともうそこには、みなみ先輩の姿はなかった。


「――はっ⁉︎

 いつの間に消えた!

 せ、先輩は……⁈」


「きゃあ!」


 背後から悲鳴があがった。


 わずかな隙をついてあっという間に移動していたみなみ先輩が、アリスに抱きついていた。


「はぁ、はぁ……!

 アリスちゃぁん。

 ほっぺた、ぷにぷにぃ。

 はぁ!

 はぁ!

 か、かか、髪の毛、さらさらぁ♡」


「やめっ!

 やめてください……!」

 いやっ。

 大輔くんっ。

 大輔くぅん!」


「ちょ⁉︎

 なにやってんだ先輩!」


 なんとかしてアリスから先輩を引き剥がす。


 引き離されたあとも先輩は、鼻息を荒くしたままだ。


 弄ばれてしまったアリスは細い体を両腕で抱きしめて、ぶるぶると震えていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 顔合わせも終わり、みなみ先輩と時宗は帰っていった。


 先輩はずっとアリスを狙い続けていたが、俺の必死のガードが功を奏し、あの後は先輩がアリスに抱きつけることはなかった。


 まったく……。


 先輩にあんな変態的な一面があったとは、想像もしなかった。


 これは今後、少し警戒するべきかもしれない。


 ◇


 そういえばあの後、みんなで昼飯を食べた。


 メニューは肉じゃがで、雫の指導を受けてアリスが作ったらしい。


 味のほうは、なかなかのものだった。


 雫もアリスならきっと、すぐに料理がうまくなると太鼓判を押していた。


 ほかに変わったことと言えば、明希が瞳をハート型にしながら時宗にべったりとくっついていたことくらいか。


 時宗のやつはイケメンだから明希が熱をあげるのも頷けるが、明希と仲の良い拓海は、ずっと面白くなさそうにしていた。


 あとでちょいと、フォローしておいてやろう。


 ◇


「おう、アリス。

 隣いいか?」


 縁側に座り、ゆっくりとお茶を飲んでいるアリスに声を掛ける。


「はい。

 どうぞ」


「あんがとよ」


 隣に腰掛け、俺も茶を啜る。


「なんだか今日はバタバタしちまったなぁ。

 悪りぃな」


「……いえ。

 やっぱり今日も楽しかったです」


「先輩のあれも?」


「……ぅ」


 アリスが言葉に詰まった。


 しかしこほんと咳払いをして、彼女は話を続ける。


「雪野先輩も、です。

 たしかにすこし苦手なところはありますが、きっとあの方は悪いひとではありませんから」


「そっか。

 そう言ってもらえると助かる。

 先輩も、時宗も、俺の大事なダチだからよ」


 アリスが無言でこくりと頷いた。


 なんとなく会話が途切れる。


 俺も口を噤んで、ただ縁側でのんびりする。


 さっきまでのような騒がしいのもいいけれど、こういう静かな時間も、これはこれでいいものだ。


 アリスの隣で茶を啜りながら、俺はそんなことを思った。

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