第16話

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 朝、幾らか荷物をまとめた。今日から、軽く一週間は見とかなくてはならない。地獄の一週間だ。もう、彼女の声を聞きたくなった彼がそこにいた。しかし、前を向かなくてはならない。自分へのご褒美として、彼女の声を聞こう、と、考えた。彼女のために耐える、そう考えると、なんとかできそうな気にもなれた。




 八時に玄関に出ると、もう、高級外車が止まっていた。


「おはようございます、鈴解様。お母様がお待ちです。どうぞ」


 彼は、何も答えずに促されるまま、後部座席に乗り込んだ。


 無駄に消臭剤の匂いが充満していた。大抵はここでタバコを吸っている人がいるのだと瞬時に理解した。それは、灰皿の底に燃えかすがあるからであるし、なによりも、消臭剤が雄弁に物語っている。そして、シートに染み付いた匂いは取れない。タバコを吸う人は、彼の母の現夫しかいない。




 ……当てつけか。それとも、元々、僕専用の車だったのか。


 彼は、発進している車の中でシートベルトを締めた状態で探りを入れた。


 ……やっぱり、元々は僕専用の車だ。シートとシートの間に僕が集めていたシールがある。よかった、隠せてた……


 安堵と、センチメンタルの間に揺れる彼は、ここに来ることが間違いということが改めてわかった。




 車の中は、無言が制圧していた。富岡はこちらをバックミラーでチラチラと確認する程度でひたすらに田園を走っていた。


 彼は、窓の外に逃げ場を求めたが、広がる田園にそのことが無理だと悟った。彼の街を車が軽快に出てからかれこれ二時間が経った。コンビニ一つろくに見つからない。陸の孤島に連れていかれている気分になった。実家に帰るだけなのに、憂鬱で、憂鬱で仕方ない。できることなら、今すぐにでも彼女の豊満な胸のなかに飛び込みたい、なんていう、願望だか、欲望だかを抱いていた。彼女を心ゆくまで味わいたい。この苦しい想い。




 彼は、昨日の猫耳メイドとか、スク水とかの彼女の姿を思い出してはニヤニヤと笑ってしまっていた。そして、自分で、きもい、と思ってしまった。


 彼の実家は山一つを開墾したところにある。大きすぎる屋敷。一族全てを中に入れてもなお部屋が余る。そこまで大きな家を作る意味はどこにもないだろうが、権力の誇示はいつの時代も土地で行うものだ。彼らもやはり、企業家であるため、会社に近いところに大抵いる。しかし、おそらくは、彼のために一族総出で戻ってきてるのだろう。形式的にも会社相続の第一継承権を持っている。取り入ろうとする人でごった返しているはずだ。




 実家に近づくと、車の量が増え始めた。案の定だったので驚きもしない。


 ……権力に縛られた哀れな人たちの行列。こんな世界に居たくないな。


しかし、ここは逃げ出せないな。ギリギリスマホは通じるから、俯瞰カメラで見ても、近くて一時間のところに小さな町がある程度だ。彼にとっては、それは好都合だった。そのことはまた後で話そう。




 彼は、スマホをいじる手を止めた。どうしようとも逃げ出せない。一時間あてもなく街まで歩くのは危険が多すぎる。よく見つけたものだ。こんなにも監禁にうってつけの場所はない。


「着きました。お疲れ様です」


 富岡はゆっくりと車から降りて後部座席の扉を開けた。彼は促されるままに車の外に出た。草の匂いが鼻についた。




「それではこちらへ」


 屋敷の正門に止められた車から、屋敷に向けて歩き始めた。庭とも言い難い庭が二百メートル近くあった。屋敷が遠い。


「先に変な気が起こる前に申し上げておきます。あなたが今歩いている道にはありませんが、周りには圧力センサーがあります。足を踏み入れた瞬間、警備室に連絡が行くようになっています」


