第14話

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「この、この、朝から見せつけてくれちゃって」




 と、彼女の友達となった宮上は昨日の今日で心の整理がついたのか、それとも、ついていないけども、前を向いて歩みだしたのか、どっちかは分からないがこの際どうでもいい。宮上は仲良くなれた彼女の脇を突っつく。授業と授業の間の休み時間の間に、いわゆる友達(笑)な連中はみんなでワイワイ話すのだろう。もちろん、それは、彼からすれば、ありえない事で、でも、その後に残った宮上は多分、この先、彼女の良き友になるのだろう。




「この、この」


「ちょ、くすぐったいよ」


 彼女はにこやかに笑う。彼はそれを側から見て微笑ましく思えてしまう。




 彼はいつも自分の席で耳にイヤホンを突っ込んでマイベストを聴きながら本を読んでいる。いつも、持ち歩いている本を読んでいる時の彼は、さらに言えば、その本を読みながら、イヤホンから流れる音楽は彼の心を穏やかにしてくれる。最近では彼女の笑みも安らぎになる。




 彼女はというと、この数ヶ月間、人前で彼といちゃつくようなことはもちろんなかった。彼自身もそれはある意味で望んでいることだった。第一、恥ずかしい思いはしたくない。あと、憎まれそうだからだ。そんな、抽象的な理由で避けていた事は彼女の方も承知である。だから、毎日、ちょっとした労力を使って屋上まで登り、梯子を上って、風が少しだけ強い見晴らしのいいところまで行った。何度も言うが、あそこには人はなかなか来ない。




 しかし、今日この日の朝から二人は見せつけるように登校してきた。これは、一大事件である。感の鋭い人ならば、何かあったに違いないと推測を立てるだろう。立つだけ立って探りはしないと思うが……。




 彼女は宮上と話しながら、ちょくちょく彼の方へ目配せをしていた。それを悟ったのか宮上はわざわざ彼女の腕を引っ張って、気だるげに座っている彼の元に連れてきた。


「ほら! 彼氏なんだから、彼女がきたら顔上げるの」


 宮上は何事もなかったかのように頭を叩く。実際、何もない。これ以上、事が大きくなる事はないし、ある意味では、宮上の願いは成就されたとも言える。形は違えど、それでも、彼女の近くにある存在にはなれた。彼女もそれはそれで楽しそうだ。




「痛いですよ……。なんです?」


 彼は、仏頂面で彼女たちの方を向いた。彼の座る窓側の席には明かりがいい感じに入っていた。彼の顔はその明かりに照らされていた。軽くぼやけて見えるが、明らかに不機嫌だ。




「いやー、私の魂胆を見抜いた彼氏と、私の親友とのイチャラブを見たくて」


 言い方にも悪意はないが、自己嘲笑は含まれている。


「余計なお世話ですよ」


「本当かなー?」




 彼女は我関せずのような態度を取っている。が、顔がニヤついているのは隠せなかった。


「本当ですよ。なんてったて、僕は彼女にベタ惚れなんですから」


 なんて、彼は柄にもないことを言って見た。ノックアウトを食らったのは彼女の方だった。彼は、自分の席の隣に立っている彼女から異常なほどの熱気を感じた。暑すぎる。夏だから、そう思うことにした。




