第31話 体育祭・後編

 体育祭、午後の部が始まった。


 大玉転がし。


 クラス全員参加の綱引きや玉入れ。


 それに盛り上がりをみせた騎馬戦。


 プログラムは問題なく進み、やがて最後の種目であるクラス対抗リレーの順番がやってきた。


 ◇


「次の競技は、クラス対抗リレーです。

 出場する選手はグラウンドに集合して下さい」


 放送部のアナウンスが青空の下に響き渡る。


「さてと……。

 んじゃ、行きますかねぇ」


 俺は最終種目であるこのリレーのアンカーだ。


 グラウンドの隅の集合場所まで向かっていると、アリスが俺のそばまで小走りで駆け寄ってきた。


 雫のやつも一緒である。


「よう、お前ら。

 ふたり揃ってどうした」


「大輔くん。

 怪我をしないように気をつけて下さい」


「お兄ちゃん、がんばってね。

 でも、がんばりすぎて転んじゃだめだよ」


「あんがとよ。

 まぁほどほどに走って、楽しんでくるわ」


「はい。

 応援しています」


「わたしも!

 明希や拓海たちと一緒に応援してるからね!」


 アリスと雫が、雑談を交わしながら去っていく。


「……そうそう、アリスさん。

 知ってますか?

 お兄ちゃん、ああ見えて凄く足が速いんですよ」


「そうなのですか。

 でも意外ではないです」


「お兄ちゃんは昔っから、運動神経がよくて……」


 ふたりが来た道を戻っていくのを見送ってから、俺は改めてリレーの集合場所へと足を運んだ。


 ◇


 集合場所へとやってきた。


 リレーは第1から第4までの4人の走者で走ることになっていて、100m、200m、300m、400mとあとになるほど少しずつ距離が伸び、4人で計1000mを走るスウェーデンリレー方式が採用されていた。


 俺はアンカーだから、つまり400mを走ることになる訳だ。


 ぶっちゃけ全力で走るには長すぎる距離だし、ほどほどにがんばることとしよう。


 集まった出場選手たちが、わいわいと騒いでいる。


 そんななかに、じっと俺を睨んでいるひとりの生徒を見つけた。


 ……野球部の田中大翔ひろとだ。


 列の並び順からして、どうやらこいつは第3走者らしい。


 俺のひとつ前である。


 というかこいつ、D組だったのか。


 田中は俺と目が合うと、列を外れて近寄ってきた。


「北川ぁ。

 お前がE組のアンカーなのか?

 というかお前、帰宅部だろ。

 運動もろくすっぽしてないだろうに、400mも走り切れるのかぁ?

 ははっ。

 ぜぇぜぇ息を切らしながらゴールとか、見苦しい真似は勘弁だぞ?」


「……いきなりなんだ、てめぇはよ。

 影が薄すぎて、いまのいままで気付きもしなかったわ。

 名前なんつったっけ?」


「北川……。

 喧嘩売ってんのかよ……」


「そりゃあ、てめぇだろうが。

 正直俺ぁ、お前にはムカついてんだ。

 てめぇが喧嘩売ってくんなら、いつでも買って……」


 いや、ちょっと待て。


 以前時宗のやつに、田中とのことは任せておけと釘を刺されている。


 また暴力沙汰を起こして今度は退学にでもなったら、アリスが悲しむだろうと。


 ……ここは抑えよう。


 俺は湧き上がる怒りをぐっと堪えて、目の前のいけ好かない男を睨みつけた。


 ばちばちと視線に火花を散らす。


「……ちっ」


 田中が目を逸らして、列に戻っていった。


 その後ろ姿を睨みつけながら、俺は先ほどの考えを改める。


 ――ほどほどにがんばるのはやめだ。


 全力疾走で走り抜けて、この馬鹿に吠え面をかかせてやる。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「位置について!

 よぉい……。

 スタート!」


 号令とともに、バトンを握った第1走者たちが一斉に飛び出した。


 まず先頭に立ったのは田中のクラスであるD組だ。


 次いでB組。


 俺のクラスのE組は3番手である。


「D組が先頭のまま、いま第2走者にバトンが渡りました!

 第2走は200メートル。

 どのクラスもがんばって!

 見物のみなさん、どうぞ応援をお願いします!」


 放送部がアナウンスで盛り上げる。


 リレーは最終種目ということもあり、注目度が高い。


「おっと!

 いまE組がB組をかわして、2番手に躍り出た!

 先頭との差はわずかだ。

 ここで先頭のD組、第3走者にバトンタッチです!」


 D組の田中にバトンが渡った。


 現在の順位はD組、E組、B組、A組、C組の順番になっていて、我らがE組は2番手。


 だがうちのクラスの第3走者は陸上部の男で、脚が速い。


 先頭を走る田中をぐんぐんと追い上げていく。


 ◇


「第4走者のみなさぁん。

 そろそろトラックで準備してくださーい」


 俺は進行役に促されて、スタートラインに立つ。


 その間もE組の陸上部員がD組を猛追していた。


 田中を抜いて先頭に躍り出るのも、もう時間の問題だろう。


 しかし、そのとき問題が発生した。


「あっと⁉︎

 接触!

 接触しました!

