第4話

それからというもの、彼と彼女の関係は少し変わった。今までは登下校を共にするくらいだったが、休み時間や、昼休みは然り、だいたいを共に過ごすことになっていた。こんなわけのわからない関係になってから、実に二ヶ月が過ぎようとしていた。彼らの関係が公のものになると一時、ストーカーは退散したらしい。それもそうだろう。得体の知れない、文字通りの訳のわからないやつが彼女のそばにいるのだから。しかし、人間面白いことに、二ヶ月も経てば、元の場所に戻るのだろうか? 彼もはっきりと知覚できるレベルでのストーキングが始まった。




「ほんと、君の嫌われようはすごいね」


「何ですか急に? 喧嘩を売ってるんですか?」


 敬語は抜けないが、少しは、冗談を冗談で返すだけの余裕が彼に生まれ始めていた。


「売ってあげようか?」


「まあ、買わないですけどね」


「買わないでどうするのよ?」


「もちろん逃げます。逃げまくります」


「意外とチキン?」


「だって、殴られるのも、口論になるのも嫌じゃないですか」


「確かに」




 彼は、たわいもない話の最中でも、後ろに響く足音を聞きもらすほど愚かではなかった。彼らの高校は、靴がローファーであるため、地面を歩く時、人によっては、地面と擦れて、独特とまではいかないが、ローファー特有の音がする。それを聞いていた。軽い音、そして、怒りがこもってる。昨日と一昨日と同じ音。三日連続で同じなのはそれも怪しいのだが、偶然ということもある。ということで、彼はわざと時間を毎日ずらした。屋上で適当に時間を伸ばせばいいからそれは、なんの苦でもなかった。


「今日も来てます」


 彼は、歩きながら、なんの不自然さもなく、さり気なさ過ぎるくらいに彼女の耳元で囁いた。


「な!」


 彼女は顔を真っ赤にして彼から少し距離を離した。




「何かしました? いや、後ろに今日も来てますから、その知らせをと……」


「だ……だったら、そんな近くなくていいでしょ!」


「なんで怒るんですか? ていうか、痛いですよ」


 彼女は鞄で彼の肩を叩く。


「なんか重くないですか? どんだけ入ってるんですか?」


「え? 漫画と小説だけだけど?」


「だけだけど、じゃないですよ、勉強道具は?」


「無いよ」


「いや、そんなドヤ顔をしましても……。無い?」


「だって、要らないじゃん。頭の中に入ってるし、まず、聞かなくても答えれるでしょ?」


 初めて、彼は、唖然した。


「嘘」


「へ?」


「嘘に決まってるじゃん。もう、本当、純粋過ぎるんだから」


 彼女は腹を抱えて笑ってる。




「教科書は全部教室。でも、漫画と小説は本当だよ。ほら」


 鞄を開けて彼に渡す。


 彼は、恐る恐る中をのぞいた。


「そんな、変なものは入ってないよ。官能とか、BLとかは、ダメなんだよねー」


「いや、それは聞きたくなかったです」


「あれ? いける口?」


「無理です。てか、受け付けたく無いです」


 そう言いながら、中を見る。うん、名前出せないのばっかりだ。著作権侵害とかで訴えられたく無いから作品名の一つも出せない。某有名VR小説とかラブコメとかSFとか多岐に渡っていた。漫画も似たようなものだ。


「乱読家なんですね」


「まあね、文字だったらなんだっていいから」


「まあ、内容の何割かは読んだことはありますし、気のせいか、乙女系が多い気がします……」


「まあ、私、乙女だから。可愛いから。ついでに美人だから、スタイルいいから」


「最後の方は関係ないですよね!? なんか、見てるこっちが恥ずかしくなる気がします」


 ムッとしてこっちを覗き込む。


「じゃあ、もっと恥ずかしくなることしたあげようか?」


 そうして、顔を思いっきり近づけてくる。彼は、不意に顔を背けてしまった。顔を真っ赤にして。


七月も半ばに近づくと蝉の鳴き声もだんだんうるさくなってくる。先月には夏服に移行したが、男どものお目当は彼女の夏服で、これまた連日大騒ぎになった。彼はと言えば、まあ察しがつくと思うが、いつも通り校舎屋上のさらに出入り口の上に登って暇を持て余している。とは言え、最近は一人ではなく、彼女もそこにいる。だから、放課後もそこで話して今に至る。




