4-4 kotone先生

 僕たちは市立図書館に向かうまで一言もしゃべらなかった。この前と同じように秡川さんは僕の左斜め後ろ一メートルを歩いていた。でも僕は秡川さんが逃げないように後ろを見る気にはならなかった。

 そして市立図書館について、この前と同じ席に座る。窓の外は紫から黒になりかかっていて、周囲の建物の窓に明かりがともるのが見える。

 僕はメッセージに記されたURLを開いた。

 そこにはあるアマチュア作家の作品リストがあった。ペンネームはKotone。そう言えば秡川さんの下の名前は琴音(ことね)だった。

 そういうことだ。

 これは心して読まなければいけない。

 僕は古い作品から読むことにした。

 僕が読む間、秡川さんは一言も言わない。ただ、この前のように鞄を身体の前に抱えたりせず、素のままの彼女として座っている。

 こうして黙っていると、僕が先読みできるのは人が口で発した言葉だけだと分かる。何も言わない秡川さんの胸の内はさっぱり分からない。

 そして読んでいって……次々読んでいって……

 感想は、感想は……

 秡川さんって少女趣味だったんだ!!

 各作品は四〇〇字詰め原稿用紙で二〇枚ないほどの短編。そこに描かれているのは少女の、初々しい、とっても初々しい、恋愛。

 食べ物に例えて言うと、チョコレートのボールに生クリームをかけたような大甘。

 主人公は夢見る女の子。彼女の前に現れるのは少女漫画から抜け出してきたような爽やかな男性。俗に言う「王子様」だ。

 女の子がひょんなことから「王子様」とつながりを持ち、次第につながりが深くなって、恋人になって終わる。八割方、「王子様」から告白していた。

 いやあ、大甘だ。

 けれど、だ。

 物語の中で少女が抱く不安は、女の子とつきあった経験がない僕が推測するのは間違っているけれど、多くの少女が共感するであろう地に足が着いたもので、「王子様」にもきちんと恋に臆する気持ちがあってそれは僕にもよく分かるもので、お互いを知らないところから自分と相手の気持ちを確認していく様子が短い作中にきちんと織り込まれていた。

 これは書いた人が美少女だからと言う理由で感想を言っていいものではなかった。

 だから、僕が言える内で最上級の賛辞をStringで送った。


                   女の子が読む恋愛物に慣れてないけど

                   これは一人だけで見る「妄想」じゃなくて

                   他人と共有できる「夢」になってると思う


 秡川さんはスマホが震えるのを知ると驚いた様子で操作し始めた。ロック画面を解除して、僕のメッセージを見て、その顔がほころぶのが僕にも見えた。

 僕のスマホが震えた。そこにはこうあった。


   ありがとうございます


 たった一言でも、感謝をもらえたのがうれしくて、舞い上がりそうだった。

 目の前で秡川さんが緊張を解いて肩を下ろし、それに伴って豊かな胸が上下するのが見えた。

 顔が綺麗でスタイルのいい女の子が少女趣味の小説を書いてはいけないという決まりはない。というか、言葉は万人に開かれているものだ。小説を書いて何が悪い!

 でも、秡川さんは見た目にはクールビューティーだから、キャラが違うと思われがちだったのだろう。きっと誰にも打ち明けられなかったのだ。学校には友達も居なかったし。

 幸せに浸っていると、再び僕のスマホが震えた。Stringの画面にもう一つメッセージが追加されていた。


   岸凪君は言葉が好きなのに

   どうして他人に勝手なことを言わせる

   ひどいことをするのですか?


 秡川さんなら、僕の立場を分かってくれるだろうか。言ってしまおうか。

 実はこの学校に……と書こうとしたところで、指が止まった。他人に勝手なことを言わせる人がもう一人いることを秡川さんに教えてはいけないのではないか。勝手に発言をねつ造されてきた秡川さんには。

 僕は言い訳しか書けなかった。


                   ごめんなさい

                   今は言えません

                   時が来たら、事が終わったら、

                   きちんと言います


 ひどい話は早く終わらせよう。そう思う。

《そろそろ、帰りませんか?》

 秡川さんから切り出されて、僕も良い頃合いだと思ったから、応じることにした。

「そろそろ、帰りませんか?」

「そうだね。今日はこれでおしまいにしよう」

 市立図書館を出ると外はすっかり暗かった。僕たちは途中まで並んで歩いた。

 並んで歩いている間に、一つだけ聞きたいことがあった。

「今利君、カッコいいよね。ちょうど秡川さんの趣味だし。好きな人にいやらしいことを言って、落ち込むよね」

《私にいやらしい言葉を言わせたのは誰ですか?》

 僕の言葉に秡川さんの言葉の先取りが被さる。

 秡川さん、勘づいてたか。

「私にそのいやらしい言葉を言わせたのは誰ですか?」

 口から出る言葉が追いつくまでに返事をできなかった。

 分からない、と言えば正直だろう。けれども秡川さんは他人の口を操れる人間を僕しか知らない。疑われて当然で、今この状況がむしろ不思議なのだ。

「それは言えない」

 僕は自分が疑われる余地を残した。

 秡川さんは何も答えなかった。

 そのまま二人、別れるまで無言だった。

 土日は友達に会う予定はなかったけれど、秡川さんが発した(言わされた)言葉がどこまで広がっているのか気になって有沢さんにStringで聞いてみた。


                   秡川さんがサッカー応援中に言ったこと

                   女子の間で噂になってる?