「うう、そんないい笑顔で言われたら……」


……なんだよ、からかいたくなるってか……


「応援したくなるじゃん」


……まだしてなかったんかい……


「まあ、僕らは僕らで行きますからね。応援ではなく、見守ってください。そして、美涼、暑い」


「え!?」




 彼女は急に話を振られて明らかに反応に困っている。彼はそれを見てくすくす笑う。


「何よ、イジワル!」


「いやあ、そんなにも表情豊かに照れられると、からかいたくもなるよ」


 ……本当にイジワルだな。でも、この笑顔は僕だけのもの。こんなことは彼女の前でも声を大にしても言えないな……


「バカップルめ」




 宮上はボソッとそして聞こえる声でつぶやく。


「普通、このぐらいの時期からけん怠期とかに入るんだけどなー」


「なんで、代永が知ってるのよ」


 彼女はつかさず話に食い込む。


「美涼、私だってね、ちゃんといろんなもん読むんです」


「何よいろんなもんて?」


「少女漫画とか、最近流行りの異世界転生系とか、恋愛ものとか……」


「はあ? あんた、そんな異世界もんとか読んでんの!? 信じられへん」


 ……おい、なんか、キャラが変わってるぞー……


 彼は心の中でツッコミ始める。急な関西弁の登場に宮上も彼も驚きを隠せない。


「異世界もんわな……」




 なんかの演説が始まろうとしている時、チャイムが鳴った。ゴングに救われた、なんていう言葉が示す通り、何かしらの出来事から救われた気がした。


「ほな、後で話すわ」


「次は昼休みだから、屋上でしょ?」


 ……え!? 来るの!? ……




 彼は少しばかり嫌そうな顔をしたが、すぐにそれを隠した。


 教室の中はまだ、教師が来ていないからか、賑やかだった。そんな教室に扉の開く音が響く。教師が入ってきた。白衣をまとっている。


「じゃあ、戻るね」


 彼女は軽く手を振って、自分の席に戻った。




 彼は、一人の空間を広げた。これから起こることを考えなくてはならない。


 ……まず、目先の心配をしなくてはいけない。少なくとも、来週日曜日から一週間、僕は学校には行けない。夏休みの講座をすっぽかさないといけなくなるのは間違いない。今日が水曜だから……、そうか、来週といっても五日しかないのか……。こりゃ、参ったな。打てる手なんて何もない。あるとしても、それまで、予防してきたことがどれだけ発揮されるかを願うしかない。出たとこ勝負としか言えないな。証拠なんかは全て揃ってるが、公表できなくては意味がない。その手はずは代理人を通じて整っている。それは、二年前に完了してる。しかし、向こうはそのことを知っているのだから、流石に手を打っているだろう。まるで、『悪魔の箱』だな。開けてはならない。こう言えば、『アーク』でもありそうだな。まあ、なんでもいいか。しかし、今でもあれだけの額を引き出せているのはアレのおかげか、それとも償いか……。いづれにせよあの女は人間としてのクズだ。そんな奴らの考える事は決まって面倒だ。




 さて、今回呼び出した理由はなんだろうか? どうせ、アレしかない。いくら自分たちの子供に少しばかり問題があるからと言って、僕に頼るなよ。迷惑な。因果応報。この言葉が彼らにはぴったしだ。それ以外の言葉が見当たらない。彼らが背負うべき罪を忘れて、まるで何事もなかったかのように生活を続けるのは愚か者のやることだ。そしてあれは愚かだ。バカだ。クズだ。そんなもんのために僕の時間を削るのも馬鹿げている。でも、相手が悪い。裏で何があるかもわかったもんじゃない。どこであれの妨害を受けるかわかったもんじゃない。僕にだけに受けるのならまだましだ。でも、彼女にまできたら……。




 僕は自分を責めるだろうな。自分から身を引いて、全てを無に帰すだろうな。あれはすでに人間なんかじゃない。金にまみれた、欲望にまみれた悪魔だ。救いようのない……、まあ、はなから救う気もないんだけど……、人間擬き……。ああ、僕もか。




 彼はここまでは思考が回っていた。気付いた時には四時間目終了のチャイムがなる寸前だった。


「おお、篠崎、ようやく起きたか。おはよう、眠り魔くん」


 白川先生の授業だった。白川先生以外、彼のことを気にかける人は教師の中ではいない。つまりは、篠崎と言う名の、色々な意味の疫病神を押し付けられた不幸な教師の名前が白川先生だった。白川先生自体はそのことをなんとも思っていないが、やはり、他の教師から見れば、白川先生は若くして、問題児を抱え込まされると言い、貧乏くじを引いたようにしか見えない。そして、彼自身も、自分のことをそのように思ってもいる。しかし、それをなんとかしようとは思っていない。もちろん面倒臭いからだ。必要になった時に変えればいいなんて言う、楽観的な見方しかしてない。