「さて、どうしたものか……」


 彼は、独り言のようにつぶやく。


「独り言の時は敬語を使わないんだね?」


「独り言の時に敬語を使う人を見たいですか?」


「話している時に敬語を使う人は見たくない」


「……」


「あ、黙った。当てつけのように言ったのバレた?」


「それが当てつけでなかったら、本当に悪女ですよ」


 てへっ、とポーズを取られる。最近彼は、彼女の些細な可愛いポーズにいちいちドキッとし始めている。でも、頭の中で呪文のように、


『どうせ、この関係は全てが終わったら終わる』


 と、唱え続けてる。それはいつしかある種の彼の呪いにも似た何かになり始めていた。何かにつけて彼は、この言葉を唱えては自分を戒める。


「本当にどうしようか?」


「ええ、この手の相手は直接言っても無意味でしょうし……。でも、言わない限り何もなりませんし……」


「でも、前までのと、最近のと、何か違うんだよね」


「どういう事ですか?」


「前までのはもっとこう、なんていうのかな? 本当に好意と憧れなんかに似た感覚だったんだけど、今のはなんていうんだろ……、敵意を感じる」




 彼は、少し頭を使った。流石の彼でもローファーの擦る音の大きさと重さから相手の体格がわかるほど卓越しているわけではない。


「敵意……。好意の裏返しか……、いや、違うか。純粋なる敵意……、いや、やっぱり好意……。好意の裏返しの敵意なら……、目的は? 羽澄さん……、僕……、どっちだ……。仮に羽澄さんだとして……、そのメリットは……。仮に僕だとして……、そのメリットは……。ああ、前提条件……。最初の方を仮に……。試してみる価値はありそうだな」


 彼は、唇を自分の指で軽くなぞるように擦りながらブツブツ呟く。彼が本気で頭を使った時の仕草だ。まあ、もっとも、頭を本気の本気で使う時は顎髭を抜きながらだが……。仮にも彼女が出来たから、生真面目な彼は毎日ちゃんと剃り、日々の身だしなみを少しは気にかけるようになった。


「今から、少し賭けをします」


「じゃあ、一口1000円からね」


「いや、マジなギャンブルはしません。まあ、別に賭けてもいいですけど……。今、少しだけ考えたのですが、相手の目的を知らずして行動は打てません。まずは、その目的を探ります」


「私じゃなくて?」


「わかりません。それを判断するためにも今から、少し相手を試します」


「なるほど」


 どこか、彼女はウキウキしている。




「目の前にある公園のトイレに僕は入ります。あなたは、先に帰ってください。もし、あなたについていくようであれば、僕はその後ろに行きます。その逆の場合は何も心配せずに帰ってください。もし、まだつけられてるなら、連絡ください。また、連絡します」


「なんか、楽しそう。わかった。信じてるから」


「じゃあ、先に帰っててください。僕は、ちょっとトイレに行きますから」


 彼は、後ろにも聞こえるように声を少し大きくした。


 相手は選ばざる得ない。目的を達するか、それとも諦めるか。しかし、ここまで来て諦めるような玉ならはなからしないだろう。


 彼は、手を洗いながら、耳を澄ました。どうやら、この周りにいる。しかも一人だけじゃない。


「つまり、目的は僕か……」


 彼は、もう一度耳を澄まして人数を確認した。トイレに入って、個室で気張っていたあと、およそ十分。実際はただ座って、連絡を待っていた。しかし、来なかった。だから、耳を澄まして人数を計った。


 四……いや、五。


 少なくとも五人はいる。


「いつからここは拳でてっぺんを取りに行くような漫画さながらの展開になったんだろうか?」


 彼は、トイレの鏡を見て不適に微笑んだ。


 彼は、何食わぬ顔で外に出て、家路についた。つきたかった。


「うーん、物騒だなー」


 彼は、後ろを振り向いた。


 公園としては珍しく、木々が多いから、周りから少し目が隠れる。確かに、よく出来すぎた喧嘩の場所。よく出来すぎてる。




「五人。呼吸の音が聞こえます。つけてるのなら理由を教えてもらえませんか?」


 彼は、声を出した。背中では、夕陽が影を伸ばさせ、カラスが鳴いている。


 木々からぞろぞろと人が出てきた。


「まるで忍者だな。まあ、見習いの見習いのそのまた見習いの見習い。みたいな下手さですけど……」


 五人の目はまるでこれから戦場へ行くような顔をしていた。覚悟の目だった。女性一人のためにここまで行えるのは男の業ではあるが、この場合は賞賛に値する。


「なあ、お前さんよ。調子乗ってんじゃねぇよ。なあ、痛い目見たいか?」


 真ん中に立っている金髪のイカした男がポケットに手を突っ込んだまま、顎を上げて、見下すように声を発した。




「痛いのは嫌ですね。あと、調子に乗るなんて、そんな面倒なことはしませんよ。時間の無駄ですし、まあ、あなた方のような卑怯で卑屈で、クズで、無意味な行動しか取れないような連中の相手をしているくらいなら、調子に乗った方がいい気がしますね。さあ、時間の無駄です。どうせ、タコ殴りにすれば、僕の方から身を引くなんて陳腐で、くだらない考えを持っているでしょ?」


