第22話

「さて、どこから説明するべきかなー」

 彼は独り言でうっかり呟いてしまった。

「私のことをどう伝えているのですか?」

「悪い人と伝えてますよ」

「嘘ですね。あなたは、すべてを分かってたんですね。なるほど、では、思った以上に早く済みそうで何よりです」

「さて、何のことですかね」

 彼は、台所に通した。客間があいにく彼女の寝部屋と化していたので話せるところがここしかなかった。礼節としては間違っているだろうが、そんなことを気にするような人ではない。


「えっとー、鈴解君さて、ちょっと良いかなー」

 彼の耳をつねって、玄関にまた戻った。

「あ、ちょっと、失礼します」

「ええ、お構いなく」

 ……お構いしてー……


「さて、で、どういうことかなー? 私聞いてないよ。あの人が来るって」

「ええと、まあ、そうですね。えっとですね、ある確信が僕の中にあったんですよ」

「そういう問題じゃなくてね、どうして、あの関係者の中からここにやってきたのって、話」

「全然、質問変わってないんですけど……。まあ、とにかく話を聞いて下さい」

「いいでしょう。で?」

 ……あれー、なんで怒ってるのー……

「あのですね、彼、つまり富岡さんは母の執事なんですよ」

「だから?」

「富岡さんが忠誠を誓っているのは鈴木財閥ではなく、母個人へ、なんですよ。つまり、富岡さんが僕を陥れる理由は何処にもない。彼の念頭に置いてあるのは、母の、そうですね、幸福というべきでしょう。母の幸福が優先しています。始まる前から確信はありました。だから、一切問題はなかった。再三確認したからね」

 だから、何度も確認した。そして、母の部屋に入ったときそれは確信に変わった。おそらく、彼が逃げおおせたのも富岡の指示なのだろう。誤算はいくらかあっただろうが、最も彼を理解していたのは、奇しくも富岡だった。

「なるほどね。分かった。じゃあ、戻ろう」

 ……あー、良かった……


「お待たせしました」

「いえいえ、時間はたっぷりありますから」

「そうとも言えませんがね。僕らは補習があるので早く帰りたいのですが」

 富岡は彼の目をじっと見続ける。

「まあ、まず座りましょう。話しづらいですから」

「ですね」

 彼も彼女も席に着いた。そして、重苦しい空気が急に彼らの周りを襲った。でも、彼はそれに臆せずに口を開く。

「さて、はじめましょうか。もう一度確認させて下さい。富岡さんは、あの女、母の執事で間違いないですか?」

「はい。その通りです」

「それは、鈴木家ではなく、鈴木美代の執事ですね?」

「はい」

「僕は、それを何度も確認してきました。それは、富岡さんも理解しているでしょう」

「ええ」

「では、ここに来た理由は、最後に持ってきましょう。それが最も重要ですから。まずは、僕の推測を話しましょう。それは過去の与太話からはじめましょう。よろしいですか?」

「ええ、順を追って話すのが良いでしょう」

 そう言って彼は一口お茶を含んだ。


「事のはじまりはもう、ここにいる全員が共通して理解している、という事で良いでしょうが、簡単にまとめておきましょう。僕の父と母は事実上の駆け落ちで、その間に僕が生まれました。その事実を知っていたのは当初、父の親友とその妹、そして、あなたです。この事実に気がつくのには全然時間がかかりませんでした。先ほどの確認が全てです。母もあなたを信頼している。だから、ここによこした。

 話を戻しましょう。八年前、雨の日でした。父が事故に遭います。そして、その事故を起こしたのは父の親友であり、先生の兄。つまり、父は親友にぶつけられたと言うことになります。さて、まず一つ目の疑問点はここにあります。つまりですね、どうして、父は親友にはねられたのか、です。父が事故に遭った日。僕の誕生日でした。母と先生と一緒に父と父の親友が来るのを待っていました。ですが、家にかかったのは警察からの電話でした。


 そのときのことは覚えています。母の顔が蒼白になっていくのを覚えています。そして、それが母をまともに見た最後の姿です。

 僕らはすぐに病院に駆けつけました。そのとき、父は心肺停止状態で、父の親友も重傷でした。事故原因は調査中だったが、ブレーキの故障だろうと言われた。そして、実際ブレーキの故障だった。ここで二つ目の疑問点が生まれます。事故が起こる二日前に車検に出していた、という事実です。


 そして、父の状態を聞いた後、母はある確信を抱きます。そして、すぐに電話をかけ始めました。それは、おそらく、富岡さん、あなたへでしょう。状況を知るために。そして、けじめを付けるために。母にその後こう言われました。

『ママはこれからママでいられなくなるの。スズが代わりにパパを見守っててね。ごめんね。本当にごめんね……。何があってもママは、スズのママだから。愛してる……』

 これが、母と交わした最後の言葉でした。人生で最悪な誕生日でした。


 さて、その後、父の親友は事務手続きのごとく提訴されます。そして、そのまま有罪判決を受けます。ここにも問題があります。あまりにも形式的でした。気持ちの悪いほどに。捜査も事実上の打ち切りと言える状態でした。これに関しては、先生の友人が警官であったため秘密裏に情報提供をしてもらいました。まあ、ここにも疑問はありますが、まあ、その疑問はほとんど、答えは出ています。


 さて、これが簡単な確認ですが、まあ、この確認の段階で、もはや、残された道は一つしかない、という残念な事をすぐに分かると思います。


 これらの疑問は一つ一つ潰していくことも出来ますが、あいにく、それらは推測の域を出ることはないでしょうし、それが正しかろうとも、証明することはもはや不可能ということです。いえ、厳密には犯人の、この場合は真犯人の自白から可能かもしれませんが、それはあまりにも現実的ではありません。さて、こういったことを前提とすると、これらを全て一気に解決するのには一つしかありません」

 彼は意気揚々と語る。その口が止まることはなかった、ここで、間があいた。それは、彼がその解決策を理解していながら、それを受け入れるのを拒んでいる。彼女はそれを空気から察したが、それでも、聞かずにいられなかった。


「ねえ、その解決策はここにいる全員、君のことを幸せになって欲しいと願っている人たちが幸せになれる解決なの?」

 そして、最も重い聞き方をする。それは、下手に優しさで聞くと彼はそれをはぐらかしてしまうかもしれなかったからだ。

「もし、君がそこに『すぐに』という言葉がくっつくのなら、僕はその言葉にうなずくことは出来ない。富岡さん、母の父、つまり、私から見て祖父にあたる鈴木 元三氏はあとどのくらいだとみていますか?」

「表だっては言えませんが、先は長いとは思えません。御年89ですからね。長く見積もっても10年でしょう。ただ、これはまだ確定はしていませんが、近頃体の調子が良くない、とのことです。もしかしたら、さらに速いかもしれません」

「誰?」

「鈴木 元三。現当主は母です。しかし、それはあくまで、顔としての役割であり、実権の半分以上はその元三にあります。それだけではありません。この財閥を作り上げた人間です。一体どれだけの権力者が彼の元に集まっているか……。正直想像がつきません。しかし、それも、その人生の終わりと共に全てを変えることが出来る。母が、私の元を去ったのはこの件が大きいのでしょう。そして、子供が必要だったのも唯一の継承者であるところの母以外にいなかったから、でしょう。そこで、母を連れ戻す必要があった。母の次なる継承者を作るために。しかし、完全に誤算だったのは、やはり僕の存在でしょう。父違いの弟がいる。逆に言えば第一継承権を持つものが他にいた、ということです。元三からすればそれはどちらでも良いが重要なのは血筋と存続です。しかし、これは不幸にも弟という存在は彼らにとって不都合極まりなくなってしまった。それは、彼がギフテッドであることに起因します。旧体制の中での彼らはそのような存在者に継承させたくはない。そこで、今、おそらくですが派閥が出来ているのでしょう。一つは、僕に継がせるための派閥。もう一つは血筋と血統が重要であり、どこぞの馬の骨よりかは、家柄がはっきりとしている弟につがせる、厳密に言えば、弟の父、つまり母の再婚相手に継がせるべき、という派閥。この二つが主でしょう。そして、僕との見合い、度重なるパーティ。顔見せとみるべきでしょう。母は、僕に継がせるつもりです


 そして、ここまで推測した上で、全てを解決するためには先にも言ったように一つしかありません。そして、それは、最も不愉快でありながら、しかし、最善である。つまり、僕が全てを継承する。そうですよね? 富岡さん。あなたがここに来たのは、これを提案するため」


「ええ、その通りです。あなたには美代様の地位を継いでもらいます。全てを手にしたとき、それはあなたが解放されるときになります。これは、美代様の幸せのため。あなたとあなたのお母様は目的は同じです。美代様の再婚相手であり、鈴木財閥の関係する代議士の息子、吉永由起夫。彼を追放すること。実権さえ獲得できれば、財閥を解体するも良し、改革するも良し。全てはあなたの望むがままでございます。あなたのことを思って下さる方と添い遂げるも良し。ただ、その為には茨の道を進む必要があります。それは、これまで以上に過酷な道になるでしょう。そして、それは、彼女と添い遂げるにはその道しかない。あなた様はもう、決断していらっしゃるようですが、隣にいる方はそうはいかないと思われます。こちらとしても、すぐには準備は整うことはありません。そうですね、すくなくとも、春休みまでかかると思われます。つまり、高校二年生の新学期から、あなた様には継承の準備をしてもらうことになります。それまで、時間はあります。ただ、向こうはそうはいかないでしょう。あれやこれやと手を使うと思われます。妨害も行われることでしょう。私は伝えることは伝えました。あとは、あなた様が、いえ、若人二人が決める事柄でございます」


