第10話
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放課後になった時には彼らは急いで荷物をまとめていた。七時間目まであるから、その授業が終わるやいなや、机の周りに散らばったプリントやらなんやらをカバンの中に放り込んで終礼をほとんど聞かずに、二人は急ぎ足で教室を出た。そのまま彼らのある三階から四階に上がり、渡り廊下を下から真ん中に移動したのち、もう一つの渡り廊下で下に戻り、屋上に上がって、いつもの屋上の屋上に息を潜めた。やはり人間、まさか、入り口の上にいるなんて考えないだろうから、初めて来る人には、見つかるところではない。
「本当にこんなので引っかかってくれるの?」
「さあ、わかりません。あの……、黒髪清楚系遊び女……」
「はあ、本当に覚える気がないんだね?」
「ええ、だって、向こうはこっちを覚えるつもりはないでしょうから、こっちも覚える気はありませんよ」
「どうかな? もし、向かうが、君の名前を知ってたらどうするの?」
「知ってる風を装います」
「はあ……、本当、そこら辺適当だよね。彼女の名前は、宮上 代永みやがみ かな」
「宮上 代永。覚えました。まあ、今日限りで関わることはないでしょうけど」
「どうかなー?」
わざとらしい顔を彼女は彼に向けた。しかし、彼は、そんなことを気にせずに、耳を澄ましていた。彼女もそれを悟ったのだろうか? 静かになった。静かになった瞬間、風の音と蝉の音が清々しく聞こえた。この街について詳しく書くことはないが、少なくとも臨海部でもなければ山岳地帯でもない。確かに、近くに山があるが、それは、日本ならば、どこでも目につく。むしろ、山がない方が珍しいだろう。それでも、そんなに高くはない。盆地ならではの底冷えやら風が生温いやらの障害はない。そして、彼のいる町は都会とまではいかないが、田舎とも言えない。風を遮るものが少ないからか校舎の屋上は本当に気持ちいい。穏やかで平和そのものだった。彼が離れたがらない理由が、ここに通っているうちに彼女にもわかるようになっていた。ここで、彼と空を眺めるのも悪くないと思えた。むしろ、ここで、彼と二人きりで空を眺めて、彼と話してる方が自分が今、ここにいることが実感できて嬉しい気がしてならなかった。彼の隣で、彼と肩を並べて同じ景色を見る。見ている世界が違ったとしても、それでも、現実の世界における景色は彼と共有している。それは、彼女にとって幸せ以外の何ものでも無かった。
「本当にここは気持ちいいね」
「ええ、一昔前までは独り占めできたんですけどね……。でも、こうやって、誰かといるのも悪くないと思えますよ」
彼女は不意に彼のことを強く意識してしまった。顔が熱くなる。
「君は……、なんで……、そう簡単に……」
「羽澄さん、来ますよ」
彼は、耳を澄まして、足音を聞いた。廊下はやっぱり響く。
「準備は?」
「出来てないって答えたら、どうする?」
「まあ、野暮でしたね。さあ、事実を見ましょう」
彼女は待ちに待った事実? を見ることに期待に胸を躍らせた。しかし、同時に何かしらの後ろめたさが湧き出てきた。彼女はこれが終わったら、彼の方から、この関係の終わりが告げられるのかと急に怖くなった。彼女は自身でも知らないうちに彼の手を握っていた。彼もその行動に驚いてはいたが、触れないでいた。そして、彼も、しっかりと答えるように握り返していた。どちらも考えていることはわからないが、そのたどり着いた理由が二人とも違うが、それでも、互いを互いに気遣って理由を聞かないでいた。
ガチャ、という音とともに扉が開いた。少し錆びかけた扉は音を鳴らして無責任に軽やかな音を流す。
コツ、コツ、という音はこちらに気づくことなくフェンスに近づいた。彼らは後ろからその姿を見た。黒い長髪、すらっとした身長と、スカート。それだけでも、女だとわかる。その子が履いている靴は黄色。ここの学校は、靴の色でも学年がわかるようになっている。ちなみに黄色が一年、黒が二年、緑が三年だ。これは、現在の配色であるため、年度を跨げば、二年が黄色となり、三年が黒、一年が緑になる。そして、現時点では、一年が黄色であるため、フェンス前の子は一年で間違い無いだろう。
「本当だ、ここから、よく見える」
彼女には、この声で誰かがはっきりしたのだろう。彼は、あっている自信はあるが、なんせ、さっき名前を知ったばかりのため、確証を持てなかった。
