第12話

012




 公園には彼女の方が先についていた。私服だった。ブランコと私服と彼女、なんとも似合っていた。この二ヶ月、仮の関係だからかデートなるものをしたことがない。まあ、見方を変えれば、彼女の方は誘うのではなく、誘われたいのであって、したくなかったわけではない。むしろ、したい筈だ。しかし、同時に、彼は、いまだにこの関係を仮のものと認識しているため、彼にとってデートはやらなくても良いものだった。




「なんか、新鮮ですね。お互いに私服なのは」


 彼は、見舞いとバイトだけのつもりだったのでジーパンにパーカーというどこかの大学生のような服だった。少し、その姿を見せるのが恥ずかしく思えた。


「ジーパンにパーカーって……、大学生じゃん」


「わるう、ござんしたね」


 どこ弁かもわからない言葉を言ってみた。




「珍しいね、君の方から、会おう、なんていうなんて」


「ええ、自分でも意外がってます。まあ、ちょっとした用事でここら辺まで来ていたので……、ちょうどその時に電話がきましたから」


「ああ、なるほど。通りで早いわけだ」


 彼は、見透かした目をする。




 ……違う、私服に着替えたあと、ここにいた。そして、電話をかけたんだ。でも、どうして?


「少し歩きませんか?」


 ……これじゃ、まるで、デートの誘いじゃないか。


「うん」


 彼女は漕いでいたブランコから飛び上がり、華麗に着地を決めた。




「さ、行こ!」


 彼女は後ろで手を組んで彼の前を歩きだした。


「それで……、どこに行くの?」


「決めてなかったんですね……」


 まあ、僕もなんですけど……、と、付け足した。




 トボトボと歩く仲間が増えた感じがした。彼は、心の中で某有名RPGの仲間になった時の音が聞こえてきた。


 ただ、歩いた。途方も無い笑い話をひたすらしていた。彼は、何故か、癒された気がした。彼は、この関係がいつのまにか心地の良いものになっていたことに気づいてはいた。それには、何度も触れた。ならば、彼は、他の人たちと同じように闘わなくてはならない。同じ土俵にならなくてはならない。だから、彼は、人生において初めて決意した。




「羽澄さん……」


 彼女は顔を向けない。


「あのー、羽澄さん?」


 わざとらしくプイッとする。


「ええと……、羽澄様?」


 ギロっと睨まれた。


 ……怒ってる。これ、怒ってるよね? なんで? あ……、あー、じゃあ、試しに……、


「美涼さん? 怒ってます?」


「うーん、まだダメ」


「……美涼」


「うん、よし! で、何?」


 ……調子が狂うな。


「この関係……、やめませんか?」


 彼は、静かに、そして、重く語りかけた。人が少なくなり始めた街中を歩いていた二人の足が止まった。彼の後ろに彼女がいる。でも、彼は振り返らなかった。




「え……」


 彼女は理解できなかった。彼女だけの時間が止まったように感じた。そして、涙が出始めた。


「うん……、そうだよね。そうだよね……。もう、この関係を続ける意味もないよね……。分かってる……。分かってるよ……。そういう約束だもんね……」


 涙が止まらなかった。


 ……止まることはないと思う。そう、これは、当たり前なんだ。これが終わるのは至極当然なんだ。私が、止めれた義理じゃない……。




 彼女はここから逃げたかった。でも、何も出来なかった。彼は、目の前で佇んでいた。そして、戸惑っていた。


「美涼……、僕は、あなたが好きです」


 彼女は、また、分からなくなった。だから、反応が遅かった。


「え……。え……、ど、どういうこと……?」


「……そのままですよ。僕は、あなたに惚れた。そして、その気持ちを伝えた。僕はね、嫌なんですよ。不義なのは……、みんな頑張って、あなたに告白しているのに、自分だけよく分からない関係で、自分の気持ちに気付いたら、僕はズルしてるのだと……。だから…


……僕は、この関係を一回精算したい。そして、僕は、あなたが好きだ。だから、僕と、付き合ってくれませんか?」


 彼女の涙は悲しさから、嬉しさに変わっていた。




「うん……。もちろん……、勿論だよ。私は……! 私は、鈴解くんが好き……、初めて見た時から……、鈴解くんが好き……。大好きなの……。この気持ち……。もう、止まるわけ無いよ……」


 彼女はぐちゃぐちゃになった顔のまま、彼の胸に飛び込んだ。いくら、街中に人が減ってきたと言ってもゼロというわけではない。人目がないわけじゃない。でも、気にしてもいない。




 彼は、彼女の頭を撫でてやった。


「ちょっと、場所を移しましょう」


 彼は、優しく、エスコートした。


 この状態で家にお持ち帰りをするわけにいかず、どこかで時間を潰すしかない。喫茶店を探したが、見つけられなかった。ファミレスにこの空気を持ち込むわけにはいかないし、ゆっくりと話すところが見当たらなかった。唯一の救いは今は夏であって冬ではないため、外で話しても風邪の心配はいらない。