「それを伝えるというのは、私が逃げ出したくなるようなことが起こるんですか?」


「それは、答えかねます」


「なら、質問を変えます。私の記憶では、八年前、ここにいた時は、そんな物騒なものはありませんでした。わざわざ、つけたのは、何かあったんですか?」


「いいえ。屋敷自体が一つの金庫並みのセキュリティを誇っています」


「誰の指示で?」


「もちろん当主様です」


 ……やっぱり……




「先にそれを言うのは、脅迫ですか?」


「受け取り方次第でございます」


 ……クソが……


 屋敷の玄関にたどり着くと、女が待っていた。


「おかえりなさい」


 それは、血縁上、母、と呼ぶべき人間だった。数人のSPに守られた女は派手なドレスで迎えていた。




「わざわざ、ご当主自らお出迎えとは恐れ入ります」


 彼は、徹底的なまでに他人行儀を貫くしかないと考えた。これは復讐だ。稚拙な復讐だ。勝てる見込みは一切ない、無駄な抵抗。


「そんなに他人行儀にしなくても……」


「いえいえ、美代様と僕の間には血縁関係はあっても、美代様には親権はございません。そして、法的には親子でないのに、なぜ私は、美代様を母と呼ばなくてはならないのでしょうか?」


 周りにいる者は眉ひとつ挟めない。




「そう……、さあ、中に入りましょう」


 女は少し悲しそうな顔をして屋敷に入っていった。彼もそのあとについて、中に入っていったが、先に自室に案内された。八年前まで毎日歩いていた通路をセンチメンタルとともに歩いた。昔なら、隣に父がいた。




 扉は内開きだった。記憶通りである。それは、ある意味救いでもある。何故なら、棒か何かでつっかえることができるからだ。


「あなた様の部屋です。ものは減らしましたが、あなた様が八年前に使っていた部屋です」


 数ある部屋の中でも、まさか、昔使っていた部屋に案内されるとは思っても見なかった。いや、考えてしかるべきだ。自室は四階建ての屋敷の四階にある。だいたい十五畳くらいの部屋だ。地元の大学生のアパートよりも大きい。




 彼は、部屋の中で辺りを見回した。角に監視カメラが設置してあった。完全に監禁するつもりだ。死角がないように設置された監視カメラは彼の生活を完全にのぞいている。


 彼は、部屋の中央に設置されたベッドの上に荷物を置いた。カーテンは半開きの状態であったために、カーテンを開けに窓に近づいた。空気の入れ替えを兼ねて窓を開けたが、途中で詰まった。彼は、窓枠に沿って手を入れた。詰まりが仕掛けてあった。丁寧に上下。窓の外はなんとか鉄格子ではなかったが、やはり高い。飛び降りると足の骨の二、三本は持っていかれそうだ。


 彼は、少し考えた。




 ……庭には圧力センサー。部屋には監視カメラ。おまけにここから近場の街までは徒歩で一時間。窓枠にある詰まりはマイナスドライバーが必要。それは、ナイフで代用できるかもしれない。フォークでもいい。できなかった時は考えよう。スマホは使える。音が聞こえづらいな。多分、この部屋だけが防音化されてる。外からの音は聞こえない。同時に中からの音は聞こえない。あの監視カメラに集音マイクがあればそれは筒抜けだが、一見した感じなさそうだ。暗視スコープはどうなのだろうか。もっと、カメラについて学べばよかった。




「鈴解様。準備ができました。それでは、こちらへおいでください」


 富岡は彼を連れて次は衣装室らしきところに連れられた。


「これを、お着になってください」


 スーツが置いてあった。おそらく、サイズもしっかり合っているだろう。どこからとってきたのかわからない。


 彼は、ここでの抵抗は無意味と考え、それを態度に出しながら、スーツに袖を通した。辺りを見渡しても、大したものはなかった。




「それでは、こちらに」


 彼は、富岡の後についていき、女の執務室についた。そこで、富岡はノックをして中に入った。


「美代様。鈴解様をお連れいたしました」


「ご苦労様。あなたは下がっていいわ」


「はい」


 富岡は従順な人だ。忠誠を女に誓っている。だから、そこに私情は介入されない。忠誠を持っているから、味方になることはなく、敵に回したくない。


 広い部屋だった。真ん中に女のデスクがあって、そこに座っている。周りには数人のSPと女の夫と子供がいた。子供は無邪気にきゃっ、きゃっしている。確か、今年で八歳になるはずだが、幼すぎる。




