第20話 終わることのない悪夢
玄関先で倒れた彼はそこから三日三晩高熱にうなされた。何度も頭痛と吐き気で目を覚ましては、苦しみのあまり気を失う。彼女は彼の憔悴しきった姿に何度も目をそらしてしまいそうになった。それでも彼女は彼にそばに居続けた。一時は高すぎる体温のあまり自らをも殺そうとしてしまっていた。二日目の夜のことだった。しかし、彼を病院に連れて行くわけにはいかなかった。幸いだったのは、先生がそれなりに医学知識を持ち合わせていたことだった。そしてどういうわけか、家の中には医薬品が多くあった。
四日目になれば熱が徐々に引いていき、意識が戻りはじめた。彼がまともに話せるようになるまでにさらに二日を要した。その間も彼女はそばにいたため、まともな睡眠をとっていない。何度も先生は彼女に休むよう勧めたが、彼女はそれをすべて断った。
六日目の朝、彼は目を覚ました。夢うつつの中での目覚めではなく、彼ははっきりと覚醒した。
……ああ、だめだ、全然思い出せない。……
彼はまず最初に何が起こっているかを把握しようとしたが、記憶があまりにも混沌としていた。最後の記憶は持ちの中で夜空を見たとき、それだけだった。
そして、彼は自分が寝ている場所を見渡す。小さな寝息が聞こえた。彼が寝ているベッドに倒れ込むように寝ていた。彼はすぐに理解した。ずっと、自分を看病していてくれていた、と。
「君のおかげだよ。本当にありがとう」
彼は、彼女の頭を撫でる。
「起きた……」
彼女は驚きのあまり目を見張った。そして、その目には涙が溜まっていくのが分かった。
「もう、遅いよ……。私、私、君が死んじゃうんじゃないかって……」
「はは、僕は死にませんよ。君の元に帰るって、約束したじゃないですか」
「うん、だけど、だけど!」
彼女は言い終える前に彼に抱きつく。
「僕、汗臭いよ」
彼女は何も答えない。彼の頬から温かい何かが流れる。彼も緊張の糸が切れた。すると、自然と涙が出た。
彼は幼いことに涙を流すことをやめた。涙を流していても何にもならなかったからだ。でも、彼は彼女と一緒いることで人間を取り戻した。
「ああ、生きてる。ありがとう」
彼は彼女を強く抱きしめた。
彼女のぬくもりを彼は感じた。そこから心臓の鼓動をしる。
彼は、彼女との余韻を楽しみたかったが、すぐに視線を感じた。
「ねえ、何? 私への当てつけ? 良いご身分ですねー。ここ、一応私の実家なんだけどなー。不純異性交遊をするなら、実力行使をするよー」
「はは、嫌だなー。先生に彼氏がいないからって、人を妬むのは小さいですよー」
「あ?」
……怖……
「まあ、それはそうと、美涼さん、僕、シャワーをさすがに浴びたいのだけれど……」
「いや、このままが良い」
「それは勘弁して欲しいなー。君の前ではきれいでいたいんだけど……。ほら、もう大丈夫だから。先生も見ているし、お腹もすいたし。あと、もう何処にも行かないから」
「本当? 約束する?」
……きついな。約束ってこんなに重かったんだ……
「絶対とは言えない。でも、君との約束は死んでも守る」
「死ぬなんて絶対許さない……」
「うん、分かってる。ほら、さ、お風呂に行かして」
彼女はゆっくりと彼から離れる。彼は彼女の顔を見る。彼女の目には隈が浮かんでいた。
せっかく離れたのに、彼は再び彼女を抱きしめた。
「本当にありがとう。本当に……、君のおかげでここにいられる。さ、少し寝ようか。もう、大丈夫だから」
彼は、彼女を自分が寝ていたベッドに寝かせて、シャワーを浴びにいった。
体中から汚れが落ちていくのを感じた。寝ている間、彼女か先生が体を拭いてくれていたのだろう、ということはすぐに分かった。湯船につかり、思考を元通りに整える。自分だけの世界を演出し、次に何が起こるかを予測する。そして、彼は一つの確信を得ることになった。
シャワーから上がると先生は気を利かせてご飯が用意されていた。久々に食べるまともな食事だった。
用意されたのは和食。一つ一つが骨の奥に染みこむ。味噌汁の味噌が彼の胃袋に活力を与え、出汁は力を与える。
「先生、料理できたんですね」
彼は率直な感想を述べた。
「何? 喧嘩売ってるの? 私だってね、花嫁修業はしてるのさ!」
「相手がいないのに?」
……あ、やらかした……
「君が教え子で、そして、兄の親友の息子でなければ一発殴ってたけど、今は、我慢してあげる」
「あ、病み上がりは考慮されてないんですね」
「あと、一つだけ教えてあげる。君は頭は切れるけど、とことん朴念仁だね」
「どういうことです?」
「ほとんど、美涼ちゃんが作ったんだよ」
彼からしたら驚きだったに違いない。それは、料理が出来たことではなく、あれだけ、しんどい中、料理を作っていてくれていたことである。看病をつきっきりでしてくれていただけでなく。彼は彼女に、あまりにも多くの点で救われた。それは返しきれない恩である。彼にはもう分からなかった。彼女をどうすれば幸せに出来るのか。ここまでの事をしてもらえて、そして、どうして自分にそれを行ってくれるのか。
しかし、彼の念頭にあるのは、まず、この目の前の問題をどう解決するかだった。そして、その算段はついているが、時が今ではない。時が来るまで待たなければならない。真に倒さなくてはならないのは、彼の母ではない。彼にはその確信があった。だからこそ、彼は、ある人がここに来るのを待つ必要があった。
だから、ある人がここに来ることは意外でもなかったし、必然でしかなかった。
彼が目覚めて二日経った日、その男をやってきた。それは、彼を連れ戻すためではなく、すべてを解決するための算段を付けるためだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます