第2話

02


 彼は、状況が珍しく掴めなかった。空気のように自身の存在を完璧なまでに消していたはずなのに、簡単に看破されてしまった。おそらくは、ここに入ってきた時から気づいていたのだ。


 下から聞こえた女の声は、さっき早くに来た女の子だというのは考えるまでもなかった。彼は、久しぶりに恐怖した。自身の完璧な行動がこうも看破されるとそれは、恐怖になる。




 下から聞こえた女の声は梯子に足を打ち付ける音に変わり、下からのはずが、いつの間にか、自身と同じ高さに声があった。


「初めまして、かな? どうも、篠崎くん」


 彼は、思わず起き上がり、女の顔をまじまじと見た。色々と意外なことがありすぎて、彼は、思考が初めてフリーズした。徐々に理解し始めた時には、すでに、この場から立ち去るのは遅かった。


「羽澄 美涼……」


 彼は、記憶力にも自信があるおかげで、すぐに名前が出てきた。いや、これは、記憶は関係ない。彼の目の前にいる女は学校内でも随一の人気者である。美少女で、スタイルも良く、勉強もでき、運動もできる。さて、一体何ができないのかは、彼は、分かっているのかもしれないが、それは、どうでもいい。


「あ、私の名前覚えてくれてたんだ!」


「それは、まあ、人気者ですからね」


 彼は、自身の特徴をつかませないように振る舞った。それには、敬語が一番いい。


 すると、ムッとしだした。


「クラスメイトだってのに、なんで敬語なのよ?」


  簡単に、さっきの理由は言えない。


「いつも、こんな感じですよ」




 当たらずとも遠からず答えを与えてやる。事実、彼は、人と話すことがないから、自然と敬語になる。たとえ、それが、クラスメイトだろうとも、彼にとっては赤の他人だからだ。高校三年間をともに暮らすだけの存在。それ以上でもそれ以下でもない。関わることのない存在であり、向こうからすれば、関わりたくない存在。


「ふーん、それで、ここで何してんの?」


「なにって…、ボッーっとしてるだけですよ」


「よいしょっと」


 彼女は、彼の隣に座った。そして、のびをした。まるで風に意思があるかのように爽やかに吹き付けた。


「うぅーーん。気持ちいい! なに? ここ!? めっちゃ気持ちいいやん!」


 確か、彼女は、中学の時に関西から引っ越してきたらしい。


「そうですか、それは良かったです」


 同志を見つけた気持ちになったが、気持ちになっただけで、その先は一切湧いてこなかった。


「それで、君は、毎日ここにいるの?」


「ええ、まあ。ここが一番落ち着くところですから」


「ふーん、それって、何か、しんどい事でもあるの?」


「まあ、なくはないですけど……、あなたには関係ないですよ」


「うわ! 冷たーい! まあ、また今度教えてもらうよ」


 話すことには変わりないんですね。




 彼は、隣に座った彼女を横目で気にしているから、自分の世界にを構築すらできない。会話はお世辞にも続いているとは言えなかった。でも、確実に、途切れながらも、形はなしていた。


「実はね、私は、君が毎日ここにいるのは知っているんだ」


「は?」


 彼は、意外だった。誰も関心を持たれてないことを前提に動いているから、ここにいることも気づかれていないのだとばかり思っていた。


「だから、試しに今日来てみたの」


「告られるついでにですか?」


「それは、本来、今日の予定にはなかったんだけど……」


「予定?」


 どうも、彼には引っかかった。


「うん。今日は、君と話すと決めてたの」


 不意に彼に向けられた彼女の笑顔は彼に心臓の鼓動をいつも以上に実感させられた。


「話すって……、なんのためにですか?」


「うーん、君なら、私のことわかってくれるかな? と、思って」


「無理です」


「早! 即答!? 少しは考えてよ!」


「面倒くさいから嫌です」


「ひどい! こんな美少女が君に内面を吐露としようとしてるのに! そんな、面倒だなんて……。まあ! 話すんだけどね! どうせ君は、勝手に頭が動くんでしょ?」


 彼は、このことがどうしてバレたのかまだわからなくなった。


「私って、可愛いでしょ? だから、昔からいろんな人からアプローチ来るんだけど、正直めんどいんだよねー」


 自分で自分を可愛いと言いやがった。そして、黙った。


「え? それだけ?」


「な訳ないじゃん。バカなの?


 それでね、今日も含めて通算四十五回。私は、私の人生十六年間で四十五回も告られたの。どうして、男の子って女の子みたいに互いを牽制し合わずに当たって砕け続けるのかな?」


「僕が知ってると思いますか?」


「思うわけないよ。これは、一人で勝手に考えてるだけだよ」


 彼女は座った状態からゆっくりと立ち上がった。


「でも……、最近、誰かにつけられてる気がするの……。今はないんだけど、帰るときとか、朝とか、家の周りで、視線を感じるの……」


 彼女は静かに告白する。


「それで? 僕にどうしろと?」


「なに? 言わせたいの? Sだねー。まあ、そういうのも嫌いじゃないけど……。だから、つまり、私と付き合ってよ」




 屋上に吹く風はなにも変わってないはずなのに、何かが変わった気がした。彼女のスカートは風に吹かれたわけでもないのに揺れている。手は拳を作って、その間にブレザーが食い込んでいる。力んでいる。そして、チラチラ見る限りでは足が軽く震えていた。どうやら、嘘ではないらしい。本当に怖かったのだ。もしくは……。いや、それはない、と、頭を振った。


「……わからないな。それを、僕がやる必要があるのですか?」


「ある! 君じゃなくちゃダメなんだよ。他の男の子じゃできないことが君にはできる」


「それは、僕が常に一人だから、隠れ蓑になると言いたいのですか? 僕が一人傷ついても後の君の経歴になんら問題がないから、こんなことを頼むのですか?」


 彼女の足はまだ揺れてる。


「どうして……、どうしてそんなこと言うの? でも、そんなことを思うのも仕方ないよね……」


彼女は悲しそうな顔をしている。今にも泣きそうだ。


彼の言っていることは的を射てはいるが、前提条件として、完全に人を疑うことから入るから、彼女がどれだけ本心をさらけ出した吐露を行なっても彼は、理解に苦しむ。


でも、彼は、この時ばかり、彼は彼らしからぬことを思ってしまった。


彼女は嘘をついてない……と。それは、普通の人ならば、すぐにたどり着く答えだが、彼にとってそれは一大事である。彼は、いろんな情報彼女から受け取った。中でも彼は、彼女の目に潜む心をそこで初めて受け取った。


「……君は嘘をついてない。分かった。でも、僕は探偵じゃない。誰が犯人なのかをこっちから見つけるつもりはない。これでいいですか? 良い蓑になってあげますよ」


「うん! もちろん!」


目の端に涙を浮かべた彼女の笑顔は、青空を背景にした空模様に本当に似合っていた。その笑顔に彼は、不覚にも見惚れた。


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