   隣にいた私にわざわざ教える子はいないわよ

   噂になるとしたら週明けね

   ところで、秡川さんってあんな子だって知ってた?

   な~んか気になるんだけど


                   別に何も無いよ


   あやしいなぁ


 有沢さんからスタンプが届いた。アニメキャラの女の子が「吐け!」と迫っている。そういうことならこちらが贈る言葉は


                   僕は無罪だ!


 このくらい、言ってもいいよね?

 月曜日、僕は家を出るのが少し遅くなってしまった。教室に入ったときは始業ぎりぎり。

 その教室は、秡川さんの周りの空気が少し重い、気がした。

 何か証拠がある訳ではないけれど、席に座って手の中に顔を埋める秡川さんを、周りの皆はチラチラと見ながら近づかない。腫れ物に触るように、とはこのことだ。

 僕は秡川さんの前に来た。

「秡川さん、おはよう」

 周りの子が僕を見る。少し不審そうに。そんな視線、何の意味がある?

 秡川さんは手の中から顔を上げて僕を見上げる。僕は「なにしたの?」と言う代わりに笑顔を作る。一呼吸置いた後。

「岸凪君、おはようございます」

 秡川さんが口を開いた途端、周囲がどよめいた。周りの子が隣同士で噂する。それは二倍になって聞こえてうるさかったけれど僕の耳には入らない。

 よかった。秡川さんが一言でも言葉を言えて。

 休み時間に学級の男子から「秡川さんと何があった? 教えろ!」と迫られたけど、「べつに~」とはぐらかし続けて一日が過ぎた。

 肝心の、他人に勝手なことを言わせる犯人は今日も見つからなかった。それとは別に、僕が借りた歌集が貸出期限が迫っていることは気づいていたので市立図書館に向かうと、そこには屋村君がいた。

「座れよ」

 と屋村君に促されるまま向かいの席に座る。

 本を読む二人だから無言のままに時は過ぎる。

 なんだか、その雰囲気を明るくしたいな。

 僕は話題に、少し危ない、あの話を選んだ。

「屋村君」

《何だ?》

 すぐに返事が返ってきたようでちょっと焦った。それでも僕はおそるおそる話を振る。

「最近、女子が、他人に好きなことを言わせる魔術っていうか、オカルトな話の噂をしているの、知ってる?」

《知ってる。休み時間に女子が話しているのを聞いた》

 僕の「知ってる」と屋村君の《知ってる》が被った。その後で屋村君の「知ってる」が追いかける。

 屋村君が噂を知っていると聞いて、なぜか少し安心した。

「屋村君は、そういう魔術を使う人をどう思う?」

《くだらないな。……》

 僕が尋ね終わる前に屋村君の返事があった。

「くだらないな。人にとって、その人がなにを言ったか、なにを言わなかったか、それはその人がいかなる人間かを形作っている。身体以上にね。他人に偽りの言葉を言わせることは、その人間を貶めることだ。そんなことをする奴は、人間とは呼びがたいな」

 屋村君は窓の外、どこか遠いところを見ながら語った。その姿は道理を知る賢人のように見える。

 屋村君と話ができて、よかった。

《俺から岸凪に聞きたいことがあるんだが、最近、秡川さんと仲いいな?》

 え? 逆質問?

 うろたえた僕を見抜くように屋村君の視線が僕に戻る。  

「俺から岸凪に聞きたいことがあるんだが、最近、秡川さんと仲いいな?」

 これ、どう答えよう。

 隠そうという意味じゃなくて、屋村君なら分かってくれそうな気がする。秡川さんがかつて辛い目に遭ったことも、実は少女趣味でkotoneという名前で小説を書いていることも、屋村君なら分かってくれるんじゃないかな。

「実はね……」

 

作家になりたいというか呼ばれたいという欲望は分かるが、その目的で薄めた劣化コピーを作られても、読まされる側はたまったものじゃない。


 これは屋村君の言葉の先取りでも、口から出た言葉でもない。僕の記憶だ。

 たしかに屋村君はそう言った。

 秡川さんの純粋な(だと僕には思える)気持ちを、そんな受け取り方をされていいのだろうか? 打ち明けていいのだろうか?

 僕の口が止まった。ほんの一瞬の沈黙が長い。

 僕はうつむく。

「……綺麗な人だから、声をかけたら、なんだろうね……秡川さんが返事をくれたのは…… 僕もよく分からないんだ。ハハハ……」

 口から出任せにしゃべって、言葉を切った。屋村君の顔を見られない。

《そうか》

 屋村君の返事は一言で、それから別れるまで、その話題には触れないでいてくれた。

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