「でも、いないじゃん。まさか……、帰った? いや、靴はまだあった……、だったら……」
どうやら、相手の勘は思ったより鋭いらしい。
彼らは立ち上がっていた。まだ、相手はこちらを振り向かない。振り向けない。こういうのが正しい。しかし、その行動が間違いである。
意を決して目の前の子はこちらを振り返った。ようやく顔と名前が一致した。宮上 代永。なるほど、名は体を表す、とはよく言ったものだ。清楚なのはそこあたりがルーツと見えた。
振り返ると、胸のあたりにこれまたお高そうな一眼レフのカメラがぶら下がっていた。本気度がうかがえる。
「美涼ちゃん!? わあ! 偶然! どうしたの!? どうしてこんなとこにいるの!?」
わざとらしく演技をする。まあ、妥当な質問ではある。手遅れではあるが……。
「何って? ここで涼んでただけだよ。代永こそ、どうしたの?」
「いやー、ここには、よく来るからさ……、今日もなんとなく……」
「だって、どう思う? 鈴解くん」
彼女の隣にいた彼は控えめにそして威圧的に。
「それは、おかしいですね。僕は、ここに毎日来ています。五月からは、彼女も一緒にいる。生憎ですが、ここに来る人は滅多にいませんよ。そして、たとえここにきたとしても、その目的は告白ぐらいですね」
彼は、言うことだけを言った。相手は徐々に足場をなくしていく。
「ああ? クズの分際で私の言うことが間違ってると言うの?」
「彼はクズじゃないよ。言ったよね? 彼のことを侮辱する人は誰であろうと許さないって」
「いや……、でも! 美涼ちゃんは騙されてるんだよ! その男に!」
「いいよ、その話は先に進まないから。それで? どうして、よく来るなんて嘘をついたの?」
「うぐ……」
「その一眼レフは? 代永とは中学からの付き合いだけど、そんな趣味聞いたことないよ? 確かに修学旅行の時、代永はカメラを持ってきてたけど、お父さんのだって言ってたよね? それで、そのカメラで、向かいの校舎の図書室に何の用? ああ、そっか、そうことなんだね? 鈴解くん」
また、わざとらしく演技を始める。これは、彼の予定にはないが、狂うことはない。
「ええ、その通りです。宮上さん、あなたがこの件の一連の犯人ですね? まあ、言い訳はいくらでもいいですが、少し、お話ししましょう。ここにたどり着けた理由を。この件の真実を。
この件は全て、宮上さんの計画でした。まあ、幾らか修正を挟んだのでしょう。
最初は、おそらく、中学二年から三年、どちらでも構いません。そのどちらからかストーカーが始まった。でも、最初は純粋な好意だ。でも、好意はいつしか愛情に変わる。みんなの美涼ちゃん。なんていう、人を縛り上げるように自分の目の前で完璧な偶像となそうとした。中学の時はそれでうまくいったんでしょう。というよりも、彼女自身がそのように振舞っていた。猫の皮を被っていたんでしょう。じゃなくては、こんな彼女のことを好きになる人はまずもって少ないでしょう。そりゃ、見てくれは、美人ですが、それでも、中身が……。ごめんなさい。何もないですから。振り上げた拳を下ろしてください……。ああ……、怖い。いえ! 何もございません。
う、うん! 高校に上がってもその考え方は変わらなかった。やってくる男どもを避けさせるにはその周りを固めるしかない。女で固めた城壁は男どもには重いから。そのための材料としてあの、金髪男を使うことにした。好意を寄せてることを知っていたのでしょう。例えば、男の一人がストーカーなんていう卑劣な行為をしたのがバレたらどうなるでしょう……。女の子は不思議な生き物です。互いを互いに謙遜し合うくせに、誰か一人が傷つけば見掛け倒しの壁を立てる。誰も近寄らせない。影では、いくらでも言うだろうが……。そうすれば、彼女の絶対性は保たれる。そうなるはずだった。
しかし、ある一人の男の登場で全てがご破算になった。僕だ。彼女の周りに僕が現れた。脅威にもならないと思っていた人間が最大級の脅威になった。一時期ストーカーがやんだのは作戦を練り直すため。そして思いついた。当初の計画に付け足す形で解決を図ろうとした。下地は必要なかった。あの、金髪に僕らをつけさせた。あなたは、僕らが金髪の存在に気づくことにかけた。いや、ある種の自信があったのでしのう。彼女があなたのストーカーを犯人は分からなくとも、今まで成功していたのがバレていたのですから。今回もバレる、と。バレてくれなくては困る、と。そして、その賭けに見事に勝ってくれた。僕はまんまとあなたの思惑通り、その存在に気がついた。しかし、また、問題は起こった。金髪は羽澄さんではなく、僕をつけていたこと。