 彼は基本的には悲観主義者であることは触れておかねばならない。むしろ、彼は悲観主義者でなくてはならない。なぜなら、彼の、人生そのものが悲しみに満ちていて、それを、楽観に変えるだけの強さを持ち合わせていない。持ち合わせていたら、もっと変わっていたのかもしれない。しかし、彼に対して、このifの話は失礼である。現実はいつだって目の前にあるし、目の前の現実はいつだって虚像になれる。虚像となった現実はいつしか空虚となり、そこに新たな物語が生まれる。つまり、現実は嘘だ。それを彼は知った。それを知った彼が、それでも楽観主義者でいる事は不可能だ。全てを疑う懐疑論者へ。全てを愛する博愛主義者へ。平和をこよなく愛する平和主義者へ。彼の思想は、主義は、ここで出来上がった。この、カオスから。自己矛盾の成れの果て。自己矛盾を抱えた男が楽観主義者な訳がない。それを自覚している。自覚した上で悲観的視点を持って常に考えている。能動ではなく受動的に。彼は常に頭を働かされている。だから、いろんな答えが出てくる。与えられた情報の中で、最も論理的でかつ実現可能な答えだけが真実たり得る。それ以外は切り捨てて構わない。しかし、彼は、そうやって、最も論理的な回答を得たとしても、それが、現実と言われる嘘に適さないこともある。彼は、考えるが故に傷つく。知りたくなくても知ってしまう。知らぬが仏。彼は、この言葉にどれだけ切望したのだろうか。文字通り仏にすがりたくなる。仏を彼は微塵も信じちゃいないが……。




「あれー? 無視ー? 先生悲しー」


 ……嫌がらせか、て、なんで、美涼はくすくす笑ってんだよ……


 彼女の肩は揺れに揺れていた。




 先生はこれ以上触れるのを諦めた。そして、チャイムが鳴った。


 教科書を片付けたクラスの人たちは決まり切ったグループで輪になって和気藹々と談笑を開始し始める。彼は、朝に、自分で作った弁当と水筒を持って屋上に上がった。


「はあー、やっと休める……」




 彼は、彼女たちが来るまで、いつもの位置で寝転んでいた。今日もまた心地の良い風が吹く。でも、晴れない。純粋にこの風を楽しめなかった。静かな所に行けば、色んなことで心がざわつく。落ち着かなかった。一人になれば考え続けてしまう。これ以上考えても当日にならなくてはわからないことだらけのものを永遠と考え続ける。




「だめだ。何をしても考えてしまう……」


 彼は、寝転がりながら、頭を掻きむしった。足元に小さな、小さな振動を感じ取った。


「すーずーとーくんー!」


 ……そんなキャラだったか? ……


 彼女と彼女に自らの意思でついて来た宮上は勢いよく屋上の扉を開けてずかずかと歩いてくる。輩のようだった。




「もう! こんなところで寝そべって!」


「なんです? 元気良すぎません? お母さんみたいなこと言いますね」


「彼女です。そして、喧嘩売っているの?」


 彼女は自分の胸を自分の拳で叩いて、えへん、としてみる。しかも睨みながら。器用に。




 彼女の方を向き直っていた彼は、彼女の揺れる胸に目がいってしまったが、それを悟られないように目を背けた。


 梯子を登り終えていた彼女の後ろから、ぴったりとついて梯子を登り終えていた。二人だけのスペースだと思っていた彼の居場所は三人になると、狭く感じた。




「下に降りよう。狭い」


 そして、彼はその狭苦しい空間に耐えかねた。


「む、確かに」


 彼女はすぐさま宮上を下に降ろして自分も降りていった。彼はその後に続いてゆっくりと降りた。


降りた頃には二人は昼ごはんを広げていた。昼の話の続きをしていた。彼は、その話に適度な頷きをしていたが、中身を覚えていない。心ここに在らず。それを悟らせないところが彼らしいといえば彼らしい。行き当たりばったりな回答でその場をしのいだ。




 しかし、彼女はそれに気づいていた。気づいていながら、それに触れないでいた。彼に言っていないが、朝に見た、謎の男との会話は彼女の胸騒ぎの種であった。そして、宮上も何かがあったことだけはわかった。




 こうしてみると不思議な三人である。宮上の恋敵である彼と、彼のことを愛してやまない彼女。昨日の敵は今日の友、なんていうが、お互いがお互いを許したわけではない。認め合った、と言うべきだろう。気を許したわけではない。おそらく気を抜けば、彼は噛み殺される。しかし、彼が気をぬくことはない。例えそれが彼女の前であったとしてもだ。




 正直に言えば、彼にとって、宮上はチワワであってシェパードではない。つまり、何の脅威にもならない。噛み殺されることはない。舐められすぎてふやけるとかはあり得そうだが……。