 ……噂で聞いていたが、どうやら、本当のようだ。


「やあ、鈴解くん。久しぶりだね」


 女の夫、豊樹はなんの悪びれもせず、当たり前のように挨拶してきた。


「ええ、お久しぶりです。豊樹様。およそ四年ぶりですね」


 彼は、笑みを向けた。目は笑っていない。それにより、不気味さが一層増した。




「そして、静也様もお久しぶりです。大きくなられて……」


 通じるはずもない言葉を子供に対して言い放った。これは、皮肉だ。


「それで? 美代様は、私に何の用です?」


「これ、鈴解くんの肉親だよ? そんな言い方はないんじゃないのか?」


「肉親? 家族を平然で裏切るような人間が肉親とは……。不名誉極まりないですね? ああ、クズの貴様にはわからないか……。どうも申し訳ございません」


 彼は、夫から放たれた言葉に対して遠慮なく言い返した。




「誰が貴様だと!?」


「ああ、申し訳ございません。学のない貴様には、貴様、という言葉が、本来は尊敬の意だということを知らないようで……。これは、これは、思慮が足りなくてすみません」


 たしかに、貴様、という言葉は元々は尊敬の意があるが、それは、あくまで昔であり、今では、相手に対して、下と思った時にしか使わない。しかし、驕りを抱いている人間に対しては、自身の無知を知らしめるのには、半分の真実と半分の嘘がもってこいだ。その結果もあってか、夫は悔しそうな顔をしていた。




 ……単純な人間だから、すぐに潰れてくれる。あれは、権力と金に従順だ。まだ、まだ潰せる。


「この……ガキが!」


「おお、怖い、怖い。いい大人が高校生の胸ぐらを掴んで殴ります?」


 夫の立場は悪くなる一方だった。その空気を察せずに無邪気に子供は遊ぶ。


「あなた! わきまえて」


「く!」


 ……ああ、その、屈辱に歪んだ顔。いい顔だ。




 彼は勝ち誇った笑みを向けた。


「鈴解も、やりすぎです」


 彼は悪態をやめなかった。


「それで? 何の用です? 庭の圧力センサー。僕の部屋の監視カメラ。普通じゃない。今度はどんな脅しで僕の首を縦に振らせるつもりで?」


 皮肉を込めに込めて相手を揺さぶる。


「今日、これから、あなたにはパーティに参加してもらいます」


「パーティ? いったい、なんのですか?」


「私の誕生会です」


「ああ、そうなんですか。それなら、一人で祝えば? あと、あなたの誕生日には興味ありません」


「親の誕生日を忘れたのですか?」




「父の誕生日なら、毎年、病室で祝っています。まあ、二人だけの静かなものですけど……。それでも、私は、父といられて楽しいですよ。あなたは、不倫相手と楽しそうで何よりです。ああ、そうか、あなたの誕生日は、政治資金パーティでもあり、社交という名の、政治パーティの場ですからね。さぞかし、策略と謀略が張り巡らされているのでしょう。おお、恐ろし。気持ちの悪い」


 彼は意気揚々と語る。楽しそうに語る。女はそれをただ聞いていた。その通りでもあるから、言い返せないのだ。それでも、話を進めるしかないと判断した女は、軽く咳払いをして、