これでは、噂どころではない。どうしようもできない。しかし、また、幸運に恵まれた。先に帰ったと思った羽澄さんは警察とともに帰ってきた。茂みに隠れていたあなたは、それを奇跡なんて思ったんでしょう。そして、その奇跡はさらに重なった。次は、彼女がなんと泣き出した。あなたの運の強さが怖い。あなたは、つかさず、最大限に僕が悪いように見えるような角度で撮った。いい腕だ。計画とは遠く離れたが、結果的に、僕の噂を架空の第三者を立てて広めることができた。そして、多数の味方をつけたところで、僕を完膚なきまでに捻り潰すつもりだった。しかし、最大の問題にして、最大の誤算が起こってしまった。羽澄さんが……、いや、美涼が僕のことを全力でかばった。そりゃあ、驚くでしょうね。今まで同調圧力だけで仲良しだと思っていた人が、急に自身の本音を言い出したのだから。
あなた方の偽物から離反することを決めたのだから。
あなたの誤算は修正不可能になった。だから、こんな、見え透いた罠に引っかかった」
彼女は顔を赤くして、宮上は顔を青くしていた。なんで、彼女が赤くなっていたのか分からなかった。
「わ、私が犯人なんて証拠がないじゃないの! デタラメ言わないでよ! クズの分際で」
「なんですか? 語尾に、クズの分際、と付けるのが最近のトレンドなんですか? ごめんなさいね。人と関わることが彼女以外にいませんから、トレンドなんてわからなくてクズの分際で……。使いづらくないですか?」
相手を容赦なく煽る。これ以上の目的は存在しない。
すると、宮上は顔を赤くして、泣き出した。
……顔が忙しい人だ。
「なんで……、なんでこんな奴に……。なんでこんな奴に! ずっと好きだった人がとられるの!」
彼は、頭を掻いた。まるで、日本一の名探偵のように。
「ようやく本音が出たわけだ。美涼、僕はこれ以上は邪魔になります。後……、仲直りでもしてください。お先に帰ります」
「え!?」
有無を言わさずに彼はその場を立ち去った。ナチュラルに約束を破った。
取り残された二人には気まずい空間が広がった。広がりを持った空間は二人の感覚を刺激する。先に言っておくが、彼は、この空間から逃げ出したかったわけじゃない。いや……、少しはあったのかもしれないが、この後の始末は本人たちの問題で、自分が関わるべきでないと判断した結果であった。そして、その結果は吉と出た。
「代永。私はね、彼のことが大好きなの。私はね、みんなの美涼をやめたいの。正直、代永の気持ちは受け取れない」
宮上は下唇を噛み始めた。悔しいのだろう。悲しいのだろう。
「でも、私は、みんなの私をやめたいけど、代永の友達をやめたいわけじゃないの。それはわかる?」
宮上はあっけにとられた。そう、宮上が怖がっていたのは自分が本当の赤の他人になること。接点が無くなること。友達で無くなること。嫌われること。自分が百合だという自覚は少なからずあった。でも、人を好きになる気持ちを抑えることなんてできやしない。それは、出さなくてはいけない。神が人間に与えた感情の一つなのだから。でも、問題はその出し方である。宮上はそこで間違えた。誰のために、なんのために出すのかを。姑息な手を使った。自分のものにならないのなら、みんなのものにして、誰のものにもならなければいい。宮上 代永のたどり着いた答。みんなが仲良くいられるならどうとでもなれる。たとえ相手がそれを望んでなくても同調圧力と同情だけで仲良くなれる。
「代永のやり方は私が最も嫌ってる。でも、代永はそれを承知の上でやった。昔の私なら容赦無く切り捨てたでしょうね。でも、同調やらなんやらの鬱陶しいものは消えてくれた今なら、あなたと親切にしたいの。正直あなたの思いに応えることは決してないと思う。でも、友達で居続けるのはだめ? それとも、徹底的に拒絶しなくちゃいけない?」
彼女が出した条件には謝罪も何も含まれていない。これまで通り、いや、ある種、彼女が欲しくてたまらないものを自分から自分は与えようとしている。彼女の周りに本物と呼べるものはどこにもない。彼との関係でさえ、それは、本物ではないと思っている。自分は、自分たちはズルをしている。そんな後ろめたさが彼女にはずっとあった。自分に誠実であろうとしている人たちを無視して、依頼という形をとって彼との関係を続ける。本当に誠実であるには、自分から心を預けるしかない。
