第45話 親友と、先輩と
「……今日も雨かぁ。
最近、よく降りやがるなぁ」
自室から窓の外を眺めて呟くと、アリスがこくりと頷いた。
「梅雨入りしたばかりですから。
しばらくは雨が続くと思います」
「……だな」
6月初旬。
季節は春が過ぎ去り、そろそろ夏がやってこようかという頃合いだ。
アリスは今日も、学校帰りに我が家へと寄りにきていた。
いまは俺とふたり、俺の部屋でのんびりとしている。
「ところで大輔くん。
机に広げているそれは、なんの本ですか?」
ベッドのふちに腰掛けたアリスが、俺の勉強机を眺めて首を傾げた。
そこには広げたままの参考書が散らかっていた。
「ああ、これか。
こいつぁ高卒認定試験のテキストだ。
高認ってやつだな。
実はさっきまで、このテキストで勉強してたんだよ。
停学中で、ほかにやることもないしな」
「……そうだったのですか」
アリスがシュンとする。
梅雨の湿気のせいか、それとも落ち込んだ気分のせいか、いつもは綺麗な金色の髪もどこか艶を失って元気がないようにみえる。
「やっぱり大輔くんは……」
アリスは俯き加減のまま、小さな声で尋ねかけてきた。
「……大輔くんは、学校を辞めてしまうつもりなのでしょうか?」
「……まぁな。
そのつもりだ」
今度の件で学校側が俺に下した処分は、無期停学である。
とはいえ同時に自主退学を促されてもいるし、実際には俺が退学するまで、教師たちは停学をとく気はないのだろう。
強制退学という手段を取らなかったのは、学校側が世間に対する体面を気にしたのか、それとも俺の経歴を気遣ってくれたのか。
はたまたその両方か。
いずれにせよ俺はこう思う。
学校にはもう、俺の居場所はない。
「わたしのせいなのです。
大輔くん。
……ごめん……なさい……」
もう何度目になるだろう。
アリスはまた俺に謝りつつ、悲しげにまつ毛を伏せた。
いつもの無表情とは打って変わり、とても辛そうだ。
だから俺はまた殊更に明るい声で、何度目になるかもわからない慰めの言葉を口にする。
「……だから言ってんだろ?
アリスのせいじゃねーよ。
それより学校はどうだ?
田中のやつに、またつけ狙われてたりしないか?
俺はそれが気掛かりでな」
「それは大丈夫なのです。
あの日のことはわたしも反省して、不用意にひとりにならないように注意していますので……」
「そっか。
よかったよ」
ホッと胸を撫で下ろす。
心配事がいくらか解消して、俺は明るい顔になった。
だがアリスの表情は、まだ落ち込んだままだ。
「なぁアリス。
悪いのは本当にお前じゃねぇんだ。
悪いのは田中。
……あと、怒りを抑えきれなかった俺だ。
お前は被害者なんだから、そんなに気に病む必要なんかねぇんだぜ?」
「……でも。
それでも、大輔くんはもともと関係がなかったのに、わたしの問題に巻き込まれて……」
「はぁ⁉︎
なに言ってんだよ、関係ないわけねぇだろ。
お前の問題は、俺の問題だ。
俺が自分からそうしたくて、勝手に首を突っ込んだだけだ」
「大輔くん……」
どうにも空気が辛気臭い。
俺は会話の流れを変えることにした。
「そんなことより、なぁアリス。
ちょっと勉強みてくれよ。
このテキストなんだけど、思ったより難しくてなぁ。
まだ習ってねぇ範囲も出題されてんだよなぁ」
勉強机の椅子に座って、大仰な身振りでガシガシと頭を掻いてみせる。
するとアリスはベッドからすっと腰を浮かせた。
そのままトコトコと歩いて寄ってくる。
「…………」
「……ん?
どうした、アリス。
――って!
お、おい⁉︎」
俺の真ん前で立ち止まったアリスが、無言で頭を抱きしめてきた。
頬に柔らかな胸の膨らみが押し付けられる。
「んぎゅ……!
ア、アリス!
なんだってんだよ⁉︎」
「…………。
……じっとしてください」
「いや、んなこと言われたって。
こ、これはちょっと……!」
衣替えをしたばかりのアリスからは、ふわっと甘くて良い香りが漂ってくる。
これは柔軟剤の香りだろうか。
後頭部に回された彼女の腕を意識した。
半袖の夏服からすらりと伸びた白い腕は、梅雨らしく少し湿っていた。
「…………。
……大輔くん」
頭に回された腕の力が強まる。
「むぎゅ……!
ア、アリス!