 真ん中の男は唇を噛んでいた。そりゃそうだ。彼は、わざと相手に血が登らせるように挑発した。低俗な煽りをした。


 それに耐えかねたのは真ん中の男ではなく、その周りの男たちだった。


「死ねよ!」


 彼は、トイレから出る前にこの後の行動を立てておいた。


 まず、周りの四人が殴ろかかってくるのはわかっていた。それを躱すか、拳を流して足を引っ掛ける。そのどちらかをなすつもりだった。


「こら。お前ら! 何やってる!」


 大人の叫び声が後ろから聞こえた。




「やべ! さつだ! 逃げろ!」


 クズ五人は走って逃げた。


「篠崎くん! 大丈夫!?」


「なんで……」


 制服を着た警官は彼女に連れられてこちらに来た。


「君、大丈夫かい?」


 制服警官は彼に向けて軽い笑顔を向けた。


「本当、こういう輩がいるから、危ないと思ったら逃げないと」


「追わなくていいのですか?」


「ああ、ああいうのは君を殴ることよりも先に逃げることを優先するだろうから、今から行っても補導はできないよ。それに彼らは良く我々のお世話になっているから。今度補導したときにでも聞いてみるよ」


 制服警官の腹は少し出ていた。彼は、これ以上は何も言わなかった。


「君は、この子に感謝するんだよ。この子が交番に来て、君のことを聞いたんだ。なんとか間に合ってよかったよ。これからも私たちを頼りなさいよ」


「ええ、ありがとうございます」


 彼は一切思っていないことをゆっくりと言ってのけた。


 それをきいた制服警官は安心して、背中を向けて帰っていった。


 彼は、夕日をバックに立っている彼女の方に目をやった。彼女はつくづく太陽と青空が似合うが、夕陽に染められた赤色の空との相性もいい。まるで、空の申し子のようだ。


 でも、彼女の顔は怒っていた。明らかに怒っていた



「ねえ、どうして、そんな危険な真似をしたの?」


「いや……、危険ていうか、なんといいますか……、でも、あなたはどうして帰ってくれなかったんですか?」


「質問してるのはこっちや。早よ答えて」


 口調に特徴がではじめた。初めて聞く言葉に対応が遅れた。




「目的がわかったんですけど、どうやら、僕をボッコボコにして、僕の方から、あなたの方に近づけさせないつもりだったんでしょう。だから、一つ言い訳をすると、僕の方から行ったわけでは……」


「嘘や! 君は、多分、君のことやから、最初からわかってたんやろ!? あそこで、ここの公園を選んだ時におかしいと思ったんや! だから、呼んできたのに……、君は、危険じゃないって? ふざけんなよ! 少しは私の気持ちにもなってや! 君に先に帰っていわはった時、君のいうことを聞いたけど、私は、すごく不安やったんよ? 明日学校に行ったら、包帯があちこちに巻いてはったら……、怪我してはったら……、そんなこと思ったら気が気やなくて……。なあ、お願い。君は傷つくことに慣れてるのだろうけど、私は慣れてへんの。もう、君は一人じゃないんやで? だから、もっと、自分のことを大切にしてえな! もっと、人を大切にしててな! なんで! なんでそんなこともできひんの!? 君なら簡単やろ!? いろんなことわかるんやから、人の一人や二人くらい分かるやろ!?」




 彼女は泣きながら、切実に訴える。多分、昔の彼ならその行動が何をもたらすかを考えてから行動していただろう。でも、彼は、そこまで思考が回らなかった。いや、回っていたに違いない。どんなときだって彼は頭を働かしてきた。これだって変わらない。頭を回して、そして、ある意味間違えた答えを言った。


「本当に、あなたって人は、僕を困らせる人ですね」


 頭を胸に抱え込ませて優しく抱いてやる。


 これは、本当に仮の交際なのだろうか? 彼はそんな疑念にかられた。でも、彼は、目の前で泣いている女の子を放っては置けなかった。


 優しく彼女の頭をなでて、彼女の耳元で謝り続ける。何度も、ごめんを、何度も、ありがとうを、何度も何度も。


「さあ、帰りましょう。もう日が暮れる。今日のことは謝ります。これから、あなたを、自身を大切にします。約束します」


 彼は、今、考えなしに声に出していた。


 太陽はもう家々の後ろに行き、水平線から消えようとしていた。そして、空には星がまばらに見えはじめていた。


 彼は、彼女が胸で泣いてるのを見ながら、ふと、空を見上げてこんなことを思った。


『この人とあの屋上でこの空を見たら、どんな気持ちになれるのだろうか……。




 きっと、美しいに違いない』


 


 と。


 この時、彼の何かが動き出した。

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