宮上は真っ赤に染まった目をあげて、首を横に振った。
「美涼ちゃんと、友達でいたい……」
この言葉で全てが終わった。宮上の後ろめたさは、後悔に変わり、彼女の元へ足を踏み出すきっかけとなった。
この後のことを描写するのは二人に失礼であろうから、あの後、彼は、どうしていたかについて少し話して置かなくてはならない。露骨な伏線を張らせてもらう。
校舎の中に入った彼は、階段下にもう一つの足音があったことに気づいていた。あの時、二人いた。先に来た宮上はおそらく気づいていないもう一つの足音。消去法的に一人しかないと思ってほっといていこうとしていたが、それは無理なことらしく、男が一人、階段下で待っていた。髪が金髪ではなかった。彼には、まあ、いつものことながら、名前も、顔も、何もわからない。分かるのは、明らかに上がっている息と怒り。
ああ、今から刺されるな、と彼は感じた。目の前の男はポケットに手を突っ込んでいるが、明らかに何かを握っている。カッターナイフか、ハサミか、折り畳みナイフかそこらへんな気がする。
彼は、試しに無視をしようとした。通路の真ん中に陣取っていたが、その両脇から抜けようとした。ゆっくりと、そうっと。
男は隣を通った瞬間、ポケットからカッターナイフを取り出してからの肩めがけて切りつけてきた。
……ですよね! わかってましたよ!
「おっと、何するんですか!? 危ないじゃないですか、切れたらどうするんです?」
……まあ、切ろうとしてるんだけど。
「お前がいるから……。お前がいるから……。死んじゃえよ。死んじゃえよ」
どっかで聞いたことある声だと彼は頭を働かせた。ああ、そうだ、二ヶ月前、彼に彼女が関係を持ち出す前に振られた男。ここでまさかの登場。彼には想定外過ぎた。しかしそこまでの問題ではなかった。
「ああ、そういうこと。ちょっと、予定外ですが、まあ、誰にも襲われずに終わるなんて考えてませんからね。さて、どうします? 僕を殺しますか? まあ、少なくとも僕を殺しても、彼女は君のものにはならない。そして、僕も殺されるつもりはない。僕は彼女との約束を守らないといけないから」
彼は、ナイフを持った相手に対する対人戦闘の構えをとった。本来ならネクタイがあれば、ちゃちゃっと終わるのだが、夏服にネクタイはつけなくていいため持っていない。
「さあ、気がすむまで刺しなさいよ。刺せないと思うけど……。あ、腕の骨が折れても僕のせいにしないでね? その時は、首を折っちゃうから」
彼は、不敵な笑みを浮かべた。逆上した相手は適当にカッターナイフを振る。彼は、それを一つ一つ丁寧に避けて、相手の腕をとる。
「早く切ってくださいよー ほら! もっと! もっと! いいねえ! これこそ楽しい瞬間だよ!」
彼は、相手の力を外に流して、相手の足に軽く足を当てる。すると、躓きの要領で倒れてくれる。そして、カッターナイフの手の小指を上側にひねりカッターナイフを落とす。そして、体を回して相手の腕の関節を極める。極められた男は暴れ狂うがその分痛みはます。彼は、近くに転がったカッターナイフを拾って、メニューを開いて装備をして、そのカッターナイフを振り下ろした。
「あれ? おかしいな? 刺すつもりだったんだけどなー」
彼は、ナイフを男の右目、五センチ右を刺した。床には傷がついた。男からは何か異臭がした。
「あーあ、漏らしちゃったんですね? こりゃ、一生の汚点ですね。まあ、これで懲りたのならもう手を出すことはないですね? 悔しいのはわかる。僕を恨みたい気持ちもわかる。でも、やり方が違う。そんなやり方しかできない奴に、負けるつもりはない」
彼は、極めていた腕を解いた。解いた瞬間、男は叫びながら走って逃げた。彼のもとに残されたのは異臭と虚しさだけだった。
「ああ、今頃、上ではいい感じになってるんだろうな」
彼は、しみじみとそう思った。
彼が歩き出した廊下は夕日に照らされて、不気味さを醸し出していた。明日からまた何か面倒なことが起こりそうで仕方なかった。
「本当に、面倒だな」
彼は、感慨深く呟いた。
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