「……それでは、話を進めます。あなたには、その場で、この家の次期当主として挨拶回りをしてもらいます。そして、明日の昼から数日にかけてお見合いもしてもらいます」


 彼の予測が当たっていた。誕生会であることは予測はすぐについた。お見合いは無理だったが……。


「拒否権は?」


「ここにきた時点であなたは参加せざる得ません」


「よく言いますね。人を脅しておいて」


「それは、富岡の独断です」


「ほう、トカゲの尻尾の役は、あの人ですか。いっちゃどうです? あなたが、私に向かって脅迫すればいい。私は、それを拒めない」


「実の息子を脅迫する親がどこにいますか?」


「はは、実の息子の前に不貞の夫を向けてくる親がどこにいますか?」


 彼は、女と同等の仕返しをする。




「豊樹さん。出ていてください。ここからは親子の話です」


 夫は、気難しい顔をした。


「一応、戸籍上は、君の連れの子になっているのだけどなー」


「出ててください」


 夫は、手を横に広げて、仕方なく外に出て行こうとする。だから、彼は、最後のトドメのように、言い放った。


「お子さん、よくなればいいですね」


 と、彼が入ってきた扉から出て行く夫に対して、目をくれずに言ってのけた。




「鈴解! あなたは! 言い過ぎですよ!」


「おやおや、これくらいは当たり前では? やめてほしいなー。おんなじことをしてるだけですよ。どうです? どんな気持ちですか!? ははは、楽しいなー!」


 狂った人間を装う。それは、女の罪悪感に追い打ちをかける結果を与える。彼は、女に狂わされたのだから。




「それで!? その役目は、僕ではなく、あなた方の愛おしくて、愛おしくてたまらない、あの、子供に任せればいいじゃないですか! あの子供を人前につれて、次期当主です、と。ああ、それは言えないか! なんて言ったって、人前に出せるような子じゃないもんな! ははは。ああ、でも、あの子、確か、空間認識能力と数理的能力にあまりにも長けていますよね! いい能力だ! 経理面ではあまりにも優秀ですね! いやー羨ましい限りですよ。僕にはそんな能力hないのだから!」




「鈴解! 言っていいことと、ダメなことぐらいわかるでしょ!?」


「美代様、やっていいことと、やってはいけないことぐらい分かりますよね?」


 この場は、彼が制圧した。


「まだ、僕は、やらなくてはならないのですか? 正式に相続権利を放棄してもいい。この件を拉致監禁だと騒ぎ立ててもいい。美代様。こんなくだらない世界とは関わるつもりはありません」


「誰のおかげで今も生きてると思ってるの?」


「誰のおかげで、惨めな思いをし続けてると思いますか?」


 質問を質問で返す。どうしたって、女に勝ち目はない。


「これ以上は無意味ですね。分かりました。どうせここからは逃げ出せない。いいでしょう。乗ってあげますよ。くだらない世界に」


「やっぱり親権をとるべきでした」


「僕は、それを拒否しますがね。例え、法が許さなくとも。あなたの下で、惨めな思いをするくらいなら、死をもすら選びましょう」




 彼は、積もる話もなく、そのまま、会釈することも何かを口にすることもなく部屋を出た。


 部屋の外には富岡が待機していた。


「それでは、十八時より開始でございます。まずは、昼食をお召し上がりください」


 彼は、あまり、気が進まなかった。


 日本有数の大企業である、清水財閥は、戦前はそこまで大きくはなかったが、戦後の動乱で着々と大きくなっていき、今では、多国籍企業として、海外でもその事業を幅広く展開している。もちろん、戦後の動乱、というが、その実態は、脅迫と殺人によって裏市場を牛耳り、薬物と食料を売ってもうけた。高度経済成長期になると、裏家業から手を引き、その財で新たなビジネスを展開した。女の祖父から始まったビジネスは、新しい分野に手を出しながら、着々と政界に手を染めていった。そして、三代目のあの女で、その権力は最高潮になった。




 そんな企業のトップの息子とのいざこざの中で、問題のある息子に対して出される昼食がまともなのかどうかが、怪しい。


 考えすぎなのかもしれないが、彼は、昼食の中に、自白剤やら、なんやら、の違法薬物が入っているのでは、と、気が気でなかった。いや、事実を言えば、心配ではあったが、たとえ、あったとしても、大した問題ではなかった。もし、そうなれば、全てを公表するからだ。巨大企業相手に大立ち回りを演じる覚悟はここにくる前からある。




 普通の昼食だった。使われている食材がどれだけ高級かは、彼の舌では分からなかったが、庶民になってから八年という月日は彼から、高級という感覚を忘れるには、十分な期間だった。


 十八時になるのは早かった。昼食をとってから、五時間近くを自室で過ごした。自室には、テレビにシャワールーム、トイレも完備されており、唯一の破壊である監視カメラを除けば、理想物件である。


 出入り口は一つしかない。彼は、これをラッキーだと思った。つまり、工作をするべきところは、二ヶ所でいい、ということだ。




 一つは、扉。一つは、窓。監視カメラは、扉さへ塞げば、中には入らない。つまり、バレてもいい。そのあとで撒けばいいからだ。部屋自体に何か特殊な仕掛けがあるかを探したが、おそらく無いだろう。