 白熱し過ぎたのか、D組第3走者の田中大翔くん。

 追い上げてきたE組第3走者の、矢田健一くんと接触してしまいましたぁ!」


 わっと歓声があがる。


 田中がE組の走者を妨害したのだ。


 接触されたうちのクラスの走者が、当たった拍子にバトンを手放してしまった。


「あの野郎……」


 ぎりぎりと歯ぎしりをする。


 当然、妨害はルール違反だ。


 陸上の大会なんかだったら、当たりにいったほうが失格になるのだろう。


 しかしこれは体育祭のリレー。


 故意に妨害したのだと見做されなければ、失格にはならない。


「リレーは続行です!

 2番手だったE組。

 バトンを拾っている間に、次々と抜かれていく!

 一方、先頭のD組は、いま、最終走者にバトンタッチ!」


 ◇


 走り終えた田中が、俺のそばを横切る。


「はぁ、はぁ……。

 ざまぁみろよ、北川ぁ。

 お前のクラスのやつにぶちかましてやったぜ。

 ははっ。

 お前は西澄が見ている前で、最下位で情けなくゴールしろ」


 田中は嘲笑いながら、待機の列に戻っていく。


「……くそ野郎が」


 メラメラと俺の闘志に火がついた。


 そうこうしていると、ようやくうちのクラスの第3走者が俺のもとまで走ってきた。


「ご、ごめん、北川くん!

 はぁ、はぁ。

 バトン、落としてしまって!」


「謝る必要なんざねぇよ。

 よく走った。

 ……あとは任せとけ」


 バトンを受け取った。


 うちのクラスは現在最下位だ。


 だが見ていろ。


 俺は脚に力を込めて、思いっきり大地を蹴った。


 爆発的な勢いで飛び出す。


「いま最終走者の北川大輔くんにバトンが渡った!

 距離は400メートル。

 最後尾からのスタートです。

 はたして、ここから逆転なるか!」


 一歩、また一歩。


 大きく脚を踏み出し、力強く大地を蹴りながら、猛烈な勢いで走っていく。


 こんなに全力で走るのは、生まれて初めてかもしれない。


「うらぁああ!

 舐めてんじゃねぇぞ!」


 猛禽類が風を切って飛ぶように、もの凄い速度で前を走る走者を追い上げていく。


「は、はやい!

 E組の北川大輔くんっ。

 めちゃくちゃ速いぞ!

 いまB組をかわして、4番手に――!

 い、いやC組も抜いて3番手に躍り出た!

 速い、速い!

 ごぼう抜きだぁー!!!!」


 グラウンドが歓声に包まれる。


「ま、またひとり抜いたぞ!

 北川くん、2番手!

 圧倒的なスピードです!

 だが第4走は400メートルの長丁場。

 こんな走り方で、最後までもつのでしょうか⁉︎」


 その声に後押しされるように、俺は前だけを向いて全力でひた走る――


 ◇


 心臓がばくばくとうるさく脈打つ。


 肺が破裂しそうだ。


「す、凄まじい追い上げです!

 北川大輔くん。

 いま、先頭を走るD組のすぐうしろについたぁ!」


 ようやく先頭を捉えた。


 だが疲労が蓄積して、徐々に脚が回らなくなってきた。


 限界が近い。


「あっと⁉︎

 ここで北川くん、ペースが落ちた!

 D組との差がまた広がっていくぞ。

 さすがに無理が祟ったかぁ⁉︎」


 身体が重い。


 さっきまではなんでもなかった空気の抵抗が、まるでヘドロみたいに走る俺に纏わりついてくる。


「はぁっ、はぁっ!

 くっそ……。

 あと少しだってのによぉ!」


 脚が回らない。


 少しずつD組走者の背中が遠ざかっていく。


 限界を感じた、そのとき――


「大輔くん!

 もう少しですっ。

 がんばって……!」


 必死に俺を応援するアリスの姿が目に映った。


 いつもの無表情ではない。


 懸命な様子で、声を上げている。


 まったく、アリスのやつ。


 声、張り上げるの苦手だろうに……。


 ◇


 不思議と脚に力が入った。


 大地を蹴るとぐんっと、身体が前に飛び出す。


「ああ!

 E組の北川大輔くん!

 ここで再びスピードアップ」


 さっきまでの重くるしさが嘘のようだ。


 漲る力を脚にこめて、全力で駆け抜けていく。


「凄い凄い!

 猛烈な勢いで先頭を追い上げていくぞ!

 だがゴールまでの距離はあとわずか。

 逆転なるか!」


 いける。


 確信していた。


 俺はもう、あのふざけた野郎に吠え面をかかせることなんて、どうでもよくなっていた。


 ただアリスに……。


 惚れた女の前でかっこつけるためだけに、全力で大地を蹴る。


「あ……!

 ああ!

 いま!

 いまかわした!

 北川くん、先頭!

 先頭に踊りだしたー!!!!」


 目の前の背中を追い抜くと、視界が開けた。


 行く手を遮るものはもう、なにもない。


「1着だ!

 北川大輔くん!

 最下位から見事なごぼう抜きをみせ、1着でゴールテープを切りましたぁ!」


 グラウンドを歓声が包み込む。


 ようやく立ち止まって、息を切らせながら振り返ると、アリスが俺をみつめて嬉しそうに笑っていた。

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