「ちょ、ちょっと待って! どうして、そんな大事なこと、私抜きで決めるの!? 話し合う気はないの!?」

 彼女が怒るのももっともだ。彼が理解できていないわけがない。

 彼女は目に大きな涙を浮かべていたが、かろうじて、溢すのを抑えていた。

「私は伝えることは伝えたので、失礼します。半年後、お迎えに上がります。それまで、けじめを付けることを切に願います」

「ええ……」

 彼は、富岡と数言交わした後、玄関まで見送った。


「さて、何を伝えるべきな……」

 彼は、ゆっくりと彼女のいるところへ戻った。彼女は小さくうずくまって、肩を揺らしていた。

 彼は、それを後ろから抱きしめる。そして何も言わない。ただ、彼女の震えを体感する。そして、彼は自分自身を嫌いになる。冷静に考えてみればそれもそうだ。二人の年齢はまだ、16である。いくら好きだからと言っても、あまりにも重い。彼はその覚悟はあったとしても、彼女の方にあるわけがない。ただ、普通に恋愛をしたい、そう願っても仕方ない。むしろ、それは健全である。


「僕は、君のことが好きだ。でも、これ以上、君を巻き込むことはできない。僕は、今からあまりにも無責任なことを言う。僕には君の涙を受け止める資格はもうない。あの時、屋上で君を振り払うべきだった。そうすれば、誰かを大切にする気持ちも、愛する気持ちも思い出さなくてよかった。僕は君が思っているほどに強くない……」

……違う。そうじゃない。

「どうして、君はそう勝手なの? どうして、全てを一人で背負いこむの……」


 彼はこの問いかけに答えられなかった。彼にとって自分一人で背負いこむことは当たり前になり過ぎていた。一人で父の面倒を見て、一人で生きてきた。そんな彼に人を頼れ、と言うのは酷な話である。彼は、8歳にして自立を求められた。16歳にして、大人に巻き込まれた。その反面、彼女はそんなことはない。ただ普通に生きている。どこにでもいる、と言えばそれは少しばかり語弊が生じるだろうが、それでも、壮絶とかそういった言葉からは縁遠い。そんな、普通な子供に将来の選択をもう要求するのは酷な話だ。


「そうやって、何も言わない。もう、離して……」

「それはできない。ここで離したら、もう、取り返しがつかない気がするから……。もう、何も手放したくないから……。だから、出来ない」

 彼は彼女を離さなかった。

「離してよ!」

「嫌だ! もう、何も失いたくない! 失わないために、僕はやらなくちゃならないんだ!」

「どうして、離れることが解決することなのよ!」

 もはやそこには論理は介在しない。介在の余地はない。どれだけ、それが大事で、全てを解決する方法であろうとも感情はそこに考慮されていない。これは明らかに彼の落ち度だった。彼の性格は最初に語ったと思う。思考が優先され、そこから行動が生まれる。しかし彼女は、間違いなくその逆である。行動が優先され、その場で思考する。いや、思考よりも先に感情が優先する。彼にはその要素が明らかに欠けていた。感情は重要とは思っても、思考の組み立ての中に存在しない。徹底的に論理的に、徹底的に冷徹に組み立てていく。それは、彼がこれまで受けてきた仕打ちからすれば当たり前とも言える。


 だからこそ、彼はまた答えられなかった。それが最善だからである。それ以上の回答は用意できなかった。しかし、それが言葉にしてはいけないことは彼ですら分かる。


「何も答えない……。もう、いい……。帰る……」

 彼女は彼の手を振り払った。そして、席を立ち、立ち去った。彼はこれ以上止めることは出来なかった。彼にはどうすれば良いか分からなかった。彼はその場で崩れ、彼女は荷物をまとめて一人家路についた。そして、彼も時間をかけて立ち上がり、荷物をまとめて、同じく家路についた。もう、日が落ちかけていた。電車に乗ったときはまだ太陽がなんとか顔を出していたが、いつもの町に帰ったときには辺りは暗くなっていた。彼は、空を見上げて、前に見た空を探した。でも、何処にもなかった。


 夏休み中、二人は一言も交わすことはなかった。補習で顔を合わせることはあっても話すことはなく、屋上にも現れなかった。そのまま、新学期が始まった。彼は彼女との約束を果たすことが出来なかった。

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