そうこうしているうちに、富岡が迎えに来た。


「それでは、会場に向かいます。付いてきてください」




 彼は、きなれないスーツで会場に向かった。屋敷の中にある大広間に向かった。およそ二百人は入る広間だ。広間の中には、立派なシャンデリアが三個ついていて、どれも、およそ一千万はくだらないらしい。


 会場内は早速権力の匂いがした。ずらりと並んだ机の上に、ずらりと並んだ食べ物。しかし、それを手に取る人は少ない。ある種の飾りである。ほとんどの人はシャンパンを片手に、政治、事業、株、儲け話に花を咲かしていた。幾人かは彼をすぐに見つけた。すると、周りから、


「次期当主だ!」




 などとヤジが飛んだ。そのままどよめきが起こる。「結構イケメンだぞ」「素敵―」「美代様に似てやり手なんだろうな」


 彼は、居心地が悪かった。仮面を被った大人たちの気持ちの悪い馴れ合い。その仮面の下には、金と権力という分かりやすい欲望に支配されたクズども。


「八年間、顔をお見受けしませんでしたが、どうされたのですか?」


 ある男が彼のもとにやってきた。彼も、その男にはなんとなく見覚えがあった。しかし、名前は出てこなかった。だから、それっぽく話を合わせた。


 ……おそらく、あの女は、カバーストーリーを作っているだろう。体裁だけで生きているのだから。




 丁度いいタイミングで女がやってきた。すると、司会と思しき男が女の登場をアナウンスする。そして、広間一帯の電気がおち、ステージにライトが当たった。すると、来場者全てが女の方を向いた。その隙に、彼は、男の元を離れた。




「本日はお忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。このような、私の誕生日のためにこんなにも人が集まるとは、一、経営者として、一、人間として誇らしく思います。今日は、私の息子も参加しております。名を鈴解、と申します。どうぞ、よしなにしてやってください。それでは、今日は、楽しんでください。乾杯!」




 これは、あくまで中略であるから、いろんなことを話していたが、彼にとってそれはどうでもよかった。やはり、どこまで行っても、権力と金でしかない。


 その後も、彼のもとを訪れるのは取り入ろうとするものだけだった。彼は、不思議なことに、気楽に感じ始めていた。何故なら、全員の目的は少しの差はあれど、本質は似通っている。観察する必要がなく、同じ意味の言葉を相手に、効果的なタイミングで与える。すると、相手は踵を変えて帰っていく。これを繰り返す。リズムゲームの方が難しいくらいだ。リズム感のない彼にはリズムゲームは本当にできない。これは、どうでもいいか。




 退屈している彼の方を数人の女子が見ていた。おそらくは、家の看板を背負った政略結婚でしか家族を持たない哀れな子達なのだろう。


 彼は、嫌な予感をさせながら、気づかないふりをした。しかし、それは、問屋がおろさなかった。明らかな双子とその後ろに二人の女の子。




「はーい、私、水乃」


「はい、私、志乃」


「「信楽家でーす」」


 元気はつらつな双子だった。彼は、手に負えないと直感できた。そして、そのキャラは彼女だけで間に合っている。


 そして、その後ろの2人が、




「富永家の富永 伊予です」


「遠藤 雛です」


 四人が、求めてもないのに名乗った。名乗られたら、名乗り返すしかない。


「篠崎 鈴解です」


 四人は頭の上にクエスチョンマークがついた。それを見計らったかのように富岡がやってきた。おそらくずっと見ていたのだろう。




「鈴解様は社会勉強のために名を変えて一般高校に行っております。その名前が篠崎なのです。これは、鈴解様のお父上の旧姓でございます」


 四人は会得した顔をした。


 双子のドレスはどちらもピンクだった。ドレスの知識はないが、色ならわかる。後の二人はそれぞれ水色と白だった。特にそこに問題はない。あるとすれば、この後、この四人は彼のもとに面倒ごとを持ち込んでくる。


