第3話
03
人の噂も七十五日とは言うものの、これは、噂ではなく、純粋な事実であり、否定しようにも、堂々とした彼女の姿に疑いを持つことはできないし、一部では、彼がなにかしらの弱みを握ってる、とかの噂は流れなくもなかったが、彼女の安心しきった、誰にも見せたことがない笑顔を見て、弱みを握られている人間はこんな顔はできないことを悟ったか、そんな噂は七十五日を待つまでもなく消えた。
基本的に彼と彼女との行動は家に帰る時に一緒に帰るくらいで学校の中でもそんなにイチャイチャすることはなかった。それは、まあ、当たり前といえば当たり前だ。そもそも、これは、彼女のストーカーを見つけるためのものであり、イチャつく理由なんてどこにもない。もちろん、これは、彼から見た考えなんだが……。
「今日も一緒に帰ろ!」
それでも、彼女は快活に人目も憚らずに彼のもとに駆け寄っては満面の笑みで聞いてくる。彼は、それを見て、聴きながら、辺りを見回す。妬み、嫉み、怨恨、怒り、喜び、悲しみ、和み……、いろんな感情が、空気が彼と彼女がいる教室に渦巻いている。その中でも、無に徹しようとしてる空気を探す。面に感情が出るだけ健全だ。ストーカーなんていう卑劣極まりない行為を行えるものは、露骨な感情を出さない(多分)。それらしき人は見つけたが、あってるかわからない。もしかしたら、前提条件から間違えてるのかもしれない。でも、彼は、一応記憶にとどめた。まあ、勝手に記憶に残るんだけど。
彼女はというと演技とはいえども、ヤラセとは言えども、少なくとも、今までの中ではかなり充実している日々を送っている実感があった。友達とうわべだけの関係を続けながら、影でどんなことを言われてるかもわからない恐怖と共に生きるよりも、こうやって身を固めてしまうとかえって気が楽になった。彼女の目的がそういうことにないのは分かりきったことだが、少なくとも計算に入っていたのだろう。男に好かれるというだけで、同性から畏敬の眼差しで見られるのはたまったものじゃない。しかし、変に彼氏を作ればそれも無くなる。確かに、彼女の睨んだ通り無くなった。犠牲と書いて生贄と読むような形で、彼は、少なくとも記憶の表面上では彼氏認定された。それがなにを意味するか。彼は、その代償に気づかないほど馬鹿ではない。しかし、それよりも先に、何か重要な含みがあるような気がしてならなかったのだ。だから、彼は、こうもありえない行動を取ってしまった。乗せられた。
彼は、不思議と、後悔はしていなかった。葛藤しなかったわけではないが、後から考えれば、この依頼を受けない方が後悔したと言える。
「ええ、構いませんよ」
彼は、敬語のまま答える。その敬語に少しばかり不快感を示していたが、最近はそれにも寛容になり、諦めに近い何かになってはいた。
彼女は軽くガッツポーズを取りながら、
「やった」
と、小さく口にする。それでも、周りには見えるし、それを見逃すわけがない。
さて、この姿を見て、鈍感な人間ならともかくとして、本当に依頼関係に見えるだろうか? どう見ても、彼女が彼にベタ惚れのようにしか見えない。これが、演技か、それとも本心かは定かではないが…、彼には、1つだけ疑問があった。この関係がいつまで続くかだ。明らかに不思議な関係といっても過言ではない。互いに好き合ってるわけでもないのに(彼から見れば)付き合って、それっぽい関係を見せてはいるが、この落とし前はどうつけるのだろうか? という疑問である。今のままだと、ちょっとやそっとの理由じゃ、彼が殴られるのは目に見えてる。何か大きな理由がなくては、別れられない。正当化もできやしない。三ヶ月目の停滞時期を理由にするのには、明らかに不自然にも思える。彼女の方からフる事もありえなくもないが、というよりも、関係的にはそれがいいのかもしれない。彼女からフればそれは、周りからしたら至極まっとうであり、彼が彼女をフれば周りからは、何様のつもりだ、と、罵られることは必須である。
昼休みは彼はいつも通り屋上にいる。彼の教室から少し遠いが、すぐに行ける。しょっちゅう行くから見られたのだろう。だから、ここにいるのがわかったのだ、と、彼は、後から自分なりに彼女に見つかった理由を付けてやった。
「はあ、面倒くさいなー」
何気なく彼は口に出した。
「なにが面倒なの?」
梯子から顔をひょっこりと出して彼女は突然訪ねた。彼もその来訪を珍しく気づかなかった。足音を聞き漏らした。だからだと思った。彼は、驚いて飛び起きた。
「なっ!」
言葉が出なかった。
「あ、いや……今の状況がっていうことではなくて……」
「ではなくて?」
彼女は梯子を登りきって座ってる彼を上から問い詰める。
「口癖?」
「聞かれても知らないわよ」
さいですか。
「まあ、口癖です」
「そ、それなら、仕方ないか。もし、私との関係が面倒なんて言ったら、どうしようかと思った」
彼は、背筋が凍った。彼女の不敵な笑みにだ。彼は、相手の感情がいかなるものなのか分かりもしなかった。あえて言うなら……、怒りだろうか。どうしてそんな感情が出てくるか彼には分からなかった。
「それで、何かわかったの?」
「いいや、何も。皆目見当が全くつきません」
彼は、空気のことは言わなかった。確信がないのもあるし、言っても理解されないと思ったからだ。
「そ、君は、なんでも見えるんだね」
どうして、そうなる?
