雪が溶けるその日まで……

初瀬みちる

第1話 遙か向こうにある平穏

01


 彼は、行動型ではなく、思考型であることを先に示しておこう。 彼は、体よりもまず頭を動かして、効率的に動けるように常にしようと務めている。まあ、本音を言って仕舞えば、それが百パーセント効率的かと言われれば……、そうでもない。だから、言い換えよう。大抵効率的に動く。




 どうしてここまで効率的に行いたいのかと言うと、彼は疲れるのが嫌なのだ。疲れることはしたくないのだ。そのためにどうすればいいのかを考えた結果……、やっぱり頭を使うことが一番だった。下手に考えなしに行動すれば何が起こるかわからないという恐怖ゆえの行動といえる。しかし、彼のその行動はどうしようとも、彼を独りにさせるには十分すぎた。彼の性格が破綻しているわけではないし、言っていることすべてが支離滅裂なわけでもない。ただ、そう、ただ、彼は周りから一線を画して賢すぎた。勉強的な意味ではなく、キレの問題だ。頭がキレすぎる。それが直接の原因なのだろう。彼は、彼以外のものとは相入れることのない絶対的な世界を構築している。賢すぎる人間の代償。愚かな人間の性。彼が悪いのか、それとも、彼を許容できない人たちが悪いのか…、それは、決めかねるし、彼は、そのどちらとも捉えていない。彼の思考の大半には諦めという概念で占められている。だから、彼は頭を優先する。頭を動かして、答えを見つけて諦める。それも受け入れられない要因だ。だから、彼は常にこういう。




「面倒くさい」




 と。彼は、この一言で、全てを終わらせる。


 彼が放課後の生活を今、ここで話そう。




 彼は、学校の授業が終わり次第すぐに、カバンをまとめて屋上に上がる。その理由は単純だ。何もない空間で、そこからは空が最も見えているからだ。変化することが常であり、恒常性の消えた恒常的風景。彼は頭を使わなくていい。ただボーッと眺めるだけ。外から聞こえる声は部活の声だけである。時々たまに人の困った声を聞くが、彼は、自分に関係ない、という。正確には、安楽椅子探偵の如く適当な推理を行う。だから、あってるかなんて関係ない。彼は思考を止めるすべを知らない。どうしようとも、与えられた情報を頭の中で勝手に組み上げてしまう。特殊能力を持っているわけではないが、彼の情報処理能力は異常といえる。彼は一日に一回は確実に頭痛薬を飲む。それは、与えられた情報の処理に脳の大半を占めているからだ。だから、彼は、思考しなくていい場所を学校内で探して見つけた。それが屋上だった。




 もちろん、屋上が完璧というわけではないし、人もくる。彼は出入り口の上に登り、そこで昼寝をする。だから、基本的に人には気づかれない。あの日を除いて。


例えばの話をしよう。まあ、正確には、本当にあった話をしよう。


 いつも通り、放課後を一人で過ごしていた。いつもと変わらない空だった。雲の形を一つ一つ見ていっては、その独特な形に心を奪われる……事はない。彼は、無の境地に入った気分に浸っていた。それは、彼にとって至福のときでもある。でも、それを邪魔する輩が現れた。


屋上という場所は人からも死角になりやすい。だから、言い方を変えれば誰にも邪魔をされずに、誰にも知られずに何かをやり切れることも可能だ。そういう、ある意味隔絶された空間。だから、ここでまさか、聞き耳をたてているなんて、思ってもないだろう。そりゃ、告白は誰もいないところでやりたいだろうな。そして、屋上は妥当な判断だ。でも、彼がいる。屋上という死角のさらなる死角に。




 彼は、今から起こることに対して少し以上に悲観的になった。ここにくる足音は二つ。二つとも重い。同時に来たわけではないが、先に来たのは女の子の方だろう。足音が重いが軽かった。それは、感覚的重さと、肉体的重さの2つである。後から入ってきた足音はどこか心が浮いているのだろうか? 軽快な足音を鳴らしていた。彼は、先に来た方が重みを増しているのを感づいていた。彼は、だんだん歯がゆくなってきた。後から来た男は間違いなく振られる。理由はいくつかあるが、一番の理由は女の子のため息だ。その子はこれから、どうやって振ろうかを必死に考えているんだろう。極力傷つけずに、穏やかに……。どんな行動を選んでも、男は傷つくだろうし、中途半端に誤魔化せば、さらにことは大きくなる。




 だから、彼は重い気分になる。地獄だ。ここから逃げ出したい。彼は、二つの罪悪感に押しつぶされそうだった。一つは盗み聞きをしていること、一つは答えを知っていることに……。


ここから先を聞くのは、本当に辛くなった。彼もカバンから、気づかれずにスマホを取り出しては、耳にイヤホンをつけ、音楽を流し始めた。十分もかからなかったと思う。彼が自身で選曲したベスト100のプレイリストの曲が三曲程度で終わったのだから。扉が閉まるのを振動で感じた彼は、そっとイヤホンを外した。何もできない、というか、何もしなかった彼は、せめてもの償いとして、何も聞かないようにしていただけでも賞賛に値する行動だと思う。




 これで、また、彼の平穏な屋上ライフは取り戻される……、と、思っていた。


「いくら、イヤフォンをつけていても、ここにいる既成事実はできているんだよ? バレないとでも思った?」


 この声とともに、平穏は遠く消えた。


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