「ああ、なるほどですねー」


 水乃はぶりっ子ぶりを発揮している。彼の苦手な部類だ。というか、絶対に関わりたくない部類だ。




「そういうことー」


 志乃も同じような反応を見せる。二人で一組という感じがする。


 後の二人は声を出さなかった。


「ああ! そうだった!」


「他の人たちにも行かなくちゃ!」


「「じゃあ、またね!」」


 双子はせわしなくここを去っていった。




 ……嵐のような人たちだ。まだ、美涼の方が気品があるぞ。


「私もお先に失礼いたします」


 と、富永が、


「あ、私も失礼します」


 遠藤もそれに乗っかった。何も掴めない。何か、この後も、関係してきそうな予感だけがした。


 富岡はまた、戻ってきて、彼の斜め後ろについた。




「今しがたの四人組。双子は信楽家でございます。水乃様がお姉様で志乃様が妹君でございます。そして、水色のドレスを着ておられたのが富永 伊予様でございます。白色のドレスが遠藤 雛様でございます。いずれも、清水グループの創立メンバーの子孫でございます。つまり、この財閥を支えている家でございます。そして、あの四方はあなた様のお見合い相手でございます。偶然にも全員同い年でございます」


「なるほどね。敵情視察、と、言うことですか?」


「事前視察でございます」




 富岡は彼の視界に入ることはなかった。


「一つ聞いていいですか?」


「答えられる範囲であれば、何なりと」


「僕には、彼女がいる。それは、あんたにも、あの女にも分かっていることだろ? それなのに、どうして、見合いなんていう、はなから答えが決まっている事なんてするんです?」


「さて、答えは決まっておられるのですか? 私の経験ですが、恋というものは一過性のものでございます。今の彼女さんとの関係はいつまで続くものでしょうか? それよりも、未来を見据えた行動をなさるべきでは?」




「ふざけるなよ? 確かに、一過性のものかもしれませんが、それでも、僕は、今の恋を信じる。あんたにはわからないだろうな。別に分かって欲しくもない」


「あなた様にも美代様の親心を分かっておられないのでは?」


「親心? 母が恋しくなる年の子供をほっといて自分の欲望のままに生きて、父と子をほっておくような女に親心? そんなものをくめと? 正気か? いや、もう、ここにいる連中は正気なわけないか」


「どちらかが、折れなければ、平行線は交わりません」


「僕が折れろと?」


「はい」


 ……はっきり言いやがった。




「冗談じゃない。こんなくだらない茶番劇が終われば、僕は、正式に相続権を放棄します」


「本気ですか?」


「もちろんです」


「あなたが放棄なされると言うことは、同時にあなた様への生活援助金がカットされる、ということになります。それは、お父上の入院費用も払えない、ということです。それでもよろしいのですか?」


「また、脅迫ですか? 大好きですね。それが、裁判所命令違反ということを知らないのですか?」




 富岡はそれ以上声を出すことはなかった。どこか遠く、いや、いつだって富岡が見ているのは女だ。富岡の行動原理は女への忠誠。それだけである。だから、危険なんだ。女への不利益はつまり、富岡のその相手への攻撃理由となる。だから、一番危険だ。




 彼は、明るく彩られた仮面誕生パーティ。それを疎ましく見遣った。こんなくだらない世界ではなく、彼女と一緒にいる世界がどれだけいいものか、どれだけ心地いいのかを知った。そういう意味では、これは、よかったのかもしれない。




 ……地獄は続く。ある人は、こういった。『会議は踊れど、されど進まず』と。踊るのは権力と金。人としては、後退しているかもしれない。ここで、行われているのは会議ではなく、社交と言う名の戦場……。だから、こう言うのだろうか? 『戦場は踊れど、されど進まず』……あれ? 塹壕戦か? はは、まあ、どちらでもいいや。




 なんていう、くだらないことをひたすら考えて時間が過ぎるのを待った。彼はその間にさりげなくフォークを盗んだ。そのフォークはトイレに行くふりをしてパンツの中に忍ばせた。それが、少しチクチクした。出来れば使いたくないが、おそらく、いや、ほぼ確実に使うことになるだろう。彼は、空が見えない天井についたらシャンデリアに照らされた会場は彼の目にはよくわからない色に見えていた。


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