いきなりどうしたってんだ?」
「……なんとなく。
なんとなく、こうしたくなっただけなのです。
いつもは大輔くんが、わたしのことを抱きしめてくれますよね。
でもいまは……。
いまはわたしが、大輔くんを抱きしめたくなったのです」
そう応えたきり、アリスは無言になった。
俺も観念して、彼女のなすがままに身体の力を抜いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日。
久しぶりに制服に袖を通した俺は、シトシトと小雨の降る通学路を傘を差して歩いていた。
学校はいまの時間だと2時間目だ。
登校時間をとうに過ぎた通学路は、人気がなく閑散としている。
俺は手に『退学届』と書いた白い紙を握っていた。
◇
正門に差し掛かると、校内から生徒たちの賑やかな声が聞こえてきた。
どうやら2時間目は終わったようで、いまは授業の合間の休憩時間らしい。
あまり人目にはつきたくない。
俺は正門脇の電柱に身を隠し、3時間目の授業が始まるまで時間を潰す。
ほどなくするとチャイムの音が聞こえてきて、校内はまた静寂を取り戻した。
「…………いくか」
門の前に立ち、
この風景も見納めだ。
ここにはあまり良い思い出はなかったが、それでも時宗やみなみ先輩、……それにアリスと出会わせてくれた場所ではある。
感謝の気持ちを胸に秘め、うつむきながら正門をくぐった。
すると――
「よぅ、大輔」
顔をあげると、時宗がいた。
「はぁ、はぁっ。
ま、間に合った……!
こんなに走ったの、久しぶりよぉ」
みなみ先輩もいる。
ふたりは小雨の降るなか、傘も差さずにそこに立っていた。
「……時宗。
それに先輩も……。
なにしてんだ?
もう3時間目の授業始まってんだろ」
「なにをしているとは、つれないな。
移動教室に向かう廊下で、窓からお前の姿が見えたから、こうして迎えにきた」
「はぁ、はぁ……。
あ、あたしは財前くんから連絡をもらって、慌てて駆け付けたのよ」
時宗が、俺の持つ白い紙片に目を向けた。
「……大輔。
その手に持っているものはなんだ?
見せてみろ」
「…………。
……大したもんじゃねぇよ」
「いいから。
見せてみろと言っている」
時宗がすぐそばまで寄ってきた。
珍しく乱暴な動作で俺から紙を取り上げたかと思うと、その紙片に目を落とし、わずかに眉をしかめる。
「……退学届、か」
「え⁉︎
だ、大輔くん!
ちょっと待ちなさい!」
みなみ先輩が慌てだした。
俺は努めて平坦な声でふたりに語りかける。
「まぁな。
どうやらもう、この学校に俺の居場所はないみたいだからな。
……ほら。
それを返してくれ」
時宗に向かって手を伸ばした。
「…………お前は、バカだな。
それもただのバカじゃない。
大馬鹿だ」
「はぁ?
なに言ってんだ。
いいから、それを――」
俺の言葉を遮った時宗が、眉間に指を押し当て大仰にため息をついた。
こいつのこんな態度は滅多にみない。
かと思うと次の瞬間――
「こんなものは必要ない」
時宗が躊躇なく、退学届を破り捨てた。
「あ⁉︎
お、お前!」
細切れにされた紙片が、投げ捨てられる。
「……なぁ大輔。
お前のその自分自身に対する視野の狭さは、ある意味では長所でもあるが、同時に短所でもある。
もっと周りに……。
お前を想う友人に目を向けてみろ」
「はぁ?
訳がわかんねぇよ。
それより、あーぁ……。
退学届、破いちまいやがって。
書き直しじゃねぇか」
「なに言ってるの。
書き直す必要なんてないわよ!」
みなみ先輩が大声で俺を叱責した。
思わず彼女の顔を見れば、目をつりあげて少しおかんむりのようである。
「その通りだ。
書き直す必要はない。
……なぁ大輔。
俺や先輩も、今回の件には怒ってるんだ。
きっと俺たちがどうにかしてみせる。
だから早まるな」
「そうよ!
ほんと、あの田中とか言う子。
ろくでもないわね!
大輔くんとアリスちゃんのこと滅茶苦茶に掻き回して。
絶対に報いを受けさせてやるんだら!」
「……とまぁ、そういう訳だ。
だからここは通さん。
ほら、お前は回れ右をしてさっさと家に帰れ。
停学がとけるまで、もう学校には来るなよ」
「そうよ、そうよ!
大輔くんってば、あたしを助けてくれたあのときもそうだったけど、いっつもひとりでカッコつけちゃって。
たまにはあたしたちのことも、頼りなさいよねー」
みなみ先輩が俺の背中を押して、校舎から追い出そうとする。
「お、おい……!」
思いがけない展開についていけない。
だが時宗もみなみ先輩も、頑として引く気はないようだ。
「ほら!
足を動かす!
今日はもう、家に帰りなさい!」
「……大輔。
後のことは任せておけ。
くれぐれも早まった行いはするなよ?
そんな真似をしても、誰も幸せにはなれないのだからな」
時宗が真っ直ぐに俺を見据える。
これはどうやっても通してくれないだろう。
こうしてふたりの頑なさに押し負けた俺は、すごすごと帰路についた。
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