「はあ、結局戻ってきてしまった……」




 彼は、自分の町の知らなさ度合いの程を知った。同じ公園に帰ってきてしまっていた。着いた頃には泣き止んでいた。それでも、目は真っ赤になっていた。


 ……もっと歩かなくては……、でも、面倒くさいなー……


「君の知らなさはなんか、すごいね。今時の高校生ならお洒落な喫茶店の一つや二つは知ってるものだよ?」


「何ですか? 皮肉ですか? 僕はどうせ今時の高校生じゃないですよ」


「知ってる。その上で聞いてみた」


「趣味の悪いことを……」


 ……まあ、傷つきはしないけど。




「それで…、説明はしてもらえるんですか? あの、回りくどい関係をとった理由を……」


 彼は、その答えにもう気付いている。その上であえて聞いた。自分で答えるのはいじらしく、何か歯がゆい気がしたからだ。だから、自分でも分かっている答えをあえて自身の口から語らせた。


「本当、意地悪……、気付いてるくせに……」


「ええ、まあ……。でも、僕が答えるのは違う気がしたので……」


「ふーん、分かった。特別大サービス。私から答えたあげる。


 確かに、あの時話したことは本当だよ……。君を隠れ蓑にして、周りから自分を切り離したかった……。半分本当で半分嘘。自分のためなのは本当なんだけど、君を選んだのは隠れ蓑にしたかったからじゃない。偽の関係を持ち出せば、君は優しいから引き受けてくれる。多分、友達という存在なら君は遠慮なく切り捨てる。でも、例え仮でも、君は、自分にとって身近な人になったらそれを第一に考える。だって、君は私と同じだもん。私は君と同じ。唯一違うのは、君は周りにどう思われてもいいけど、私は、どうしても八方美人を貫いちゃう。




 いや、中途半端に終わったのか……。中途半端にやって、先に壊れた……。そう、これは、君への憧れなんだ、きっとそうだ。君に一目惚れしたのは本当だよ。でも、その後、どうにかして君に近づきたいから、君のことを知ろうとした。あの日に……、私が君とのあの関係を持ち出した日にあそこを指定したのは私なの……。理由が思い当たらなかった……。屋上に行く人が少ないことくらいわかるからね。でも、何かの用のついでなら……。君に会いに行くついでに振りに行った。そして、あの梯子を上ったら、君は律儀にイヤホンを付けて、聞かないようにしてた。そういうところ、変に義理堅いからビックリしたよ……。でも、そんなところも含めて君だからなんだけど……。




 多分、君にまっすぐに向き合っても、君は、それを上手に、私を傷つけずにかわしていくのだと思う。でも、そんな事はさせない。私は、一度決意したら、どうやってでもやり遂げるもん。君は、渋々乗ってくれた。君との関係は本当に楽しかった。やっぱり、私は君しかいないと思えた。つまり、この関係は君をおとすための布石。君は見事なまでにかかってくれた。でも、これくらいしなくちゃ、君は私に見向きもしない。ほら、現に君は私を怖がっていたんでしょ? 私の好きという気持ちのたとえほんの欠片でも届いてくれたら……、そんな淡い期待で君に会った。


 鈴解くん。篠崎 鈴解くん。私は、君が好き。君が私のことを好きになってくれたように、私は、君が好き」




 彼の目に、彼女がどう写っていたか、それを話すのは失礼に値するだろう。だから、どうこう話すつもりはないが、彼は、もう、たまらなく、彼女の方が好きでたまらなかった。このまま、自分がどうにかなってしまうのではないかと思ってしまうほどに……。


「それなのに……、君は、本当にヘタレだね」


「え? ……こんな、いい話してるのに、急にどうしたんです?」


「ほら、それ! ずっと敬語じゃん! 私なんて、どんなに君のことが好きでも、頑張って、篠崎くん、なんていう他人行儀な言い方を最初はしてよ、ようやく下の名前で呼ぶようになっても、その度に宣言が必要だし、君なんて、なんか、雰囲気的に呼んだ方がいいかなー、なんていう読みを入れてから私のこと下の名前で呼ぶじゃん!」




「いや、それは、僕の癖っていうか、そう、性格みたいなもんですよ」


「じゃあ、私の名前呼んで」


「……」


「呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼んで」


「怖い、怖い。分かりました、呼びますから……」


 彼は、自分でも気がつかないくらい顔が赤くなっていた。彼女も真っ赤だ。誰か、この現場を見たら、熱中症でもなってんじゃないのかと邪推してしまいそうだ。




「美涼……さん」


「あ?」


 ……そんな、ヤンキーみたいに凄まなくても……


「美涼」


「うん、よし。今日から、というか、今から、私のことをずっと美涼って呼んでね? 分かった? あと、敬語も禁止!」


「まあ、頑張ります……、あー、頑張る」


 ……難しいな……


 彼女の目は赤くなっていた。明日、何かしらの追求が来そうな気がしなくもないが、今の彼らはそんなものは超えていけそうな気がしてならなかった。


 彼は、思い出したかのように、もう一つのお願いをした。


「美涼、来週には夏休みですけど……、夏休みだから、その間に、二人でどこかに行きませんか? ……行かない?」




 彼女の目が明らかに輝いていたのが分かった。明らかに喜んでる。面白いのが、敬語になった瞬間、顔はムッとして、なんとか、その話し方を抜けると首を縦に振ってウンウンと喉を鳴らしながら頷く。分かりやすい。