「なんでそうなるんですか?」
「いや、特に理由はないよ。でも、君は本当に面白いね」
「僕は、何もしてませんよ?」
「そうだけど、それでもだよ」
やっぱり、彼には理解できなかった。ここに来て、人と関わりを持たないことへの仇がでた。彼は、所詮、人の感情を目から、肌から、空気からしか感じ取れない。言葉の上に乗った重みなど理解ができない。言葉は言葉としてでしか理解していない。だから、婉曲や比喩なんかはその裏側に興味を持たない。彼にとって比喩とは回りくどい言い方でしかない。もし、読み解くのが必要な時は、それは、国語の問題文において『〜の箇所はどう言うことか説明せよ』くらいだろう。だからか、彼には友達が遠慮の塊だとしか思っていなかった。面倒なものとしか思ってなかった。
「それで、何の用ですか?」
「ひっどいなー。これでも、一応私は君の彼女なんですけど?」
「……」
「あ、その膨れた顔。納得いってないね? いいよ、いいよ、私は、君にとって面倒な種でしかないからね!」
「……いえ、面倒ではないです。でも、こんなショボくれた男といるよりも、ほら、もっとイカした人とか、友達とつるめばいいじゃないですか?」
「友達……、友達ね……。ああ、友達……」
流石の彼でも、何かまずった気がして仕方なかった。
「私には、友達はいないよ。ついでに親友も。私は、君と同じだよ。だから、君がいつもどこにいるかわかったもん」
「でも、いつもなんかよくわからないグループとあるじゃないですか……」
「あんなの社交辞令みたいなものだよ。いや、それよりももっとひどい何か。同調圧力と服従縦社会の縮図といっても過言じゃないよ。私は、いつだって、そうよ、いつだって、あそこから、逃げ出したいの。でも、逃げ出したら、周りからは、『生意気だ。図に乗り上がって、いい気になんな』とか、色々と言われるから、それが怖いから……、私はね、虐められたくないの。唯一穏やかに過ごすには、自分が彼らに、彼女たちに同調するしかない。でも、君を見ちゃうと妬けちゃうよ。君はいつだって一人でそつなくこなすもん。私が欲しくて、欲しくてたまらないものを君は当たり前のように持ってる。うんうん、君のは当たり前じゃない。今、この中では、君は異端者。中世なら魔女狩りをされる側。でも、君はのびのびとしている。確かに、諸々の苦悩はあるだろうけど、君は一人でいることがまるで正義のように振る舞える。君を選んだのは……、違うね、君でなくてはならなかったのは、私を、私の心を助けてくれると思ったからなの」
彼女は泣いていた。彼は、もどかしさを感じた。そして、また、さっきの理由づけは間違えていることに気づいた。見られたからでも、考えたからでもない。彼女と彼は同類なのだ。似た者同士なのだ。ならば、逃げる場所は数が絞られる。その上で彼女は彼を見つけた。いや、引き寄せられた。まるで、然るべき場所に吸い寄せられるように。運命のように。
「これは、運命なのかな?」
この言葉の真意は彼でなくてもわからないだろう。でも、彼は、彼らしい答えを、いや、珍しく、煩わしいと思っていた答え方をした。
「ある人は、『人の目の前で起こる偶然は沢山ある。でも、その中でも、自分の人生が変わってしまうような偶然を運命と呼ぶ』って……。僕は、君に何かをしたわけではありません。でも、君を救えるのなら、それは、僕の、僕がこれからやることへの一つの救いな気がするよ」
「ぶふ……、何? それ? 君は、正義の味方にでもなるつもり?」
彼女は泣いていた目をこすって、おしとやかに笑った。目はまだ赤い。でも、穏やかだ。
「そんなのにはなりませんよ。なりたくもないですよ。ただ、人を救いたいだけですよ」
予鈴が鳴り響く。その予鈴は話の区切りをつけるのには計ったかのようなタイミングだった。
「さ、戻りましょう」
「ええ」
彼女は梯子を降りる。彼も、彼女が梯子を降り終わってから降りた。
彼女が扉に手をかけた時、彼女は、半分開けた扉を全部開けずに、彼の方を振り向いて、これまた笑顔で、
「私、誰とも別れたことないから」
と…。
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