第24話 変わる日常、歪む日常

 屋上に行くのも夏休みが明ければもう少し楽になると思っていた。しかし、あいもかわらず、暖まりまくった湿った空気が出入り口で屯している。それを解き放つと、新鮮な熱い空気が流れ込んでくる。一瞬涼しさを感じることが出来るがすぐに暑さが襲ってくる。いつもは、ひなたで暖まっていたが、さすがに暑すぎた。だから、日陰に移って、うたた寝をしていた。


 今日も誰も来なかった。昼休みも、放課後も。誰も来なかった。


 彼は待っていた。彼女がまたウキウキな気分で階段を上って、話しかけてくれることを。でも、誰も来なかった。


 ……君はまた一人だね。

「……」

 ……知ってる? 僕は君なんだよ。君と僕は話さなくりゃならない。

「……」

 ……黙っていたらわからないなー。じゃあ、質問して良いかな? 答えなくても良いけど、僕は君だから、自問自答になるかな。君は後悔してるの? つまり、美涼と付き合って、誰かを好きになったことを。

「うるさい」

 ……ああ、真っ黒。後悔の塊だね。知ってるよ。なんだって、僕は君だ。知ってる? まあ、知っているに決まってるけど、思考っているのは、私の中の自己との対話なんだよ。かの有名なプラトンがそう定義した。つまり、これは僕と君との対話。思考なんだよ。対話であるなら、問答しなくちゃならない。

「……」

 ……ほら、またそうやって黙る。僕は君が答えるまで聞き続けるよ。

「……」

 ……どうして、毎日性懲りもなくここに来るのかな?

「……」

 ……待っている人がいるからでしょ? 昨日もおとといも、そして、明日も明後日も君はここに来る。美涼が来てくれることを願って。いや、違うね。より正確に言うなら、君を見つけてくれる人が来てくれるのを待っているんでしょ。

「……」

 

 ……思い返してみようか。八歳の時、僕は一人で生きていくことを余儀なくされ、そう決意した。でも、小さな小さな子供だった僕はそれでも、誰かが助けてくれることを、見つけてくれることを願った。願うことしか出来なかった。だから、待ち続けた。そして、そのまま高校生になった。母さんは迎えに来なかった。父さんはまだ寝続けている。君はたった一人。何も出来ず、何もしない。でも、高校生の春、君を変える出来事がおこる。君自身を大きく変えてしまう。誰も見ていないとしんじてやまない君の元に、君を見ていたという女の子がふらっと現れる。仮とは言え、それが本物になるまでの間、その子と付き合って、今度は本当に付き合って、何度も何度も胸の奥にしまい込もうとしていた大きな大きな思いが、あふれてくるのを君は見つけてしまった。でも、君はまたそれに蓋をする。溢れ出してしまわないように。怒りと同じように。でも、そんなことは無理だってすぐに気がついてしまった。でも、それに気がつかないように。


 ……公園で、あの日、あの夕暮れの中、自分のために泣いてくれた女の子を前に、自分の気持ちが自分でも怖くなるくらいに大きくなっていることに気がついてしまった。クラスで嫌がらせが起こっていたとき、それをかばって、怒ってくれた女の子に感謝と好き、という気持ちが大きくなっていることに気がついてしまった。ものぐさな君が、自分の意志で動いたのは、そんな女の子のため。君はね、理由が欲しかったんだよ。自分が幸せになってもいい理由が。今のままだと、君は独りだ。孤独、孤立、孤絶。君は孤絶だ。でも、孤独でもある。もし、君が思考し続ける限り、それは孤独だ。君は待っているんでしょ? 孤独を呼び覚ましてくれる、そんな子を。


「そんな事は分かってる……。でも、どうしろって言うんだ? 僕の中で日に日に美涼への思いは大きくなる。でも、そんな幸せは目の前の幸せで、もっと奥にある幸せのために犠牲にしなくちゃならない。どうしてだ、どうして僕なんだ! 僕はどうして幸せを願っちゃいけないんだ!」


 ……願うことはもうやめないか? なあ、僕。もう、自分で歩かないか? ようやく歩けたのに、もう、諦めるのか? 死にかけながら、彼女の元に戻ったのはどうしてだ? 諦めたくなかったからだろ? それは願いでもなければ、奇跡でもない。ただ、僕が僕自身のために歩いたんだろ? もういいだろ、人のために生きるのは。僕は、僕自身のために生きようぜ。それを彼女は望んでる。分かってるんだろ? 僕らは思考することをやめない。思考し続ける。だからこそ、先の展開を理解できる。読むことが出来る。何が最善かを知る事が出来る。僕達の人生、まだまだ続く中で、怒りの中で生きるのはもったいないぜ。


「ああ、分かってる。分かってるさ。でもよ、手放したくないから……。今の幸せを、これからの幸せを……」


 ……だからこそ、立ち向かうんだろ? 例え何年かかっても、彼女の元に帰る。約束したじゃないか。何があっても帰る、って。僕らはそれを反故にしてはいけない。


 彼は、いつの間にか声に出していた。そして、涙を流していた。

 ……僕にはまだ残っている。さあ、どうする?


 彼は、立ち上がった。彼女のいるところへ向かいたい。彼女と話したい。ただ、その思いだけがあった。


 それと同時に、屋上の扉外開いた。

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雪が溶けるその日まで…… 初瀬みちる @Shokun

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