「喜んで! 海だろうが川だろうがプールだろうが教会だろうが墓場だろうが」


「重いよ。最後の二つ重いよ」


「え? 想い?」


「確かに同じ音だけど……。いや、愛が重いよ……」


 ……そして、水辺しかない。


「だって、もう遠慮しなくていいんだよ!? あれやそれやこれやそのがもう、我慢しなくていいなんて、最高やんか!」


「関西弁出てきてますよー」


「むっ!」


「声に出さない」


「それで? どこ? どこ? やっぱり、海? 海だよね! 海しかないよね!?」


 ……海一択になった。




「了解。海に行こう。日時は……、まあ、あとで決めたらいいか」


「その前に、水着を買いに行こう!」


「え? 僕も?」


「もちろん。あ、当日まで楽しみにしたい派?」


「……ノーコメントで」


「じゃあ、決まり! 来週の土曜日、私と水着を買いに行く。OK?」


「は、はい」


 ……押し切られた……


 彼女は可愛くガッツポーズを決める。




「それじゃあ、もう帰ろうか。遅いし」


「だね」


 彼女は後ろに手を組んで、頭の上に音符でも付いてそうな勢いで楽しそうに帰っていった。彼女は帰る瞬間、彼の方を向いて、


「あ! そうだ、ねえねえ、ちょっとこっちにきてよ」


 彼は言われるがままに歩み寄る。彼女との間がちょうど、人一人分まで近寄った。


「もっと」


 彼はもう、なすがまま、ある意味の諦めもあった。


「はい、これで近づいた」




 彼と彼女の身長の差はおよそ十センチくらい、まあ、細かく言えば、彼が、百七十五、彼女が百六十五、くらいだ。彼女の方が少しだけ一般よりも大きいのかもしれない。しかし、彼女はその見た目とスタイルの良さが、その身長とのマッチング率が高い。おまけに、胸もある。ああ、これは余計か。




 彼女は瞬く間に彼との残った距離を詰めて、背伸びをした。彼だって、バカじゃない。こうなることが予想できたかと言えば、そうではないが、似た何かが起こるのは考えていた。


 甘かった。柔らかかった。不思議な感触がした。彼は実感できた。これが人に愛されること、人に求められること。それを実感できた瞬間だった。


「はい、これで、もう、私のもの」


 小悪魔っぽい笑みをこぼした。ぽ、というよろ小悪魔だ。




「もう、二ヶ月だもん。そろそろ、ていうか、今日から、もっと前に進まないとね。じゃあ、明日学校でね!」


 彼女は走って公園を出た。残された彼は口の中に残った後悔と嬉しさと後ろめたさと甘さが交互に押し寄せていた。


 彼の後ろめたさの一つは消えはした。でも、すぐに彼には不安になった。彼女は自分のことを知らない。いつの日か、家族のことも話さなくてはならない。でも、彼女だけは巻き込みたくはなかった。この、どうでもいいような痴話喧嘩に……。




 彼女はというと、あの後、顔を真っ赤にして走って家に帰った。彼女は嬉しくて一人涙が出てきた。


 ……やっと本当の関係になれた。独り占めされる。彼のものになれる。あんなに好きで好きで仕方のない人と……、でも、不安だな。また、何か起こりそうで……。




 そんな不安を彼女は抱えていた。事実、問題は一つだけ片付いただけで、他の問題は一切片付いていない。それがまた何か大きなものになりそうで、そんな予感がしてならなかった。


 静けさに包まれた街は次なる波乱を孕んでいるようにも感じた。色々な人の思惑が絡み合った気持ちの悪い夜は、今日もまた当たり前のように進んでいく。明けない夜はない。でも、暮れない昼もない。さて、今は昼なのか夜なのか、彼らにはそれすらも分からなかった。ただ、わかるのは、彼らはお互いをもっと信じ合わなくてはならないのだと、そして、互いに手を取り合わなくてはならないことだけが確実なものだった。




 そして、彼女は、スマホを取り出した。そして、思い出した。


「あ……、一つ言い忘れてた……。さ、今から打ってやれ!」


『ところで、鈴解くん。私と一緒に帰ろう、っていう約束破ったよね? はい! ということで、罰ね!』


 彼からの返信は、文面からもわかるレベルで怖がっていた。


 彼女はそれを見て、一人、クスクスと笑った。偶然にも彼はそれを送ったとき、クスクスと笑っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る