第30話 体育祭・中編2

 体育祭午前の部のプログラムが、つつがなく終了した。


 これから昼休憩を挟んでから午後の部になるのだが、昼からはうちの家族も参観にくるらしい。


 俺はアリスと雑談を交わしながら、校門までみんなを迎えるべく歩いて向かっているところだ。


「はぁ……。

 恥ずかしかったです」


 借り物競争で、『大切なひと』に俺を選んだことである。


「そうか?

 俺は楽しかったけどなぁ」


「わたしも楽しかったですけど、あのあとクラスの女子のみなさんに、散々に揶揄からかわれてしまいました」


 アリスは赤くなった頬に両手を当てている。


 仕草がなんとも可愛らしい。


「……ん?

 あいつは……」


 進行方向から、男が俺たちのほうに向かって歩いてきた。


 人相の悪いその顔には見覚えがあった。


 こいつはたしか、野球部の田中だ。


 1回500円でアリスがなんでもするなんて、下らない噂を流しやがった張本人である。


 たしか噂を流した理由は、1年の頃にアリスに振られた腹いせだったか。


 まったく、性根の腐ったやつだ。


 田中は明らかに敵意を剥き出しにして、遠くからアリスと俺を睨んでいる。


 それに気がついたアリスが、怯えて俺の背中に隠れた。


「……この嫌われ者の不良が」


 田中は接近するなり、忌々しげに表情を歪めた。


 小声で悪態をつく。


「はぁ?

 聞こえねぇよ。

 ちゃんと腹から声をだして喋りやがれ」


 態度からして、こいつは明らかに喧嘩を売ってきてやがる。


 なら俺も丁寧に応対してやるつもりはない。


「……ちっ。

 クズが。

 調子に乗りやがって……」


 田中が舌打ちをしつつ顔を逸らした。


「んだぁ?

 文句があんなら、俺の目ぇ見てはっきり言ってみろ。

 んな女の腐ったような態度取ってねぇでよぉ。

 てめぇにだって、いちおう金玉ついてんだろうが」


「き、金た――⁉︎

 はぅっ……」


 アリスが背後であわあわしている。


 彼女は小さく縮こまりながら、俺の服をちょいちょいと引っ張ってきた。


「大輔くん。

 もう、行きましょう」


 アリスは居心地悪そうにしている。


 どうにも一触即発のこの雰囲気に、ストレスを感じているようだ。


「……そうだな。

 こんなやつに構っていても仕方がねぇ。

 んじゃ行くか」


 見せつけるみたいにして、アリスの手のひらを握った。


 アリスも握り返してくる。


 田中がまた不快げに舌打ちをしたが、もう俺はそれには取り合わず、彼女の手をしっかりと引いてその場を後にした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 正門は待ち合わせをする生徒と父兄で、ごった返していた。


「えっと……。

 うちのやつらは……」


「あ、大輔くん。

 みなさん向こうにいます」


「あ、ほんとだ。

 おーい。

 お前らこっちだぜー!」


 大きく手を振ると、みんなも俺を見つけた。


「ようっ。

 アリスねえちゃん!」


「やっほー。

 遊びに来たわよ、大輔にぃ」


 拓海と明希が手を振りかえしながら歩いてきた。


 その後ろには雫の姿もある。


 でも親父とじいちゃんは来ていないようだ。


「なぁ雫。

 親父とじいちゃんは?」


「お父さんは急な仕事が入ったって、会社に行っちゃったよ。

 おじいちゃんはちょっと体調を崩してるみたいだから、うちで留守番してるって」


「そっか。

 親父も大変だな。

 ってかじいちゃん、このところ調子が悪りぃなぁ」


 つい先日も風邪をひいて寝込んでいた。


 少し心配である。


「とにかくまぁ、合流もしたし昼めしにすっか」


「うんっ。

 お弁当、たくさん作ってきたよ。

 えへへ」


 雫が自慢げに風呂敷包みを掲げてみせた。


 ◇


 みんなで校庭に移動してきた。


 たくさんの家族がわいわいと昼食を摂っている。


 空いてるスペースを見つけ、俺たちも大きめのレジャーシートを敷いて、その上に座る。


「じゃじゃーん!

 今日は奮発して、豪勢なお弁当にしてみましたぁ」


 雫が重箱の蓋をパカっと開けた。


 ずずいっと前に差し出してくる。


「おお!

 なぁなぁ、アッキー見てみろよ!

 海老フライだぞ!

 しかもあんなにっ。

 海老フライだぞ、海老フライ!

 海老フリァ――」


「ちょ、ちょっと拓海うるさい!

 海老フライ海老フライって、そんなに海老フライばっかり連呼したら恥ずかしいでしょ!」


 重箱を眺める。


 海老フライ、卵焼き、アスパラベーコンに、色とりどりの旬菜。


 そこには手の込んだおかずが、これでもかと詰め込まれていた。


「そして、はい。

 こっちの重箱はおにぎりだよ。

 端から順に、塩むすび、おかか、梅干し、明太子」


「おほー!

 こいつぁ、美味そうだ。

 作るのも手間ぁかかっただろう?

 ありがとな、雫」


「えへへ。

 たくさん食べてね、お兄ちゃん。

 アリスさんもどうぞ」


 アリスが無言でこくりと頷く。


「んじゃ、さっそく。

 いただきます!」


 俺が手を合わせるのと同時に、みんなの箸が一斉に伸びる。


 賑やかな食事が始まった。


「へへぇん!

 海老フライいっただきー!」


 拓海のやつが狙いすましたような箸さばきで、明希が取ろうとしていた海老フライを数尾まとめて掻っ攫っていった。


「あ、こら拓海!

 行儀悪いことしないのっ。

 海老フライ返しなさいよ!」


「へっへぇん!

 アッキーがのろまなのが悪りぃんだぜー!」


「ぐぬぬ……。

 弟の分際で生意気よ!

 あたしの海老フライ返しなさい!」


 下の妹と末の弟が、いつものように騒ぎ出す。


 俺は仲がいいんだか悪いんだか分からないふたりを横目で見ながら、塩むすびをひとつ摘まみ上げて、卵焼きと一緒にパクリと頬張った。


「んぐ、んぐ……」


 咀嚼する。


 ちょうど良い塩梅の塩気や白米の甘みが、卵焼きから染み出してきた出汁と舌のうえで混ざり合って、なんとも言えない美味さだ。


「くぁぁ……。

 うめぇ!」


 隣ではアリスが、海老フライを一口かじった姿勢で止まっていた。


「……さすが雫さんです。

 冷めても損なわれないこのサクサクとした衣。

 程よく火が通り、ぷりぷりになった海老の身の弾力。

 これは下処理に、特別な手間を割いているのかもしれません。

 付け合わせのタルタルソースもお手製で、随所に工夫が凝らされています」


 無表情なまま、食レポ芸人みたいなことを言い出した。


「……ふふ。

 短い期間の料理修業で、そこまで分かるようになりましたか。

 アリスさんこそさすがですね。

 ぷりぷりなのは、剥いた海老の身に少量の塩水を吸わせているからです。

 ほかにもコツがありますよ。

 また今度、教えてあげますね」


 雫がアリスに語りかける。


 アリスも雫を見つめてこくりと頷く。


 なんかいつの間にか、このふたりの間に奇妙な師弟関係が出来上がっていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 昼食を食べ終わり、午後のプログラム開始までをのんびりと過ごす。


 明希はついさっき、イケメン眼鏡の時宗を見つけて黄色い声をあげながら飛び出していった。


 拓海はそれを見て、不満げにしながらも明希のあとを追っていった。


 残されたのは俺とアリスと雫だ。


「ふわぁ……。

 満腹になったら少し眠くなってきた。

 ちっと横になるかぁ」


 ゴロンと身体を倒す。


 するとアリスが横座りのままずりずりと近寄ってきて、俺の頭を持ち上げたかと思うと、ぽすっと膝に乗せた。


「ア、アリスさん⁉︎

 なにをしているんですか?」


「膝枕です。

 こうすると大輔くんが喜びます」


「なっ⁉︎

 お、お兄ちゃん!」


「いやちょっと待て!

 さすがに妹のまえで、これはまずい!」


 起き上がろうとすると、肩を押さえられた。


 そこにタイミング悪く、A組の女子が通りかかる。


 以前屋上で一緒に弁当を食べたことめある、3人組のあの女子たちだ。


「あ、みてみて!

 西澄さんってばぁ」


「きゃー!

 北川くんを膝枕なんかしちゃってるぅ」


「さっすが、大切なひとに選んだだけあるよねっ」


 やたらと嬉しそうな顔をした彼女たちは、通り際にきゃーきゃーと囃し立ててきた。


「え?

 このひとたちは、アリスさんのお友だちですか?

 それに、大切なひと?

 いったいなんの話なんですか?」


「なに、なに?

 この子も可愛いわねぇ。

 中学生かしら?」


「へぇー。

 北川くんの妹さんなんだぁ?」


「えっとぉ。

 大切なひとってのはねー」


 3人から借り物競争での出来事を聞き出した雫が、ぷくーっと頬を膨らませた。


「わ、私だって!

 私だってお兄ちゃん、大切なんだもん!」


 雫はこちらに寄ってきて、アリスの膝から俺の頭を奪い取り、そのまま自分の太ももに乗せた。


「あっ。

 大輔くん……」


「お、お兄ちゃんどう?

 私の膝枕だってなかなか――」


「いやいや、ちょっと待て雫!

 なんかお前いま、変になってんぞっ」


 見れば雫は顔を耳まで真っ赤に染めていた。


 なんだかテンパってるっぽい。


「ほら、雫。

 落ち着いて、深呼吸しろ!

 な?」


 おかしくなった雫は、聞く耳を持たない。


 起き上がろうとする俺の頭を押さえつけ、太ももに押し付けてきた。


 その感触は妹のくせしてふにっとして柔らかく、不覚にも心地よい。


「……大輔くん。

 大輔くんが、取られてしまいました」


「西澄さんファイト!」


「まだまだ勝負はこれからだわ!」


「取られたら、取り返すんだよー!」


 面白がったA組女子が、無責任にアリスを煽る。


 それを真に受けて、無表情のままアリスがこくりと頷いた。


「だ、だめですよ!

 いくらアリスさんでも、お兄ちゃんは渡しませんから!」


 アリスが迫る。


 俺たちはおかしくなった雫が正気を取り戻すまで、変なテンションで騒ぎ続けた。

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