「ところでお二人。先ほどの異世界モノのお話をしてませんね?」




 彼女はこれまでのたわいもない話を無理やり切って、そして、まるで、それを話すのが自分の使命かのような口調で放り込んできた。


「いや……、別にいいんだけど……」


宮上は少し顔が引きずった。


「何を仰いますか代永氏」


「なんでオタク口調なんだよ」


 彼は、無意識にツッコんだ。それを彼女は無視して、一度喉を鳴らして、弁当を片付け始めた。何か、とてつもなく長い何かに手を触れてしまったような気がした。




「細かいことは置いといて、異世界モノは一過性のブームにすぎないと思うの。今の小説投稿サイトとか見たらよくわかるよ。上位を占めている小説のほぼ百パーセントが異世界モノ。でも、よく考えてみて。VRモノとか、現代科学魔法なんていう分野もはっきりと存在しているのにどうして、そっち系は少ないの? 多分、一つの要因として完成された作品がないことにあると思うの。VRと現代科学魔法。このふた分野に関しては、圧倒的人気を誇るものがある。でも、異世界モノには? 例えあったとしても、誰もが聞いたことある、なんて言うのはなかなか無理だと思う。具体的な名前は出せないけど、確立して、完成した作品がないことにその一端があると思うの。そして、何よりも、私はね、異世界モノなら、ありとあらゆる物理現象を無視できて、小説を趣味で書く人たちにとってネタを練り込まなくても、流れさえできれば、あとは言葉にするだけだから、例え矛盾が起きても、異能、なんて言う公認チートで『実は』なんて言う過去改竄と未来改竄、挙げ句の果てには設定なんていう大事な、大事なものさえも改竄できてしまう。まあ、あとは、現実逃避的側面が強いのかもね。現実に希望を見出せない人たちがここではないところでは自分が強くなれる、なんて言う妄想を繰り広げられるから。でも、いつしか、そう言う物語も教科書に載るのかも、と、考えると……」


 彼女は虚ろな目をした。




 ……なんで、ここで虚ろになるんだよ。ていうか、どんだけ嫌いなんだよ。まあ、僕も苦手だけど……


「別に嫌いじゃないよ!?」


「嘘だな」


「嘘だね」


 彼と宮上の声はぴったしとあっていた。




 彼女は2人からくる攻めの声に、ムグゥー、なんていうどこから出てるのかわからない声が出ていた。


「もう、いじわる」


「知ってるくせに」


 彼女は軽く笑って、


「うん、知ってる」


 次は彼と彼女がクスクスと笑った。その姿を見た宮上はなんとも言えない敗北感に見舞われたが、すぐ立ち直って、次に湧き出た感情は眩しさだった。羨ましさもあった。でも、お似合いだなとも思った。




「あ! ごめん、美涼、ちょっと用事を思い出した!」


 そう言って、宮上は立ち上がって屋上を出ていった。


「嵐のような人だな」


「嵐そのものな気がするけど……」


「それはないな」


「ないか」


「うん、ないな。嵐そのものは美涼な気がする」


「私が? 何? それ? どういうこと? つまりは、私が問題を呼び寄せるなんていってるの?」


「間違いじゃないでしょ?」


「そんなこと言ったら、君だってそうじゃん!」


「そんなバカな。僕が? この、人畜無害な僕がかい?」


 彼女はむすっとした。彼にはその理由がわかったような気もしなくはなかった。




「明後日……、つまりは今週の土曜から、夏休みだな」


「だね。楽しみだなー、初デートかー。何着て行こうかなー? リクエストはある?」


「君のお好きなように、かな?」


「ちぇ、なんでもいいよー。ワンピースでもミニスカでも……。ノーパンでも……」


「僕は、そんな変態じゃない」


「え!?」


「なんで驚く!?」


「だって、えげつない変態だと思ってたのに……」


「なんでそんなに期待してんの!?」


「え? だって、こないだ、私の耳元で、滅茶苦茶にしてあげる、なんて言ってたじゃん!」


「言ってねぇよ! 言ったことねぇよ! そんなドSでもないよ!」


「じゃあドM?」


「なんでそうなんのさ」


「だって、ある偉い人は、人間はSかMに分かれる、って、言ってたもん」


「あー、それは、本当の変態なんだろうな」


 ……多分なんかのマスクつけてるぞ絶対……


「で? S? M?」


「じゃあ、Sで」


「だよねー」


 ……決定か……




 この会話に意味はない。彼の性癖がだんだんと露わになっていくだけである。しかし、真実を言おう。彼は、ある種の特殊性癖者であることは否めない、と。


 予鈴の鐘がなった。二人は荷物をまとめて屋上を出た。彼女の後ろ姿を眺めていた彼は、彼女の背中が楽しそうに跳ねているのを見逃さなかった。




 ……ああ、土曜を精一杯楽しまないとな……


 なんて、彼はふと思った。


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